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大嘗宮の神座に座す神(令和5年1月2日、月曜日)


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


さて、昨年来、大嘗祭・大嘗宮の儀の神饌御親供の実態から、天皇による「米と粟の祭り」の意味を考えてきた。テキストに使用したのは、真弓常忠・皇學館大学名誉教授の『大嘗祭』である。考察を深める過程で、ひとつの大きな謎として浮かび上がってきたのは、先生が問いかける、大嘗宮の神座である。中央に置かれた神座はただひとつ、そこに座するのは如何なる神なのか、である。


話を進める前に、大嘗祭の「秘儀」について、書いておくことにする。大嘗祭、とりわけ大嘗宮で新帝がなさることは秘儀である。だから、一条兼良が書いたように「委しく記すに及ばず」「たやすく書きのすることあたはず」である。


しかしそれにしては酷すぎる。「米と粟の祭り」のはずが、「稲の祭り」とされ、オカルトチックな真床追衾論がまことしやかに徘徊している。誤解の上に誤解を重ねるのは許されないと思い、おっとり刀で挑み始めたのだが、皇室のイメージ・ダウンを狙う左派たちの真床追衾論より深刻なのが、保守派たちが信じ込んでいる「稲の祭り」論である。口をきわめて「米と粟」を訴えても、暖簾に腕押しの感が否めず、途方に暮れる。


秘儀であれば、詳細は書くべきではない。しかし誤りを正すには、書かざるを得ない。じつに悩ましい。


▷1 1座=1神なのか?

大嘗祭の秘中の秘といえば、真弓先生が問いかける、大嘗宮の中央に位置する神座である。先生は神座はただの一座だから1柱の神と考え、天照大神だと結論づけている。


しかしそうなのだろうか、私は違うのではないかと思う。そして、天皇の祭りの奥深さに打ち震える感慨と感動を覚えるのである。


真弓先生の推論の前提は、1神座=1柱の神という原則論である。しかしこれは絶対的とはいえないだろう。


たとえば、真弓先生が宮司として奉職した摂津国一之宮・住吉大社(大阪市住吉区)の場合を考えると、境内には第一本宮から第四本宮までのうち、第一、第二、第三本宮が東から西へ、大阪湾に向かって直列に配され、それぞれに住吉三神の底筒男命、中筒男命、表筒男命が祀られている。


これはまさに1座=1柱ということになる。余談だが、皇學館大学の神道博物館には、住吉大社から寄贈された、本殿神座として殿内に安置されていた御帳台が展示されている。江戸期に火災で焼失した本殿に代わり、火災を免れた摂社の神座が代用された。そのときのものとされる。ただし、大嘗宮にも登場する色鮮やかな八重畳などは復元品らしい。むろん1座である。〈http://kenkyu.kogakkan-u.ac.jp/museum/collection_museum.php〉


ところが、同じ住吉三神を祀るお宮でも、長門一宮・住吉神社(下関市)の本殿の場合は様相が異なる。


▷2 国民統合の国家儀礼

第一殿から第五殿までが、ほぼ東西に直線に連結され、それぞれに神座があり、それぞれの神が祀られている。そして第一殿に鎮まるのが住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)である。つまり、3柱の神が1座の神として祀られているということになる。


もう一例を挙げると、近代になって創建された靖国神社の場合は、246万余柱の祭神が1座の神として祀られている。さまざまな立場の英霊が、かけがえのない命を国に捧げたという一点において、分け隔てなく、あたかも1柱の神のごとくに祀られている。


とするならば、大嘗宮の1座の神座をどのように理解すべきだろうか?


あくまで天照大神1神だとするなら、「天照大神、また天神地祇、諸神明にもうさく」と神前に祝詞が奏上されること、「米と粟」を供饌することをどのように説明するのか、説明できるのか?


真弓先生は、神座は1座で、神膳薦の枚手が10枚であることについて、神座に座すのは天照大神一神で、神膳を供薦する対象となる神々が多数おられるという解釈だが、十分に納得できるだろうか?


もし「天照大神、また天神地祇、諸神明」をあたかも1柱の神のごとくにまつり、それゆえ「米」のみならず「粟」を供饌し、直会なさるのだとしたら、どうだろう。これこそが天皇=スメラミコトによる国民統合の国家儀礼に相応しいということにならないだろうか?


だとしたとき、これを衆人環視のもと、公開で行わずに、誰も見ない聖域で、代々、「秘儀」として行われてきたことの意味をこそ噛みしめたいと思う。

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