ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 前編──非歴史用語をあやつる歴史研究家(2016年9月16日)
前回は、漫画家・小林よしのり先生のブログをテキストに、陛下のお気持ち=「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)と解釈する根拠と問題点について考えました。結局のところ、根拠らしいものは何も見出せませんでした。つまり、メディアの報道を鵜呑みにしているとしか受け取れないのです。
いや、本当にそうなんでしょうか。5年前、読売新聞の「特ダネ」に端を発した「女性宮家」創設論議でも同じようなことが起きましたが、知識人クラスでも案外、マスコミ情報を批判的に読めないということなのでしょうか。
今回は、小林先生と同様、女系継承=「女性宮家」創設容認論者の1人であり、かつ「生前退位」支持派でもある所功先生の見方について、検証してみます。テキストに取り上げるのは、「多言語発信サイト」と称する「nippon.com」掲載の「天皇陛下『生前退位』のご意向と実現への展望」〈http://www.nippon.com/ja/currents/d00232/?pnum=5〉です。
この記事は末尾に「7月30日 記」とありますから、8月8日のビデオ・メッセージの前に書かれたことが分かります。陛下のお言葉を拝する以前の先生のお考えですが、先生は丸呑みどころか、すっかりNHKの広報部員、もしくは巷間、仕掛け人と目されている老獪な黒幕たちの代弁者にでもなってしまったかのような印象が否めません。
▽1 論点は「高齢化」だけなのか
7月13日の夜、先生は「天皇陛下『生前退位』のご意向」と伝えるNHKの報道に接し、「まさにビックリ仰天した」そうです。その後、「報道の全文を何度も読み直し、また(NHKの)担当者から説明を受けて、内容は『ご意向』に近いと信じて差し支えないと考えるに至った」と打ち明けています。
そのうえで先生は、マスコミの取材に答え、次のように感想を述べました。
「象徴天皇制度が存続していくための最も根本的で重大な問題を提起されました。
(近現代の皇室制度が作られた)当時は予見できなかった高齢化・長寿化が急速に進行していますから、21世紀の現実にそぐわない制度の改革(典範の改正)は、そろそろしなければなりません。今こそ数十年先を見通した議論が必要です」
不明なのは、「重大な問題提起」をしたのは誰かです。主語が抜けています。国語的には「陛下は」と解釈されるところですが、そのように断定していいものなのかどうか。
また論点は、「高齢化・長寿化」だけではないと私は思います。それは天皇がお出ましになり、ご公務をなさるという優れて近代的な皇室の行動主義です。ご高齢になっても「ご活動」を止めるに止められない。だから陛下は苦悩されるのでしょう。そもそも象徴天皇のお務めとは何か、が本質的に問われているのだと思われます。
将来を見据えた「議論が必要」なのは仰せの通りでしょうが、それは国民主権を前提とした発想だということも同時に指摘されなければなりません。
皇位継承問題は本来、国民的議論に馴染むテーマだと、先生はお考えでしょうか。皇室制度の安定、皇位の安定のために、という目的を重要視するなら、むしろかつてのように皇室典範を「皇家の家法」に戻すべきではないかと私は考えます。
▽2 なぜ宮内庁は抗議しないのか
先生が報道の内容を「『ご意向』に近い」と考えた根拠は、「(国民が)ほとんど好意的に受け止めている」ことに加えて、報道に抗議しない宮内庁の反応だ、と説明されています。
「宮内庁の風岡典之長官も、表向きに関与してないと言い訳しながら、報道の核心を否定していないから、おおむね事実だとみられる」と先生は推理しています。
しかし報道によれば、「報道の核心を否定していない」のではなく、全面否定したのです。その夜、宮内庁次長は取材に応じて、「報道されたような事実は一切ない」と述べ、長官も「次長が言ったことがすべて」と否認したとされます(朝日新聞)。
ただし、正式な抗議をしてはいません。問題はそこでしょう。報道を全面否定するなら、なぜ宮内庁として正式に抗議しないのか。
そしてこれまた読売新聞の「女性宮家」スクープと似ています。「宮内庁が野田首相に要請」「長官が首相に伝えた」を長官は強く否定しましたが、宮内庁が正式抗議したとは聞きません。言い出しっぺが不明のまま、国民的議論は始まったのです。
メディアが伝えた「ご意向」は匿名の「関係者」を仲介にした二次情報であり、宮内庁トップは全否定しています。むろん真偽を直接、陛下に確認することはできません。
事実なら、なぜ正式ルートをとらないのか。前代未聞のリークと思われる情報の出所はどこなのか。リークの目的は何か。当局者はなぜ報道を否定するのか。どこまでが事実で、どこからは事実でないのか。スッキリしません。
とりわけ釈然としないのは、「生前退位」という表現です。歴史家なら、「生前退位」という皇室用語がないことなど先刻承知のはずで、なぜ「生前退位」と表現されるのか、疑問視してもいいはずなのに、所先生は完全にスルーしています。なぜでしょう。
それどころか、「すでに何年も前から当事者・関係者が検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容であることに、率直なところ感心するほかない」と先生は絶賛しています。「関心」すべきなのは、「内容」か、それともリークという手法でしょうか。
▽3 宮内庁が全面否定した理由
所先生は、NHKの第一報を10のポイントに分け、それぞれ解説を加えています。その流れに沿って、以下、それぞれ検証してみることにします。
(1)天皇陛下が皇位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、宮内庁関係者に示されていることが分かった。数年以内の譲位を望まれているということで、陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいる。
この点について、所先生は、陛下は「生前退位」のご意向を、身内の方々だけでなく、「宮内庁関係者」にも示されたといわれる。にもかかわらず、宮内庁が関与を否定したのは、「ご意向」実現には「皇室典範」の改正という政治的要素がからむからだ、と説明しています。憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」とされており、側近としては距離を置いたに過ぎないというわけです。
だから、「(陛下)自身が広く内外にお気持ちを表す」場合も、「生前退位」に直接言及することはないだろうと先生は予測しています。
しかし、宮内庁は「関与を否定」したのではなくて、「事実」を全面否定したのです。
先生は、NHKの報道を宮内庁幹部が否定した理由を説明し、憲法上の理由を挙げているのですが、だとしたら、なぜ宮内庁は典範改正が求められるような「ご意向」実現へと動くことになったのか。そのこととNHK報道とはどう結びつくのか。
一部で囁かれているように、仕掛け人はほかならぬ宮内庁で、「宮内庁発表」の形をとれば憲法に抵触するおそれがあるので、メディアにリークして、「お気持ち」を国民に知らせる間接的手法が採られたという理解でしょうか。老練な宮内庁当局者によるメディア利用なのか、それとも宮内庁とNHKの出来レースか。
先生は「何年も前から検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容」と絶賛していますが、だとしたら、なぜ「退位」ではなく、「生前退位」なのか。「検討を重ね」たのなら、「退位」を使わない深謀遠慮は何でしょう。かつて宮内庁は「生前退位」という表現を避けていたはずです。それどころか、「退位」を否定していたのではありませんか。
▽4 ご負担軽減に失敗した宮内庁の責任は?
(2)陛下は昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、現行憲法の下、はじめて「象徴」として即位された。現代に相応しい皇室のあり方を求めて、新たな社会の要請に応え続けられ、公務の量は昭和の時代に比べ、大幅に増えている。
(3)天皇の務めには、国事行為のほかに、象徴的行為があると考えられ、陛下は式典の出席や被災地のお見舞いなどに臨まれてきた。また、公務には公平の原則が大切だとして、大きな変更をなさらなかった。
これについて、所先生は、陛下が即位以来、「象徴天皇とは何をなすべきか」をつねに考えてこられたこと、天皇の務めには国事行為、公的行為、祭祀行為の3つがあること、年中ほとんど休まれる暇がないこと、を補足しています。
問題は、公的行為と宮中祭祀です。
公的行為として、先生は国体などの三大行幸ほか、各種式典、被災地へのお出まし、国賓・公賓の歓迎、大使・公使の慰労、外国御訪問などをあげていますが、これらはとくに法的基準があるわけではありません。
陛下みずから象徴に相応しいご公務をお考えになり、社会の要請に応えられてきたと説明されているのは、裏返していえば、明文法的規定がないことの何よりの証明です。
要請があれば陛下はお断りにはなりません。しかも公平の原則を重視されますから、役所の各種イベント、メディア主催の展覧会など、お出ましはどんどん際限なく増えることになります。とくに多いのが拝謁で、宮内庁がもっとも気にかけていました。春秋の勲章受章者の拝謁はほぼ1週間続きます。
今年6月、今上陛下は皇后陛下とともにラグビーの国際試合を観戦されましたが、夜8時を過ぎてのご公務を調整したのは、親善試合を後援した大手新聞社なのか、それともラグビーフットボール協会名誉会長の地位にある元首相なのか。いずれにせよ、これでは7年前の中国国家副主席ごり押し特例会見を批判できません。
こうして、平成20年の御不例をきっかけとして始まったご公務ご負担軽減策にもかかわらず、ご公務の件数は増え続けました。つまり、ご公務には法的基準も歯止めもないことこそ、注目されなければなりません。
他方、古来、天皇第一のお務めとされた宮中祭祀は現行憲法下では私的行為とされ、陛下のご高齢、ご健康問題を理由に、真っ先にご負担軽減の対象とされました。皇室の伝統を重んじる陛下としては断腸の思いだったに違いありません。
ご公務に法的基準がないなら、当然、軽減策にも基準はあり得ません。そして、軽減策はものの見事に失敗したのです。それは誰の責任なのでしょうか。
所先生はご負担軽減策の失敗も宮中祭祀簡略化も一顧だにせず、モヤモヤ感の残る「ご意向」実現へとひた走るのでした。
▽5 宮内庁は「退位」否定から容認へ転じたのか
(4)昨年の誕生日会見で、陛下はご自身の老化を率直に認められた。別の宮内庁関係者は「象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなるという焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。譲位でしか解決は難しいと思う」と話している。
所先生は、この「別の関係者」について、「誰かは分からない。あるいは分からないことになっている」とし、そのうえで、陛下の苦悩を国民に知らせる必要があると考えたのだろうと推測しています。
まず、取材に応じ証言した内部関係者は複数いることになります。また、後追いしたメディアも、「関係者への取材でわかった」と伝えていますから、「関係者」は特定できるのでしょう。それならなぜ実名報道しないのか。もしやこの「生前退位」報道は、宮内庁とNHKほかメディアの出来レースではないのでしょうか。
また、「関係者」の発言で、「譲位」と表現されているのは注目しなければなりません。「生前退位」=譲位という解釈なら、なぜ「生前退位」とわざわざ表現されなければならないのか。皇室用語にない「生前退位」と表現したのは「宮内庁関係者」なのか、それともNHKなのか。
国会では「生前退位」について3回、審議されたことがありました。
昭和59年4月17日の参院内閣委員会では、山本悟次長が、皇室典範は退位の規定を持たない。天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、と答弁しています。質問者は「生前退位」という言葉で表現したのに対して、宮内庁はこれを避けました。
平成になって「生前退位」が取り上げられたのは、4年4月7日参議院内閣委員会で、これが最後ですが、13年11月21日の参院共生社会に関する調査会で、羽毛田次長(のちの長官)が、「退位」制度の導入を訴える議員の質問に対して、「私どもは考えていない」と答え、あらためてきっぱりと否定しています。
今回の報道で、NHKはこの調査会答弁を、「『生前退位』が認められていない理由」として伝えていますが、質問者も次長も「退位」と表現しているのであって、「生前退位」ではありません。報道は明らかに事実に反するだけでなく、NHKは「生前退位」=「退位」と理解していることが分かります。それならなぜ「退位」を使わないのか。
さて、NHKの「生前退位」報道は、もし宮内庁が仕掛け人だとすれば、宮内庁は「退位」否定から「生前退位」容認へと方向転換したということなのでしょうか。
それとも路線変更ではなくて、これまで「退位」を否定してきた立場から、陛下の強い「ご意向」を前に、方針決定の判断がつかず、「距離を置いた」どころか、「我、関せず」とばかりに、国民の前に丸投げし、責任逃れしているのでしょうか。
もしかしたら、「ご意向」を楯にして、国民に問いかけることで、責任を陛下と国民に押しつけられる。劇的な路線変更がおきたときの免罪符にできる、との読みがあるのでしょうか。
この点については、後編であらためて検証することにします。
(後編に続く)
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