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新嘗祭は必ずしも「稲の祭り」ではない。宮中新嘗祭は「収穫の祭り」ではない──「新嘗を祝う集い」に参加して気になったこと(令和6年11月30日)
◇1 今年で41回目
先週、「新嘗を祝う集い」が都内で開かれ、老若男女が20人余り集まった。今年はじつに41回目で、主催者によれば、茨城や千葉にも同志がいて、合わせると200人ほどが「集い」に参加しているらしい。出不精の私も、この会だけは例年、欠かさず参加している。
新嘗の日に合わせて、各自が一品ずつ食べ物を持ち寄るというのが趣向で、日本酒やお赤飯、いなり寿司などが祭壇に捧げられた。私はいつものように粟おこわを作って、持参した。
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第一部の祭典が終わると、第二部の直会で、各自の自己紹介がある。これがなかなか楽しい。いろんな人が参加しているんだなあと感慨深く思う。
◇2 「米の民」であったかのように
一点だけ気になることがあった。新嘗祭は「稲の祭り」「収穫の祭り」という説明が、当たり前のようにされていたことである。そういえば、主催者の案内にも「稲」が何度も繰り返されている。
私は「稲ではない」「稲だけではない」と言い続けてきた。だから、宮中新嘗祭の粟御飯(あわのおんいい)に似せた粟おこわを毎回、持参するのだが、不徳の致すところというべきか、なかなか理解されないということが痛いほど実感される。
古い文献でいえば、『常陸国風土記』に登場する新嘗は、粟の新嘗である。人々は年の変わり目に、各家に忌み籠りして、祖霊を迎え、交流したのである。その際の新穀は粟である。「新嘗=稲の祭り」と思い込んではいけない。
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そもそも稲は熱帯・亜熱帯の原産で、帰化植物である。柳田國男がいうように、日本人は昔から「稲作民族」「米食民族」だったわけではない。柳田には稲の伝来をテーマにした『海上の道』という著作がある。
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にもかかわらず、古来、「米の民」であったかのように思い込んでいるのは何故なのか、そこが問題なのである。いみじくも柳田は「稲作願望民族」と呼んでいる。「集い」では斎庭の稲穂の神勅が奉唱されたが、記紀に記録されたもうひとつの稲作起源神話である、女神の遺体から五穀が発生したとする死体化生の物語を忘れてはならない。
◇3 宮中新嘗祭は「米と粟」
他方、神嘉殿で執り行われる宮中新嘗祭の場合は、昭和天皇の祭祀に携わった八束清貫が書いているように、米と粟の御飯(おんいい)が捧げられる。「米と粟」であって、「米」だけではない。むろん「粟」だけでもない。
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つまり、民の新嘗と天皇の新嘗では、神饌の中身が異なるのであり、したがって当然、祭祀の目的も趣旨も異なるということになる。
民の新嘗は、参加者の誰かが説明したように、「収穫の祭り」である。だから、「粟の新嘗」もあれば、「稲の新嘗」もあり得る。しかし「米と粟」はありえない。それでいいのである。粟の民と米の民とは別である。ヤマとサトは別なのである。
いまでも米の穫れない地域はある。その場合、「米の新嘗」を行いたくても出来ないし、無理に行う必要もない。神への捧げ物は神から与えられた命の糧で十分である。地方の古い神社の場合、主たる神饌はしばしば米ではない。坪井洋文が明らかにしたように、正月に米の餅を食べない地域は全国に広がっている。「餅なし正月」「イモ正月」と呼ばれる。
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◇4 「聖寿万歳」を三唱する意味
天皇の新嘗は、「収穫の祭り」ではない。稲作民の米と畑作民の粟を、皇祖神ほか天神地祇に捧げて祈るのは、「収穫の祭り」ではなく、「国民統合の国家儀礼」だからである。
年に一度、収穫のときに合わせて、天皇=スメラミコトは新穀を神前に捧げ、みずから召し上がり、国と民の統合と蘇りを祈るのである。だからこそ、宮中新嘗祭は皇室第一の重儀なのである。
「集い」では「聖寿万歳」が三唱された。天皇の新嘗が「国民統合の国家儀礼」であればこそ、「聖寿万歳」を三唱する意味が見出されるのである。収穫儀礼ではないのである。
もし稲作民の収穫儀礼だというのなら、新嘗祭は稲作信仰に基づく宗教儀礼ということになる。憲法の政教分離原則からすれば、「国の儀式」としては行えないという解釈が成り立つ。しかし「米と粟」による国民統合の国家儀礼だとすれば、どうだろうか? 新嘗祭も大嘗祭も「国の儀式」として成立し得ることにならないか?
天皇は無私なる祈りによって、国と民をひとつに統合してきた。だからこそ、スメラミコトであり、祭り主なのである。宮中新嘗祭は年に一度の国民統合の儀礼だとした場合、「稲の祭り」だけであるならば、粟の民は疎外され、国民統合の機能は半減されるだろう。スメラミコトのお役目を果たすには、「米と粟」でなくてはならないのである。
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民の新嘗ならまだしも、宮中新嘗祭までもが「収穫の祭り」「稲の祭り」と言い続けるのは、オウンゴールを蹴り続けることにならないか? 陛下の宸襟を安んずることにはならないのではないか? ご理解いただけないものだろうか? 皇室論、宮中祭祀論の最大の論点がここにあるのである。