御結婚50年会見。皇后陛下「『伝統』を安易に使うべきでない」発言をどう読むか──「形式」としての伝統と「精神」としての伝統がある(2009年05月07日)
(画像は御結婚満50年に際しての記者会見に臨まれる両陛下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます。https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gokekkon50.html)
先日、著名な政治評論家のお一人から電話がありました。雑誌の編集記者時代に何度か言葉を交わして以来の懐かしい声でした。
一晩かけて拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』をお読みいただいたとのことで、何点か質問を受けました。
その1つが前号で最後に触れた(平成21年)4月8日の両陛下の会見に関することでした。「伝統」について語られた皇后陛下のご回答をどう読んだか、とおっしゃるのです。
前号ではほとんど言及することができませんでしたので、今日はそのことについて書きます。
▽1 前代未聞の金婚式祭祀
その前に前号のおさらいをします。
先週は、4月10日のご結婚満50年に際して宮中三殿で行われた祭祀について、違和感を禁じ得ない、と指摘しました。
公正無私のお立場で国と民のために祈るというのが天皇の祭祀の大原則ですが、両陛下のいわゆる金婚式祭祀が行われるというのはほとんど前代未聞です。掌典長による天皇の御代拝、掌典次長による皇后の御代拝が行われるというのも原則なき改変のように見えます。
順徳天皇の「禁秘抄」(1221年)に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあるように、「国平らかに民安らけく」と祈る祭祀を最優先してきたのが歴代天皇ですが、まさに皇位の本質としての祭祀の伝統のあり方がいま問われているのです。
その意味で、ご結婚50年を直前にひかえて、4月8日に行われた記者会見の質疑応答は注目されます。皇室の伝統およびその継承が第1問のテーマだったからです。
▽2 「伝統」を安易に使うべきでない
この日の会見は、2つの質問と1つの関連質問から成り立っています。記者による第1問は、この50年、両陛下は皇室に新しい風を吹き込まれてきた。時代にふさわしい新たな皇室のありようと守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただきたい。同時に、次世代にどう引き継いでいかれるのか、お聞かせください、というものでした。
これに対して、皇后陛下は、今上天皇が皇室の伝統行事や祭祀について、ほとんどすべてを引き継がれる一方で、「現代」を生きることの大切さを思われ、「今」という時代に丁寧に関わりつつ、1つの時代を築いてこられた、と指摘したうえで、次のように語られたのでした。
「伝統と共に生きるということは,時に大変なことでもありますが,伝統があるために,国や社会や家が,どれだけ力強く,豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が,社会の進展を阻んだり,伝統という名の下で,古い慣習が人々を苦しめていることもあり,この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」
読みようによっては、伝統が人々を苦しめることがあるのだとすれば、変革は当然である、という意味にも受け取られます。皇后陛下はさらに、伝統の問題は次世代に委ねられていくものだとも述べられていますから、皇室とは文字通り伝統が固守されるべき世界だという考えに立つ人たちは違和感を禁じ得ないかもしれません。
事実、私の周辺からもそのような意見の表明を聞きました。
▽3 2つの伝統
しかし私は必ずしもそうは思いません。
拙著にも書きましたように、皇室は古来、伝統のシンボルであると同時に、変革のエネルギーだからです。
じつは皇后陛下だけでなく、今上陛下も、伝統とは形式ではない、ということを述べています。具体的には昭和天皇が始められた皇居内での稲作について、これを引き継がれ、田植えや稲刈りをなさっているだけでなく、種まきもなさるようになったことをあげています。守られるべきことは形ではなく、その精神である、というお考えでしょう。
それは当たり前のことで、要するに、形式として守られるべき伝統と精神として守られるべき伝統という2つの伝統があるということです。いみじくも今上陛下が語られているように、新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀については、そのままの形を残していくことが大切です。
つまり、祭祀最優先を守ってきた皇室にとって、祭祀の形式を守ることとその他の皇室の伝統とでは扱いが異なるということであろうと思います。皇后陛下がおっしゃるように、両者を区別せずに「伝統という言葉が安易に使われることは好ましくない」のです。
▽4 自作自演報道の再来
しかしこのことは案外、深く理解されていないことかもしれません。皇室はすべての領域で伝統をかたくなに固守する世界であると思い込んでいる人たちもいるからです。
今回の会見で、記者は、両陛下が伝統の世界に新風を吹き込んできたことが過去に例のないことであるかのように質問していますが、そんなことはありません。
たとえば乳人(めのと)制度を破ってお手元で子育てを始められたのはなるほど今上陛下が最初ですが、母乳で子育てをされたのは香淳皇后です。今上陛下の新例を強調しすぎると、あたかも伝統の破壊者のように誤って仕立て上げられることになります。
したがって私が引っかかるのは、両陛下のご回答ではなく、むしろ記者の質問です。伝統と現代性とを対立的にとらえ、両陛下を現代的改革者のように見立てて質問する姿勢に、皇太子同妃両殿下に対して、プライバシー暴きのような質問を執拗に繰り返し、返す刀で殿下の「プライバシー発言」を攻め立てた自作自演報道の手法と共通するものを感じるからです。
その一方で、前号に書いたように、伝統が固守されるべき祭祀の聖域で、過去にない金婚式祭祀までが行われるようになっています。現代の皇室は内憂外患の危機のまっただ中にある、と思わざるを得ないのです。