あらためて問う。ご心痛とは何だったのか?──「百年に一度」の経済危機に苦しむ国民を思われたのか? 側近たちはお気持ちが理解できないどころか、祭祀にまで介入した(2009年1月27日)
(画像は平成20年のお誕生日に際してのご近影。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
先週の水曜日、雨のそぼ降る夜、銀座にある並木書房の編集部を訪ねました。刷り上がってきた拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたのか』に、読者への心ばかりのサービスとしてサインをさせていただくのと、今週の土曜日(31日)に九段会館で行われる桜林美佐さんのトークショーの打ち合わせのためでした。
編集部に山積みされた真新しい本のページをめくり、桜林さんら居合わせた皆さんのあたたかい祝福を受けて、達成感と充実感が沸いてきました。そのあと並木書房の奈須田若仁さんと2人で酌み交わした祝杯はことのほか美味でした。
すでにお知らせしたように、拙著の問題提起はさっそく、今週発行の「SAPIO」をはじめ、各種メディアに取り上げていただけるようです。今後の展開が楽しみです。
▽1 あえて推測するなら
さて、すっかりタイミングがずれてしまいましたが、やはりどうしても書きとどめておかなければならない、と思うことがあります。天皇陛下の「ご心痛」とは何だったのか、です。
簡単に振り返ると、昨年暮れの陛下の御不例に関して、12月9日、名川良三東大教授は記者会見で検査結果を発表し、「急性胃粘膜病変があったのではないかと推測される」と述べました。
精神的、肉体的なストレスによって急激に生じる。心身のストレスから発症までは数時間から1、2カ月の間、というのが医師の説明でしたから、胃部の症状が現れた12月2日からさかのぼって2カ月以内、つまり10月ごろ以降、強いストレスを感じる出来事があったということになります。それはいったい何だったのか。
以前、このメルマガに書いたように、「国中平らかに安らけく」と公正無私なる立場でつねに祈られる天皇にとって、ご心労は多々あり、ひとつに特定化することは正しい態度とはいえませんが、急性の病変を発症させるほどの強いストレスとは何だったのか、あえて推測するとすれば、思い当たるフシがありました。
それはむろん、以前書いたように、羽毛田信吾宮内庁長官が「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめとし、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮のご様子……」などと説明したこととは異なります。「ここ何年か」のことが急性病変の原因とは考えにくいからです。
▽2 陛下ご自身のお言葉から
なるほどそうだったのか、と思ったのは、(平成20年)暮れの天皇誕生日の「ご感想」と新年に当たっての「ご感想」を読んだときです。陛下のご心痛は陛下ご自身のお言葉にはっきりと表れているように思います。
お誕生日の「ご感想」は5項目にわたり、まずご自身のご健康問題について説明されたあと、各地で起きた災害の犠牲者を悼み、オリンピックでの日本人選手の活躍などに思いを馳せられ、最後に「世界的な金融危機に端を発して、現在、多くの国々が深刻な経済危機に直面しており、我が国においても、経済の悪化に伴い、多くの国民が困難な状況に置かれていることを案じています。働きたい人々が働く機会を持ち得ないという事態に心が痛みます」と経済危機に苦しむ人々へお心を寄せられたのでした。
新年の「ご感想」はもっと明確です。「秋以降、世界的な金融危機の影響により、我が国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」と、まさに昨秋以降、急速に表面化している「百年に一度」ともいわれる経済危機の影響を心配され、そして「国民の英知を結集し、人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって、この困難を乗り越えることを願っています」と国民を鼓舞しているのでした。
このメルマガに何度も書きましたし、新著にも書きましたが、国民の喜びだけでなく、憂いや悲しみ、そして命をも共有しようとするのが天皇です。わが治世にあって、住む家も、仕事もなく、苦しんでいる国民がひとりでもいるのは申し訳ない、と陛下は健康を害されるほどに、深く心を痛めているのではないか、と拝察するのです。
▽3 争わずに受け入れる
宮内庁長官の所見は、冒頭、「天皇陛下には、かねて、国の内外にわたって、いろいろと厳しい状況が続いていることを深くご案じになっておられ」という言葉で始まっていましたが、ほとんどが東宮家に関する説明で、経済危機に起因する国民の苦難については具体的な言及がありませんでした。近侍する側近には陛下のお気持ちが伝わっていないのでしょうか。
ひたすら国民を思う陛下のお気持ちは、これまたすでに何度もご説明したように、天皇第一のお務めである祭祀によって磨かれます。しかし、側近たちはご負担軽減と称して、天皇の祈りを御代拝ですませようとしています。それは天皇に、天皇であることをやめよ、と迫ることにほかならず、まったく愚かなことといわねばなりません。側近たちは天皇のなんたるかが理解できないようです。
敵を作らず、争わずに受け入れるというのが天皇の帝王学だとすれば、陛下のお立場はどれほどおつらいことでしょうか。