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キリスト教化する公的追悼行事。キャンドルともし、犠牲者慰霊。長岡市の広場で追悼式典。中越地震3年、新潟──「時事ドットコム」10月23日(平成19年10月25日)

(画像は中越地震20年の追悼式。時事通信記事から拝借しました。https://www.jiji.com/jc/article?k=2024102300658&g=soc


時事通信によると、大きな被害をもたらした中越地震から3年を迎えた一昨日、新潟県が主催する追悼式典「追悼と復興への誓い」が長岡市の広場を会場に開かれたのですが、その儀礼はステージに犠牲者と同じ数のキャンドルが並べられ、関係者が点火し、黙祷するという内容だったようです。〈http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007102300954

 「ロウソク」ではなく「キャンドル」と呼ぶなど、キリスト教のキャンドル・サービスを容易に連想させる追悼行事ですが、とかく靖国神社をめぐってかまびすしい議論が展開され、ほかならぬキリスト者たちによる訴訟まで起こされている政教分離について、県ではどのような議論をし、このような追悼式典を催すことになったのでしょうか。

 試みに県議会の会議録で「追悼と復興への誓い」を検索すると、ヒットしたのは一件で、一昨年9月の定例会で総合政策部長が「中越大震災から1年〜追悼と復興への誓い〜」について答弁しているだけです。今年の追悼式についての議会での議論は見当たりません。キャンドル儀礼は事務方のお膳立てで決まったということでしょうか。

新潟県議会議事録(平成q7年9月30日)から
〈https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefniigata/MinuteView.html?council_id=217&schedule_id=4&is_search=true〉

 追悼行事へのキリスト教文化の導入は近年、目立つようになりました。そのさきがけとなったのはおそらく阪神大震災の追悼行事ではなかったかと思われます。キリスト教団体が参加しているのかどうか、分かりませんが、キャンドル行事がたびたびニュースに取り上げられています。

 民間の追悼式ならまだしも、公的な追悼行事で、もし明確なキリスト教儀礼としての認識を持って行われているとなると、絶対的分離主義の立場に立つのであれば、違憲行為ということにならないのでしょうか。

 平成14年には広島に、翌年には長崎に原爆死没者追悼平和祈念館がオープンしましたが、祈念館建設までに厚生省内で行われた議論では「国立の施設である以上、特定の宗教色を排」することが追求され、実際には、「特定の宗教色の排除」どころか、「宗教性の排除」が国の方針だったようです。

 長崎祈念館では、読経や讃美歌の合唱などは禁じられています。献花は認められますが、神式の玉串(たまぐし)拝礼は想定されておらず、焼香は「火気の使用」に当たるという理由で認められていません。

 ところが、阪神大震災10年の追悼式典ではモーツアルトの聖体賛歌「アベ・ベルム・コルプス」が流れました。キリストの生誕から受難までをラテン語で簡潔に表現した教会音楽の最高傑作の一つですが、絶対的分離主義の立場に立つならば、逸脱といわねばなりません。


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