「絶版」になっていた『勅語衍義』 ──井上哲次郎『教育勅語衍義釈明』を読む(2017年4月18日)
井上哲次郎の『勅語衍義(えんぎ)』は私書だったのか、それとも師範学校や中学校の教科書として使用されたのか。明治天皇はこの本にどう関わられたのか。謎解きのヒントを求めて、井上の著書『教育勅語衍義:釈明』を読むことにする。
国会図書館の検索エンジンでヒットする著書のタイトルは『教育勅語衍義:釈明』(昭和17年)だが、実際、同図書館のデジタルコレクションで見ると、正確には『釈明 教育勅語衍義』である。
いずれにしても不思議なタイトルである。何をなぜ「釈明」しようというのか。
▽1 米寿記念の再版
目次の前に置かれた序文「『釈明教育勅語衍義』の序」に、同書出版の経緯が説明されている。『勅語衍義』や『増訂勅語衍義』のような漢字片仮名交じりではなく、漢字ひらがな交じりなので、だいぶ読みやすい。
これによると発端は米寿記念だという。すでに日米戦争が始まっていたからだろうか、祝賀会の開催を井上はいったん辞退するが、やがて出版話にまで発展したらしい。
「今回、自分が米寿の齢に達したので、自分のために組織された巽軒会の方で祝賀会を開催することになったのである。自分は時節がらぜんぜんこれを辞退したいといふ考へであったけれども、当番幹事の切なる要求によって再考のうへ、もしも質素なる祝賀会ならばといふことでついに開催することになった」
序文によると、明治24年9月に出版され、32年3月に増訂された『勅語衍義』はいつかしら「絶版」になっていたらしいことが分かる。
「ところが、かねて関係のある書肆(しょし。書店)廣文堂主人からぜひこの際、久しく絶版になってゐる貴著『勅語衍義』を再版されてはどうかといふ申し出があったので、このことについて一応考へてみたところが、これはなるほどこの際、再版の必要が大いにあると考へた」
こうして再版が決まったようだが、どこにも「教科書」とは書かれていない。やはり『明治天皇紀』に記述されているように、『衍義』は「私書として上梓」が正しいようだ。文部省の『学制百年史』は間違いということになる。
『学制百年史』にあるように「勅語衍義は師範学校・中学校の修身教科書として使用された」のなら、絶版・再版はどう見ても不自然である。なにしろ芳川顕正、中村正直、井上毅らが原稿の作成に加わり、明治天皇までが原稿をご覧になったうえでの出版なのだから。
それにしても、「絶版」になっていたとは驚きである。勅語渙発以来、そして日米開戦のころ、学校では何を教科書にして教育勅語を学んでいたのか、新たな疑問が湧いてくる。
▽2 謎解きのヒントは?
『勅語衍義』はもともと教科書に使用する目的があり、井上哲次郎が筆者に選ばれ、原稿が作られたのである。にもかかわらず、教科書とはならなかった。なぜ「私書として上梓」されたのか、井上哲次郎は何も説明してこなかった。
もしかして『釈明』にはこれらの謎を解くヒントが隠されているかも知れない。
序文はこのあと本の構成について説明している。
井上は『衍義』発行当時を振り返り、精神上未曾有の危機の時代だったことを強調し、それがための勅語渙発だったと指摘したうえで、『釈明』では、「緒言」に当時の時代状況を解説し、『衍義』初版の全文を再録したあと、『衍義』に対するさまざまな誤解について弁明する「釈明」を載せるというのである。
目次を見ると、「緒言」には「明治初年の状況」「教育勅語渙発前の準備的経過」など、「釈明」には「『勅語衍義』述策の由来」「『勅語衍義』の草案完成」「『勅語衍義』の訂正」「『勅語衍義』に関する誤伝」などの項目が並んでいる。
謎解きのヒントが隠れているとすれば、「釈明」だろうか。はたして謎は解明できるのか、次回、いよいよ読んでみることにする。
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