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所功先生、「真剣な議論」には「正確な歴史」が必要ではありませんか?──朝日新聞・中田絢子キャップの記事を読んで(令和6年11月5日)


案の定です。女系継承容認派が蠢き出しました。まずは代表的論客の所功先生です。

先月29日に国連女性差別撤廃委員会が「最終見解」で、「男系男子」継承を定める皇室典範の改正を勧告したのに対して、朝日新聞(中田絢子・宮内庁キャップ)はすかさずその翌日、所先生に取材し、皇室典範が「男系男子」に限定した「2つの理由」を語らせ、「前提が変わっている」のだからとして、「真剣な議論」の喚起を提起しています。

そして、案の定、先生の発言には、少なくとも記事を読むかぎり、歴史のつまみ食いが散見されます。先生は歴史家として正確な史実を知っているはずでしょうに、研究者の顔と論客の顔を使い分け、偏った情報で読者を都合の良い方向に誘導しているかに見えます。

◇1 「男女平等」は目的か手段か?


先生はまず、「天皇や皇族という特別な身分のあり方は、一般国民に認められている権利とは区別して考えるべきだ」と指摘しています。これはさすがの見識です。いや、どうでしょう。

要するに、小嶋和司・東北大学教授が指摘したように、「男女差別の撤廃は『人権』保障に関わる問題である。しかし皇位継承権はおよそ『人権』ではあり得ない」ということです。憲法上、「天皇」という特別の地位が認められるなら、「法の下の平等」原則を皇位継承の領域に持ち込むべきではありません。

とすれば、この朝日の記事にあるように、今回の勧告も、「皇室典範の規定は女性差別撤廃委員会の権限の範囲外だ」とする日本の立場に「留意する」のなら、議論はそこで終わってしかるべきです。ところが勧告は、「皇位継承の男女平等」を保障する法改正をあくまでも促しています。take noteするけれども、それ以上ではありません。むしろ煽っています。

そして、所先生です。記事によれば、「勧告の有無に関わらず、皇室制度は、日本の歴史や現実を踏まえ、根本的に議論すべき問題が存在しているとみる」とし、「勧告の有無にかかわらず」に、「皇族の男女を確保して安定的に皇室制度を引き継いでいける」ための議論を呼びかけています。所先生の女性天皇・女系継承容認論は、男女平等論議とは一線を画すものという自己認識でしょうか?

要するに、「男女平等」論ではなく、「男系男子」限定主義の否定ということでしょうか。「男女平等」を目的とする原則論ではなく、「男女平等」を手段とする現実論という意味でしょうか。しかし、いずれにせよ「男女平等」論なのではありませんか。「勧告の有無にかかわらず」は、私には、巧みな目くらまし戦術のように映ります。その目的は、「勧告」を否定したい日本政府へのすり寄りでしょうか? 

先生は泣く子も黙る女帝容認=「女性宮家」創設論のパイオニアで、政府の改革を先取りするお立場でした。すでに平成16年当時、つまり政府・宮内庁が典範改正の公式検討を準備していたころから、「管見を申せば、私もかねてより女帝容認論を唱えてきた。……まず『皇室典範』第12条を改めて、女性宮家の創立を可能にする必要がある」と雑誌記事に書いているほどです。

しかし、なぜか、近年はトーンダウンしていました。令和3年4月21日の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議のヒアリング(第3回)では、「安定的な皇位継承のために、現行では『皇統に属する男系の男子』に資格を限定しているのを改め、男系男子を優先したうえで、男系女子にまで容認する」とレジュメにあります。「男系男子」限定主義の否定は消えました。

それでは今回はどうでしょう。「男系男子」優先は維持されたのか、それともまたしても変説したのか。私には後者のように見えます。なにしろ「男系男子」限定への懐疑ですから。お国に忠誠を尽くす健気な姿勢な一貫しています。

◇2 所先生の「皇位継承」史論には無理がある


記事によれば、所先生は、明治の皇室典範はなぜ「男子に限定したのか」との問いに対して、まず歴史の問題として、①実務上の理由から男子優先の慣例が続いてきた、②近世まで「男系」「女系」を区別する論議は見当たらない、③明治の皇室典範草案は女子の継承を認めていた、④伊藤博文や井上毅らが「男系男子」に限定した、と答えています。

そのうえで、所先生は、これには「2つの理由が考えられる」と解説しています。

1つの理由は、当時の皇族男子は軍人とされ、その上に立つ天皇は軍の統帥権を有することから、導かれたとするものである。もうひとつは、明治の典範では庶子の継承が認められ、それだけ男子確保の可能性が求められたが、その背景には男尊女卑の観念があった。戦後は、皇族男子を軍人とする必要がなくなり、庶子の継承や側室も否定された。このとき「女子にも継承資格を認める議論をすべきだったが十分になされなかった」と所先生は説明するのです。

そして所先生は、結論として、「男系男子に限ることにした前提が二つとも変わっている」から、「安定的に皇室制度を引き継いでいける」ように「真剣に議論する」ことを訴えています。

しかし私から見ると、先生の論理の展開には無理があります。以下、簡単に羅列します。

1、朝日の記事は、「(明治の典範は)それまで明文上の制約がなかった資格者を男子に限定」と書いていますが、きわめて不正確です。以前は「不文の大法」とされたのを、明治9年9月の「国憲起草の詔」ののち、皇位継承法の明文化が構想されたというのが事実でしょう。

国憲起草の詔@国立公文書館
〈https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000004/00〉


2、先生は、男子優先の「慣例」が続いてきたのは「実務上の理由」からだと説明していますが、意味不明です。天皇は古来、公正かつ無私なる祭り主です。男系主義の理由は天皇=祭り主だからでしょう。しかし残念ながら、これを論理的に、かつ現代的に説明できる皇室研究者がいないのです。

3、先生は、「近世まで、『男系』と『女系』をしいて区別するような論議は見当たらず」と語ったようですが、皇統が男系主義であることが当たり前のことなら、「強いて議論」する必要はありません。

4、先生が指摘したように、明治の皇室典範草案は女子の継承を容認していました。たとえば、元老院の国憲按は「もしやむことを得ざるときは」として女統継承を認めました。「国憲起草の詔」には「海外各国の成法を斟酌し」とあり、元老院の「女統女帝」肯定論はオランダ憲法に準拠したものだと、戦後唯一の神道思想家・葦津珍彦がまとめた『大日本帝国憲法制定史』は説明しています。

5、先生は、明治の女帝容認論を潰したのが伊藤博文や井上毅らで、「あえて『男系男子』に限定した」と説明したようですが、元老院案の「女統継承」が削除されたのは東久世通禧らの要求によるもので、「万世一系の皇統」に抵触するからです。

6、井上毅が女統女帝説に強く反対したのは事実ですが、井上の反対意見書は政敵でもあった嚶鳴社の島田三郎や沼間守一の意見が全面的に採用されています。意見書は、イギリスでは女帝が継承すれば王朝が変わる。ヨーロッパの女系説を採用すれば「姓」が変わることを承認しなければならない。皇位継承は祖宗の大憲がある。けっして女系異姓の即位を認めるような欧州の制度を真似るべきではない、と反対論を展開しています。記事にあるように、「あえて」ではありません。補足すると、明治以降、終身在位制が採用され、譲位が制度的に否定されましたから、女帝継承はとりもなおさず王朝の変更を意味します。

7、戦前の天皇・皇族が軍服を召されたのは事実ですが、それにはヨーロッパ王室の影響があるでしょう。誰でも、軍服姿のエリザベス女王を一度は見たことがあるはずです。昭和天皇が戦後、軍服を召されなくなったのは、「軍人とする必要がなくなった」からではなく、戦争に負け、武装解除したからでしょう。

8、先生は、明治の時代が男尊女卑の時代で、そのことが「男系男子」限定主義の「理由」であるかのように説明したようですが、まったく逆です。「男女同権の時代に男女が等しく皇位を継承するようになるのは各国共通で、日本だけ男系に固執するのは時代に反する」という女帝容認論に対して、先述した島田三郎は、古来、わが国の女帝は登極ののち、独身を守り、至尊の地位を保ったため威徳を損なうことがなかったが、これは道理人情にかなう制度ではなく、今日、採用すべきではない、と反論したのです。

9、先生は戦後の皇室典範制定の段階で、女性天皇容認の議論をすべきだったが、十分にできなかったと説明しますが、小嶋和司教授が指摘しているように、憲法制定過程では男系制が支持され、女帝容認の議論は不要と考えられたのです。①GHQ民政局は男系制を批判と対象としなかったし、②アメリカ政府による日本政体改革のための秘密指令には、天皇は男性名詞で表現されていた、③「マッカーサー・ノート」には「his successionはdynastic」と書かれている、などと史実が紹介されています。

マッカーサー・ノート@国会図書館

10、歴史上、女性天皇は8人10代存在します。否定されたのは、妻であり、母親である女性天皇の存在です。なぜなのかが説明されていません。男子か女子かという議論が誤っているのです。

11、記事は、悠仁親王の御誕生以降、「安定的な皇位継承の議論が進んでいない」と指摘していますが、議論の前提となる「皇位」に関する考え方や「安定」の目的についての合意が欠けています。126続く天皇の「継承」なら当然、男系でなければなりません。国事行為や御公務をなさる特別公務員なら、男女は問われません。

12、以上、書き連ねたようなことは、私などより造詣の深い所先生には、先刻承知の、常識の範囲内ではないでしょうか? 先生は結論として、「真剣な議論が必要だ」と語ったそうですが、不正確な歴史認識や史実のつまみ食いからは「真剣な議論」は生まれないでしょう。朝日新聞の中田キャップもまた、「議論」の前提となる、この程度の知識・情報は分かりきったことではないでしょうか。少し調べれば、誰にだって分かります。より正確な歴史に基づけば、もっと別な記事が書けるでしょう。

13、朝日の記事には、辻田真佐憲氏と塚田穂高氏のコメントが載っています。辻田氏は「一部保守派が男系男子に固執してきたことで、皇位継承問題の議論が硬直化してきた」と述べていますが、まったく事実に反します。「皇位継承問題」とは何か、「皇位」とは何か、がそもそも問われているのです。一方の塚田氏は「議論の先送り」体質を問題にしていますが、約30年前から政府・宮内庁が公式・非公式に検討してきた制度改革の目的と中身こそが問われるべきです。

14、最後にあらためて、中田キャップに申し上げます。記事は、この約20年ほど、「安定的な皇位継承の議論はほとんど進んでいない」と指摘していますが、それはとりもなおさず、まともな議論を喚起し得ていないジャーナリズムの責任でしょう。この記事にあるような底の浅い問題意識や不正確な情報で、議論が深まるはずはありません。お2人の識者のコメントはその証明です。中田キャップさま、そして朝日新聞さまには、アカデミズムの勉強不足を指摘し、叱咤し、挑発してほしいものです。


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