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池上彰先生の毒にも薬にもならない「皇位継承」論──「2.5代」象徴天皇論ではなく「126代」天皇の役割を語ってほしい(令和6年8月25日)


もう1週間前になりますが、8月18日付の弁護士JPニュースに、『《池上彰解説》「皇位継承」めぐる立法府総意とりまとめ先送り…天皇制存続を危ぶむ「皇室典範」は今後どうなる?』という短い記事が載り、Yahoo!ニュースその他に転載されました。日本を代表するジャーナリストの皇位継承論は、さぞ多くの人の目にとまったことでしょう。

リードによると、今年5月以降、「安定的な皇位継承」をめぐって、国会内で協議が行われてきたが、国会は閉会し、とりまとめは先送りされた。それなら「天皇の役割」について、憲法はどのように規定しているのか、ジャーナリストの池上氏に解説を求めたというのが趣旨です。といっても、記事自体は著書の『知らないでは済まされない日本国憲法について池上先生に聞いてみた』から、編集部が一部を抜粋、再構成したもののようです。

結論からいえば、拍子抜けするほど常識論的な内容で、新鮮味は何もありません。著書のテーマからすれば当然ですが、ここで語られているのは、誰でも知るような憲法論にすぎません。毒にも薬にもなりません。

そして、だからこそなのですが、池上先生には126代続いてきた「皇位」についての眼差しがまるでありません。なぜ皇位は「男系」で続いてきたのか、少なくともこの記事からは問題意識がうかがえません。とすれば、当然、「男系」が続く制度を模索すべきだという結論は出てくるはずはありません。

◇1 なぜ「国民統合の象徴」なのか?


記事はまず、憲法第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」を引用します。「天皇の役割は、いわば形式上のもの」としたうえで、「それでも、こうしたかたちをとっているのは、国の政治活動の節目節目で天皇が登場することは国民がひとつにまとまるうえで重要な役割を果たしていると考えられているから」だと説明しています。

つぎに記事は、天皇の「具体的な国事行為」を列挙し、「どれも天皇がおこなうことで国事としての重みと厳粛さがそなわります。それができるのは、日本でただひとり、天皇だけ」だと解説しています。

そして、いよいよ皇位継承論が展開されるのですが、憲法および皇室典範が定める「男系男子」継承主義によれば、愛子内親王には皇位継承権はない。現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮文仁親王以下、3人であると事実を述べたうえで、平成17年の皇位継承有識者会議では、「女子や女系の皇族に拡大することが必要」と報告された。その翌年に悠仁親王が誕生したが、もし将来、悠仁親王に男子が生まれなかったらどうなるのか、「現行の皇室典範では天皇制の存続が危ぶまれているのはいまも変わらない」と結び、読者に問題を投げかけています。それだけです。

有識者会議の報告書を受け取る小泉総理

ただ、この記事を読んで、さすが池上先生だと思ったのは、「国民がひとつにまとまる」ための役割、つまり「国民統合の象徴」としての天皇に注目していることです。ならば、なぜ天皇には「国民統合」が可能なのか、そこを追究してほしいものです。

しかし、池上天皇論というより、いまの憲法のどこにも、その根拠は見出せないと思います。天皇が「国民統合の象徴」であるのは、天皇が日本という国の歴史が始まって以来、統治者であり続けてきたこと、そして、国と民のためにひたすら祈り、国と民をひとつに統合することがほかでもない、天皇=スメラミコトのお役目とされたからです。

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事をのちにす」と順徳天皇が『禁秘抄』に書き記されたのは、承久の変の前夜でした。皇室存亡のときにあって、「祭り主」たることが天皇の本義であると宣言され、歴代天皇はこれを信じ、実践され、今日に至っています。

◇2 公正かつ無私なる「祭り主」ゆえの男系主義 


ならば、この126代「祭り主」天皇論と男系主義とはどのように関係するのかです。

池上先生は現行の象徴天皇制では、天皇は国事行為のみを行うのであって、それは「形式上の役割」を果たすだけだと説明しています。宮澤俊義・東大教授(憲法学、故人)がかつて、「憲法に書いてある天皇の行為は、すべて儀礼的・めくら判的なもので、なんら決定の自由を含むものでないことは、明らかだ。……日本国憲法の定める天皇の役割は、つまるところ、そういうものなのだ」(『憲法と天皇──憲法二十年(上)』)と書いていたことに通じます。

しかしそうではないでしょう。天皇は古来、政治権力者ではなく、国家最高の権威者として君臨してきたのです。天皇の統治は「しらす」(民意を知って統合を図る)ことであり、「安国と平らけくしろしめす」(「大祓祝詞」)ことなのです。

それゆえ、哲学者の上山春平・京大教授が指摘したように、古代律令制では、唐の官僚制度が「三省六部」なのとは異なり、「二官八省」が採用されました。唐では皇帝が全権力を掌握したのとは異なり、日本では天皇から太政官に権力が委任されました。今日でいう権力の制限です。

ならば、権力から超絶した位置にある「しらす」天皇がなぜ、男系継承なのかです。それは、天皇がまさに不偏不党、公正かつ無私のお立場だからです。女性天皇はいざ知らず、女系継承がもってのほかなのは、「天皇無私」の大原則があるからです。

「安定的な皇位継承」の確保と称し、「国事行為」天皇の継続を目的として、男系主義の廃止を求めるのは本末転倒というべきです。逆に、男系の絶えない制度をこそ、真摯に模索すべきなのです。小嶋和司・東北大教授(憲法学、故人)が指摘しているように、明治憲法起草のころ、女帝容認問題は文字通り「火急の件」でした。明治天皇に皇男子はひとりもおられず、それでも最終的に女帝は否認されました。明治人の見識を学ぶべきではありませんか。危機を言いつのるべきではありません。



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