宮中祭祀を蹂躙する人々の『正体』──「ご負担軽減」の嘘八百。祭祀を簡略化した歴代宮内庁幹部の狙いは何か(「正論」平成21年9月号から)
今上陛下は昨年(平成20年)末、御年75歳になられました。ご高齢で、しかもガンを患い療養を続ける陛下にとって、日々のご公務のご負担軽減は何にもまして急務ですが、相変わらず超多忙の日々が続いています。
昨年暮れのご不例を受けて、宮内庁は今年1月、ご公務の見直しを前倒しする具体的な削減策を打ち出し、それから、はや半年あまりがたちました。ご容態がとくに好転したとは聞きませんが、まったく驚くべきことに、ご日程の件数は減るどころか、逆に増えるばかりです。7月には2週間におよぶカナダ、ハワイ公式ご訪問までが実施されました。
一方、これとは対照的に、ご負担軽減の標的にされているのが宮中祭祀です。順徳天皇の『禁秘抄(きんぴしょう)』(1221年)に「およそ禁中(きんちゅう)の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあるように、歴代天皇が第一のお務めとしてきた祭祀は、伝統無視の簡略化が進められています。
今年はご即位20年、ご結婚50年のこの上ないお祝いの年ですが、ご負担軽減とは名ばかりで、悠久なる歴史に立つ皇室の伝統がないがしろにされ、ご高齢の天皇は「象徴」という国の機関として無慈悲にも利用するだけ利用されているとの印象を免れません。
▽1 ご不例で祭祀の簡略化を前倒し
6年前、前立腺ガンの手術をされ、療養を続けてこられた陛下が、不整脈などの不調を訴えられたのは昨年11月のことでした。
12月上旬に新たな症状が現れ、宮内庁は検査と休養のためすべてのご公務を取りやめることなどを発表しました。
名川良三東大教授は会見で「AGML(急性胃粘膜病変)があったのではないかと推測される」とご病状を説明します。
羽毛田(はけた)信吾宮内庁長官は会見で「所見」を発表し、当面の対応として、1か月程度はご日程を可能なかぎり軽くし、天皇誕生日(12月23日)や年末年始の行事などについて調整することを表明しました。
長官は祭祀の「さ」の字も語りませんでしたが、実際、調整の狙い撃ちにされたのは祭祀でした。日程調整は「可能なかぎり」とはほど遠く、年末の誕生日記者会見が中止され、新年一般参賀のお出ましの回数が七回から五回に減らされた程度、その一方で、祭祀は無原則に蹂躙(じゅうりん)されています。
例年なら元旦、皇居の奥深い聖域・宮中三殿の西に位置する神嘉殿(しんかでん)南庭で伊勢神宮、山陵、四方の神々を遥拝する四方拝が行われ、引き続き、歳旦祭が宮中三殿で行われますが、四方拝は神嘉殿南庭ではなくお住まいの御所の庭で、お召し物も天皇だけが身にまとう黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなくモーニング姿でお務めになり、歳旦祭はみずから拝礼なさる親拝ではなく、また側近の侍従による御代拝でもなく、掌典次長による御代拝となったと伝えられます。
分刻みの祝賀行事はストレスにならず、天皇第一のお務めである宮中祭祀こそがストレスの原因だといわんばかりです。
祭祀を狙い撃ちにする今回のご負担軽減には、昭和の時代の前例があります。
拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に詳しく書きましたが、戦後の宮中祭祀の「簡素化」(『入江相政日記』)は入江侍従長(当時)の工作で始まりました。 入江侍従長の昭和45年ごろの日記には、新嘗祭の取りやめ、四方拝の洋装、歳旦祭の御代拝に取り組んだことが記録されています。たとえば44年12月26日には、入江が昭和天皇に「四方拝はテラス、御洋服で」と提案したとあります。
提案は昭和天皇のご高齢・ご健康に対する配慮を名目にしていましたが、口実にすみません。入江の祭祀嫌いに端を発し、後述するように、やがて富田朝彦長官が登場すると、誤った政教分離主義によって祭祀の空洞化・破壊が本格化していきました。
それから約40年後のいま、祭祀簡略化の先例を忠実に引き継いでいるのがテクノクラート官僚たちです。
昨年2月、宮内庁は、両陛下のご健康問題について発表し、とくに天皇陛下については、ガン治療の副作用に抗する新たな療法が必要なことから、ご日程のパターンを見直すことを明らかにしました。
風岡典之次長はこのとき、見直しは昭和天皇の先例に従うとともに、「平成の御代が20年を超える来年(21年)から」という陛下のお気持ちを尊重して実施される、と補足説明しています。
3月には、宮中祭祀のあり方について調整が進行中とも発表されました。
さして昨年暮れの御不例で対応は急を要することとなり、前倒しされました。
羽毛田長官らは祭祀の「調整」に口をつぐんだまま、昭和の「悪しき先例」の踏襲に踏み出したのです。
▽2 逆に増えたご日程の件数
今年1月発表のご負担軽減策は陛下のご高齢とご健康問題を理由とし、「拝謁の回数、日程を縮減する」「全国植樹祭などは、基本的にお言葉はなしとする」「新嘗祭の暁の儀は時間を限ってお出ましいただく」などというのが、具体的な内容でした。
ご公務の件数の多さに神経をとがらせながらも、件数を大胆に削減するという方法は採らず、あるいは採れずに、ご公務の重要性と両陛下のご姿勢を理由に、そして昭和の先例を口実にして、中身をきめ細かく調整するという玉虫色の対応策が示されました。
そして案の定、ご日程の件数は逆に増えました。
論より証拠。宮内庁がネット上に公表している「ご日程」から、過去3年間について、1〜7月までの件数を単純に加算してまとめたのが「表1」ですが、一目瞭然、ご公務の件数は全体で前年比9%、3%と増え続けています。
月ごとに見ると、例年2月は、陛下は皇后陛下とともに、葉山で静養されますので、ご日程の件数は減るのですが、今年は鳴り物入りの削減策発表の直後なのに、去年より件数が増えています。逆に一昨年5月の件数が少ないのは、ヨーロッパ御訪問を「1件」と数えているからです。
御結婚50年の祝賀行事が行われた今年4月は、過去にない水準にまで件数が増加し、5月は伸び率が抑制されましたが、6月にはふたたび増加が目立つようになりました。7月にはじめて減りましたが、これは3〜17日までの半月におよぶカナダ、ハワイ公式御訪問のためです。
中身を見てみます。今年7月のご公務を、宮内庁による分類方法に準拠して「宮中のご公務など」「行幸啓など(国内のお出まし)」「国際親善」の3つに区分し、比較すると、「表2」のようになります。「国際親善」は省いてあります。
表をご覧ください。宮内庁が意識して減らしているはずの国内関係者の拝謁が、6月までは増加傾向にありましたが、さすがに7月は増えていません。
ところが結論はまだ早いのです。
いわずもがなですが、外国ご訪問で今上陛下が皇后陛下とともに、相手国の国家元首とご会見になっても、「宮中のご公務」にはなりません。晩餐会のご出席や大学へのお出ましも同様ですが、これらをあえて「宮中のご公務」あるいは「地方行幸」と見立てて、数え上げたのが、「表2」の「21年(2)」です。
ご覧になってお分かりのように、「ご会見・ご引見」は「0件」から「13件」に、「拝謁・お茶・ご会釈」は「16件」から「23件」に、などと、とたんに数値は跳ね上がります。
当局がご無理のないような日程を組んでいると信じたいところですが、午餐・晩餐はほとんど毎日、続いています。
ご出発前に金沢一郎皇室医務主管が発表したところでは、陛下の不整脈はいまなお散発的に見られるため、ご体調次第では海外ご訪問の日程が変更を余儀なくされる可能性もある、とのことでした。
実際は杞憂に終わったようで、幸いですが、陛下のご健康よりご公務が優先されているとの疑いが否めません。
つまり、少なくとも公開情報では、ご公務はけっして減ってはいません。宮内庁のご公務ご負担軽減策は言行不一致以外の何ものでもありません。
たとえば、陛下のご名代として皇太子殿下にお出まし願い、陛下のご公務そのものを大胆に削減するというような抜本的方法を採らなければ、陛下のご負担の軽減は覚束ないのに、宮内庁は思い切った対策をとれずにいます。
仄聞では、その理由として「陛下のご意向」があげられていますが、違うでしょう。
ご公務は良かれ悪しかれ官僚社会の反映です。拝謁の大半は官僚たちが対象で、陛下の行幸は官庁のイベントに駆り出されているのが実態です。
大胆な削減ができないのは、各省庁寄り合い所帯である宮内庁組織の限界なのでしょう。出向組の官僚がどうして本省に楯突くことができるでしょうか。
▽3 皇室の伝統を破壊
名ばかりのご負担軽減の一方で、後ろ盾となる巨大官庁もなく、情け容赦なしに削られたのが宮中祭祀です。
19年以降、1〜7月期の祭祀の件数を表にまとめたのが「表3」ですが、今年は文字通り激減しています。元日の歳旦祭、1月3日の元始祭、2〜4月、6、7月それぞれ1日の旬祭が御代拝となったからです。
しかし御代拝はご負担軽減にはなりません。千年余の皇室の伝統を破壊しただけです。
宮内庁の言い分では、昨年2月、3月の発表でも、今年1月の発表でも、陛下のご健康問題と昭和の先例がご負担軽減の理由とされています。しかし今回の軽減策のきっかけとなったご不例は医師によれば急性で、原因は精神的、肉体的なストレスと説明されていました。だとするなら、肉体的なご負担ばかりを軽減しようとする宮内庁の方針は誤りです。
羽毛田長官にいたっては「急性病変」という医師の診断を無視し、「ここ何年かにわたり、お心を離れることのない皇統の問題」などと、あたかも皇位継承問題がご心労の原因であるかのように「所見」で述べています。診断を否定する特別の根拠があるのでしょうか。
拙著に書いたように、「国中平らかに安らけく」とつねに祈られ、喜びのみならず悲しみをも、そして命すら国民と共有しようとされるのが祭祀王たる天皇ですから、ご心労の原因を特定することは困難です。たとえ箇条書きにして100項目並べ立てたとしても、陛下のお悩みは尽くせるものではないでしょう。
あえて特定化するなら、百年に一度ともいわれる未曾有の経済危機でしょう。医師は心身のストレスから発症まで数時間から1、2か月と説明しています。症状が現れた昨年末からさかのぼって、2か月以内に何があったのか。
いみじくも陛下は、新年の「ご感想」などで、「秋以降、世界的な金融危機の影響により、わが国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」と述べられました。
健康を害されるまでに国民に心を寄せられるのは天皇が「祈る王」だからですが、宮内官僚は逆に天皇から祈りを奪おうとしているかのようです。
テクノクラートたちには、天皇という存在が祭祀王だという認識がないのでしょう。祭祀軽視は昭和の時代から続く、不動の既定方針なのです。なぜそういえるのか、まずエリート宮内官僚の言い分を聞いてみます。
今回の祭祀破壊の経緯を浮かび上がらせる資料に、「諸君!」の昨年7月号に載った渡邉允前侍従長のインタビューがあります。
前侍従長が説明するのは、祭祀、とりわけ寒さがつのる晩秋に行われる新嘗祭の肉体的、精神的なご負担です。
陛下のお祭りは秘儀ですから、詳細を述べることは差し控えなければなりませんが、アウトラインを申し上げると、11月23日の夕刻、神嘉殿にお出ましになった陛下は、数々の神饌を作法に従い、時間をかけてご自身でお供えになります。
拝礼のあと、神社の祝詞に当たる御告文を奏され、さらにご神前で米と粟の新穀、白酒・黒酒(しろき・くろき)の神酒を召し上がり、この直会(なおらい)がすむと、神饌を順次、撤下され、一通りの神事が終わります。
これが「夕(よい)の儀」で、3時間後、ふたたびお出ましになり、同様の神事が繰り返されます。これが「暁の儀」です(八束清貫「皇室祭祀百年史」=『明治維新百年史第一巻』所収)。
渡邉前侍従長がインタビューで述べているように、神事のあいだ、「侍従長と東宮侍従長は外廊下で2時間、正座して待っています」が、慣れていない立ち上がるときは必死の思いだと吐露しています。さらに「陛下もずっと正座なのです」と、肉体的苦痛がさも祭祀簡略化の直接的な理由であるかのように前侍従長は説いています。
けれども、これは誤りです。
▽4 侍従長の負担をすり替え
前侍従長のインタビューで言及されているように、神事をみずからなさる陛下が身動きもせずに、ただじっとしているわけではないのは、いわずもがなです。また、能楽師などのように、幼少のころから板の間に正座して稽古に励む人たちもいますから、畳の上での長時間の正座が難行苦行であるかのように、断定的に解説するのは正しくありません。
そもそも新嘗祭とは、神々と天皇と国民が命を共有し、命の蘇りを図る食儀礼であって、宮中の最重儀とされる、この祭りの本質と意義を忘れるべきではありません。
陛下にとって祭祀が激務なのは、むしろ精神的なものでしょう。皇祖神の命令に従い、歴代天皇が引き継いできた私心なき祈りを、ひたすら国と民のために捧げることが、どれほど大きな緊張を強いることか。
とはいえ、ご高齢で療養中の陛下にとって、長時間の祭祀が肉体的に過酷であることは間違いありません。
祭祀簡略化の第2の理由として、前侍従長はいかにも官僚らしく、昭和の先例を引き合いにします。
「昭和天皇の例では、いまの陛下のご年齢よりもだいぶ前から毎月の旬祭を年2回にされ、69歳になられたころからは、いくつかの祭祀を御代拝によって行われたりした。私も在任中、両陛下のお体にさわることがあってはならないと、ご負担の軽減を何度もお勧めしましたが、陛下は『いや、まだできるから』と、まともに取り合おうとはなさいませんでした」
しかし、この説明も一面的です。すでに申し上げましたように、昭和40年代に始まる昭和の宮中祭祀簡略化は昭和天皇のご高齢が理由ではなくて、入江侍従長の祭祀嫌いが諸悪の根源です。
入江は昭和9年から50年以上、昭和天皇に仕え、宮中祭祀の神々しさに誰よりも多く接したはずなのに、あの膨大な日記に祭祀の神聖さはまったくうかがえません。それどころか、年末年始の重要な祭祀に「出なくていいのはうれしい」と手放しで喜んでいるほどです。
昭和天皇のご高齢は口実に過ぎません。別ないい方をすれば、昭和の祭祀簡略化の動機は、昭和天皇ではなくて、入江自身の加齢でしょう。入江の肉体的負担が昭和天皇の負担にすり替えられたのです。
平成のいま、渡邉前侍従長が「ご負担」を強調するのと構造的に似ています。
あにはからんや、祭祀の簡略化によって激務から解放されたのは陛下ではなく、側近の侍従でした。
たとえ御代拝となっても、その間、陛下は御座所で正座のまま祈りのときを過ごされます。宮中三殿の祭儀だけでなく、1年365日、つねに祈りを捧げている天皇にとって、形式的な祭祀簡略化は無意味です。
しかし御代拝なら、侍従に出番はなく、着慣れぬ装束も、長時間の正座も不要です。
入江による昭和の祭祀簡略化は動機が不純で、論理的一貫性にも欠けていました。ご負担軽減を理由に祭祀を「簡素化」しておきながら、昭和天皇・香淳皇后のヨーロッパ(46年)、アメリカ(50年)への公式ご訪問が行われたのはその最たるものです。
そしてこの矛盾を官僚的な先例主義で引きずっているのが、いまの宮内庁です。
▽5 「退位」を口にされた昭和天皇
入江侍従長は祭祀の本質をほとんど理解できずに、「お上のお祭、来年は春秋の皇霊祭と新嘗祭。御式年祭もおやめに願い、再来年にはぜんぶおやめ願うこと、植樹祭、国体はやっていただく」(入江日記、昭和56年11月7日)などと公言してはばからない、いわば俗物でした。
入江は祭祀の「簡素化」を皇太子(今上天皇)の発議、皇族の総意によって進めようという工作までしたようですが、祭祀の空洞化は、「無神論者」を自称する、警察官僚出身の富田朝彦宮内庁次長(のちの長官)が登場し、憲法の政教分離原則への配慮が前面に押し出されることで本格化します。
転換点は50年8月15日の長官室会議で、天皇に代わって侍従が宮中三殿を拝礼する毎朝御代拝は、烏帽子、浄衣に身を正すのではなくてモーニング姿で、三殿の外陣ではなくて庭上から行われることなどが決まった、と側近の日記に記されています。
その背景には、公務員は特定の宗教である神道儀式には関われない、という誤った絶対分離主義的発想がありました。
際限ない祭祀簡略化に対して、祭祀王を自覚する昭和天皇が同意されるはずはありません。それどころか、陛下は「退位」を口にされました。入江日記にはこう記録されています。
「11月3日の明治節祭を御代拝に、そして献穀は参集殿で、ということを申し上げたら、そんなことをすると結局、退位につながるから、と仰せになるから……」(昭和48年10月30日)
この年の入江日記からは、昭和天皇が幾度となく退位、譲位について表明されたことが読み取れます。祭祀こそ天皇第一のお務めであるという大原則に立てば、入江らが工作する無原則の祭祀簡略化がどれほど受け入れがたいことだったでしょうか。
しかし入江らの簡略化は舞台を「オク」から「オモテ」に移し、激化したのです。
そしてその一部始終を皇太子のお立場でご覧になっていた今上陛下が、40年後のいま、先帝と同様の状況に立たされています。
しかし側近たちが昭和の先例を持ち出して、祭祀の簡略化を迫るのを、陛下は「まともに取り合おうとはなさいませんでした」(渡邉前侍従長の「諸君!」インタビュー)。当然です。
天皇の祭祀には御代拝の慣習があります。戦前の皇室祭祀令は、大祭・小祭のうち、元始祭や紀元節祭など大祭の場合、天皇がみずから親祭になれないときは、皇族または掌典長に祭典を行わせる、と明記していました。
祭式は形式ですが、単なる形式ではありません。茶道などでもそうですが、所作の形に意味があるのであって、形を破ることは神への冒涜につながります。
にもかかわらず、入江が旬祭の親拝を年2回に削減し、新嘗祭を夕の儀のみとするなど、祭式を改変させたのは、俗物なるがゆえに、単なる形式と考えたからでしょう。もしご健康に不安があれば、祭祀の簡略化などせずとも、旧祭祀令に準じて、御代拝を採用すれば十分なのです。
けれども、新嘗祭だけは御代拝ができないという考え方があります。明治になって成文化された祭祀令では、新嘗祭も大祭に分類されていますから、掌典長に祭祀を行わせればいいはずですが、そうではないというのです。
それは天皇の本質と関わっています。
天皇は私を去って、ひたすら国と民のために祈ることで、この国を治め、民をまとめ上げ、社会を安定させてきました。
拙著に書いたように、稲作民の米と畑作民の粟の新穀をともに捧げ、神人共食の直会をなさる新嘗祭は、天皇がなさるからこそ意味を持つ国民統合の儀礼と理解できます。天皇以外の皇族や掌典長が祭りを奉仕しても意味をなしません。
したがって昭和天皇が、入江侍従長から新嘗祭の簡略化を進言されて、退位まで口にされたのには、それだけの理由があります。
歴代天皇は祭祀こそ最大のお務めと考え、実践されました。昭和天皇も今上陛下も同じお考えでしょう。その天皇から祭祀を奪うことが、陛下ご自身にとっていかなる意味を持つのか、拝察するのもはばかれます。
▽6 天皇の祭祀は「私的な活動」?
しかし現実にいま、宮内官僚たちはご負担軽減と称し、昭和の先例を持ち出し、さらに「陛下のお気持ちに沿って」と強弁して、祭祀の簡略化を断行しています。
それほど陛下のご健康問題が深刻なら、法的根拠があるわけでもないご公務を削減すればいいものを、ご公務の件数はいっこうに減らないどころか、ますます増え、長期の外国ご訪問までが実施されました。
問題は天皇の本質をどう見るかにかかっています。
古来、天皇は祭祀王の立場にあります。しかしテクノクラートたちにとっての天皇は、政府すなわち官僚の意思のままに動く近代的な国家機関に過ぎません。
宮内官僚たちが女性天皇容認、女系継承容認の皇室典範改正を熱心に推進していることとも共通しますが、エリートたちが考える天皇は、悠久なる歴史的存在としての天皇ではない、ということでしょう。天皇が名目のみの国家機関の1つに過ぎないのなら、男性でも女性でもかまいません。
渡邉前侍従長は先のインタビューで、こう語っています。
「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」
「つねに国民の幸せを祈るというお気持ちをかたちにしたものとして祭祀がある」と語るほど、祭祀への理解が浅からぬ前侍従長ですが、それでも、通俗論的な憲法解釈から抜け出せないのでしょう。
しかし、天皇の祭祀が天皇の私的な行為だというのなら、渡邉前侍従長が公務員の立場で進言し、介入したのは、分をわきまえぬ不遜な越権であると同時に、官僚たち自身の政教分離主義に反することになります。自家撞着です。
前侍従長はインタビューの最後に、憲法論に触れ、「今上陛下はご即位のはじめから現憲法下の象徴天皇であられた。陛下は、そのような立場で何をなさるべきかを考え続け、実行し続けて、今日までこられた」と述べています。
現行憲法には、天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴である、と規定され、陛下は会見などでしばしばこのことに触れられていますが、前侍従長とはニュアンスが異なるのではないか、と私は思います。
簡単にいえば、前侍従長はあくまで現行憲法を起点とする象徴天皇論ですが、陛下は歴史的な背景を十分に踏まえたうえでの議論だと思います。それは当然のことで、古来、祭祀の力で国と民をまとめ上げてきた長い歴史があるからこそ、象徴たる地位があるのです。
しかし官僚たちの天皇論は、天皇の歴史への関心は薄く、時代が変わり、憲法が変われば、右に左に揺れる融通無碍の危うさがあります。そしてそれがまさにテクノクラートたるゆえんなのです。
官僚たちが進める理屈の通らないご負担軽減で、これから先、何が起きるのか。間違いなくいえるのは、天皇が非宗教化し、単なる「象徴」という存在に成り下がるということでしょう。
それは天皇の祈りを中心に、多様なる国民が多様なるままに統合してきた日本の多神教文明が崩壊し、無神論国家化するということです。
▽7 取り込まれた保守派人士
そのような状況に際して、反天皇論者ならいざ知らず、祭祀の専門家たちも、尊王論者たちも沈黙しています。知らぬ間に取り込まれているからです。
渡邉前侍従長は今年6月、伊勢神宮のお膝元で開かれた神社関係者の集まりで講演し、「祭祀簡略化を進言したのは私だ」とみずから告白したといいます。
しかし、曾祖父は宮内大臣、父親は昭和天皇のご学友という高貴な出自を誇り、自身は東大法学部を卒業したあと、外務官僚としてキャリアを積み、その後、宮内庁に入り、8年12月から10年以上も陛下のお側にお仕えした華麗きわまる経歴の持ち主ならではのお話に、聴衆はむしろ感激したと聞きます。
前侍従長の告白はこれが初めてではありません。私が知るかぎり、最初は15年暮れに行われたという雑誌インタビューです。
「昭和天皇が今上陛下のお歳のころは、冬の寒いときや夏の暑いときには旬祭はなさらず、掌典長が御代拝を勤めていました。陛下のご負担を思うと、そうしていただいた方がよいかと思うこともありますが、陛下はなかなか『うん』とはおっしゃいません」(渡邉『平成の皇室』所収)
読者はもうこの発言の誤りが理解されるでしょうが、インタビューは保守派の運動団体の機関誌に掲載されました。タイトルは「国民とともにある皇室」。国民1人ひとりに心を寄せられる両陛下の日常を紹介し、「国民の幸せを願われ、具体的なかたちに現れたのが宮中祭祀である」とまで述べ、天皇の祭祀への理解を示した記事でした。
そこにさりげなく添えられた打ち明け話に目をとめ、疑問を抱く人はまれだったでしょう。
やがてインタビュー記事は、ほかの講演録などとともに小さな本にまとめられましたが、出版社の代表は保守派の重鎮中の重鎮です。
祭祀の専門家たちも、保守派の運動家たちも、保守派の重鎮も、まさか皇室の伝統を度外視した宮中祭祀の簡略化に賛成しているわけではないでしょう。しかし、結果として、簡略化推進派に押し流されてきたのでしょう。それだけ有能な日本の官僚は根回しが巧みなのです。
皇室を大切に思うことにかけては誰にも引けを取らないはずの保守派人士たちが、平成の宮中祭祀簡略化につゆほどの抵抗も見せていないどころか、お墨付きを与えている、ということになれば、事態はさらに悪化します。
私がいま、もっとも心配するのは、今年11月の新嘗祭です。御在位20年、御結婚50年という佳節の年に、2千年を超えるとされる皇室の伝統を無視した無残な祭りとなっては、歴史に禍根を残します。
私と問題意識を共有し、現状を憂える読者の皆さん、どうぞ発信してください。それでなくても、目下、私のメルマガで追及しているように、皇室洋語を謳いつつ、破壊を促すような、皇太子殿下の「廃太子」を騒ぎ立てる「陛下の級友」さえいるご時世です。
ごくふつうの常識人の声が必要なのです。
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