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もっと聞きたい、園部参与との丁々発止──八木秀次教授の「女性宮家」ヒアリングを読む(2012年8月5日)


 前回に引き続き、7月5日に行われた第6回皇室制度有識者ヒアリング(いわゆる「女性宮家」有識者ヒアリング)の議事録を読むことにします。今回は八木秀次高崎経済大学教授の議事録です。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html


 その前に、先日、政府がヒアリングの論点整理に取り掛かっていることが伝えられました。今秋までにとりまとめられるようです。その後、国民からパブリックコメントを募集し、政府の素案をまとめ、来年の通常国会に皇室典範改正案を提出するというのが政府の考えのようです。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120801-OYT1T01203.htm


 政治的日程は押し詰まっていますが、肝心の議論は出尽くしたといえるのでしょうか、慎重さが求められるテーマだけに、心配でなりません。


▽1 挑発する八木教授



 さて、八木教授のヒアリングで断然、注目したいのは、巷間、いわゆる「女性宮家」創設推進派とも目される園部逸夫内閣参与(元最高裁判事)との丁々発止です。

 最初のポイントは、園部参与の雑誌コメントです。

 八木教授は、30分間のヒアリングをほとんど皇位継承論で終始しています。政府の基本前提は、「皇位継承とは切り離す」ということですが、「果たして本当に切り離せるのか」という「懸念」があるからです。そして、その根拠の1つとして紹介されているのが、園部参与の「分析」です。

「分析」は「週刊朝日」2011年12月30日号に掲載された岩井克己朝日新聞記者による「『内親王家』創設を提案する」でのコメントで、以下のようなものでした。


「夫、子が民間にとどまるというわけにはいかないから、歴史上初めて皇統に属さない男子が皇族になる。問題はどういう男性が入ってくるか。また、その子が天皇になるとしたら男系皇統は終わる。女性宮家は将来の女系天皇につながる可能性があるのは明らか。たくさんの地雷原を避けながら条文化し着地できるか」

 当メルマガが伝えてきたように、もともと女性天皇・女系継承容認論と「女性宮家」創設論は政府が進める皇室典範改正の2つの柱であり、究極的には同じ議論でしたから、園部参与の「分析」は至極まっとうなもので、八木教授も「極めて論理的」と評価しています。というより、むしろ挑発的です。挑発はさらに続きます。


▽2 園部参与の著書からの引用


 2番目は、日本国憲法と広辞苑が、女系継承容認論の根拠とされている、という指摘で、憲法第2条「皇位は世襲のものであって」という規定に関する、園部参与の著書『皇室法概論』の記述を紹介しています。参与の著書にはこう書かれています。


「『世襲』の意味内容をも、男女両方の血統を含むと考えられる一般的な世襲概念を離れ、男系による継承と解さなければならないとまでは考えない。
 むしろ、旧憲法第二条が『皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス』と定め、旧制度は男子による皇位の継承が憲法上の制度であったのに対し、現行憲法第二条は男子が継承する旨を定めていないことからも、憲法は皇位継承資格を男系男子に限定せず、皇室典範第一条によって皇位継承資格は男系男子に限られたものと考える方が無理がないと思われる」(318ページ)

 八木教授は、こうした園部参与の見解は「皇室を日本国憲法の枠内に閉じ込められる発想であろうか」と述べ、さらに3番目として、園部参与の論は皇室典範を誤読している、と指摘しています。つまり、こうです。

「伊藤博文『皇室典範義解』(同『憲法義解』128頁)に『皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり』とあるが、これは男女両系を含み得る観念である皇統の中から旧皇室典範は制度として男系を選択したということを述べているものと考えられ、同じく伊藤博文の『大日本帝国憲法義解』(同書25頁)には『皇男子孫とは祖宗の皇統に於ける男系の男子を謂ふ』とあり、ここでも男系を皇統として選択したことを前提とした説明をしている」


 ここでは、皇統には男女両系が含まれ、その中から男系を選択し、さらに男子を選択するという「三重構造」をしているけれども、皇室典範はそのような認識に立っていないというのが八木教授の指摘です。明治21年5月に枢密院で、「皇統にして男系の男子」(旧皇室典範)の「男系」の削除が提案されたとき、伊藤博文は「将来において、わが皇位の継承法に女系をも取るべきにいたり、上代祖先の常憲に背くことを免ず」と反対したことが知られているからです。

 さらにもう1点、有識者ヒアリングの5回目の会合で、園部参与が旧皇族の復帰は難しい旨を述べたことについて、八木教授は「賛同しかねる」「最近の世論調査では、国民も半数近くが好意的になっている」と批判しています


▽3 かみ合いかけた議論



 こうした批判に対して、園部参与は意見聴取後の10分間の質問タイムで、反論し、反問を加えています。

 たとえば、「週刊朝日」の記事のコメントについては、「『選択』4月号の岩井記者の記事にあるように、論点を申し上げたのにすぎない。私は女系天皇論者ではない。ターゲットにされてははなはだ迷惑」というのです。

 また、著書に対する言及についても、「皇位継承制度に関する議論に関連したご紹介である」と弁明しています。

 反論にしては、幾分、腰が引けているのですが、そのうえで、「ヒアリングの場であって、議論の場ではない」として、園部参与が以下の3点を質問していることは注目されます。

(1)現行憲法が定める象徴天皇制度について、皇室制度の長い歴史のなかでどう受け止めているのか?

(2)象徴天皇制度は天皇が国家国民のためにさまざまなご活動をなさることで維持されている、という考え方についてどうお考えか?

(3)女性皇族が臣籍降嫁したのち、尊称をお持ちいただく場合、その範囲は内親王、女王、どの範囲までがふさわしいとお考えか?

(1)(2)の質問は非常に重要で、政府が進める、「皇室のご活動」維持を目的とする「女性宮家」創設の核心部分かと思われます。

 八木教授が指摘したように、日本国憲法と広辞苑が女系継承容認論の、そして「女性宮家」創設論の根拠です。戦後の憲法と戦後の常識が議論の出発点なのです。私が言う、1・5代象徴天皇制度です。125代にわたる歴史的天皇制度でも、明治以来の4代目近代天皇論でもありません。

 八木教授は今回のヒアリングで、いみじくも光格天皇の事例を紹介し、伊藤博文の『皇室典範義解』を引き、旧皇室典範を引用し、意見を述べていますから、歴史的な天皇制度を基本に置く立場から、園部参与の質問にまっ向から答えるかと思いきや、意外にも、そうではありませんでした。

 八木教授は、(1)の質問について、現行憲法の定める象徴天皇制度がイギリスのウォルター・バジョットの著書がルーツであることを説明し、「イギリスの立憲君主制のあり方が、図らずも天皇の制度のあり方をよく表現したものになっている」と指摘するにとどまっています。

(2)については、八木教授は「趣旨がよく理解できない」と答え、議論がかみ合いません。園部参与は「象徴天皇制度は天皇陛下がさまざまなお仕事をなさることで維持されている」という今回の「女性宮家」創設論の基本的考えを示したのに対して、八木教授は天皇の機能の部分だ」という理解を示します。

 すると、園部参与は「機能であり、天皇陛下のご意思の問題である」とはじめて議論めいた言葉を発し、八木教授は「前提は世襲だ」と応じていますが、残念ながら議論はここで終わりました。


▽4 本質論を避けている?



 指摘したいのは、次の2点です。

 1点は、125代の歴史的天皇制度の視点からは、つねに行動し、社会的に活動する天皇・皇室論は生まれてこないはずです。歴史的天皇は国と民のために無私なる祈りを捧げることを継承してきたのです。祭祀王としての天皇です。

 政府サイドの園部参与が、行動する近代的天皇論の立場から、「女性宮家」創設を議論するのは理解できるのですが、女系継承および「女性宮家」創設に反対を唱える八木教授が、「女性宮家」を創設しなくても、内親王・女王の称号の継続と予算措置によって、皇室の活動をサポートしていただくようにすればよい、と結論するのは、いかなる立場に立ってのことでしょうか? 行動する近代的天皇論の立場に立つのなら、立脚点は「女性宮家」創設論者と変わらないことになるでしょう。

 近代の天皇制度は、歴史的天皇としての祭祀王の側面と欧米列強に対抗できる近代的立憲君主としての側面を併せ持っていたはずですが、今日の「女性宮家」創設論議はいずれをも否定した非宗教的な名目的君主制度への変質を促しているように見えます。同時並行的に宮中祭祀の改変が進んでいることからも明らかです。

 これに対して、反対派の議論は十分に対抗し得ていないように思います。「右手に憲法、左手に広辞苑」というジャーナリスティックな指摘では足りません。

 2点目は、これに関連して、「女性宮家」創設論の目的が、「皇室のご活動」維持論から、天皇のご活動論に、政府関係者によって、しばしば言い換えられていることです。政府が手をつけたいのは天皇のご公務を制度化し、そのために「女性宮家」を創設するということなのでしょうか?

 以前にも申し上げたように、憲法は天皇の国事行為については規定しています。けれども、陛下のご活動は憲法に規定されてはいません。まして皇族方のご活動は法的に定められているわけではありません。それでいながら、今年(2012年)2月、陛下がご入院されたとき、皇后陛下は、海外に赴任する日本大使夫妻とお茶に臨まれ、離任するペルー大使をご引見になりました。天皇陛下はご入院・ご不例で拝謁、ご引見をお取り止めになり、皇后陛下がお一人でご公務に臨まれたのですが、そのようにする法的根拠はどこにあるのでしょうか?

宮内庁が公表する平成24年2月の天皇皇后両陛下の御日程


同上、同年3月。3月7日に皇后陛下が離任ペルー大使をご引見になっている


 歴史的に存在しない「女性宮家」なるものを創設してまで、維持しなければならない「皇室のご活動」とは何でしょうか? 八木教授は、皇位継承論に目を奪われ、より本質的な議論を避けているように、私には見えます。

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