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「象徴」天皇論の宣教師──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 6(2017年4月29日)


まえがきにかえて──宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽6 「象徴」天皇論の宣教師




 渡邉前侍従長(いまは元職)は、日経ビジネスの連載企画の趣旨に沿って、「陛下のメッセージ」に言及しています。

「僕が推測するに、天皇陛下がもし仮にここで次の世代に伝えたいことがあったら何かという質問があったら、先の大戦のことをおっしゃると思うんです。80歳のお誕生日のときに、80年で一番印象に残っていることは何かという質問に対して、やっぱりそれは大戦のことだとおっしゃっていますから」

「絶対に戦争のことが忘れられないように語り継がれてほしいと。これは陛下が後世に伝えたい非常に大事なメッセージだと思います」

 編集部の注釈によると、インタビューは平成26年12月1日に行われました。陛下はひと月後、「戦後70年」となる翌年の新年に当たっての「ご感想」で、こう述べられました。

「(終戦から70年の)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」

 前侍従長がインタビューで語った推察どおりということでしょうか。けれども、私は違うと考えています。

 前侍従長はインタビューのなかで、「終戦のとき小学校3年」だったという戦争の「体験」「記憶」を強調しています。しかし陛下の場合は、けっして個人的な「体験」だけではないと私は思うのです。

「私」的な「体験」からは「私」を離れた「無私の心」は生まれないし、社会的なご活動を重ねることで「無私の心」が生じるなら、明治以前、近代以前の天皇は「無私の心」をお持ちでなかったということなのでしょうか。そんなことはあり得ません。

 陛下が「戦争の歴史」を重視なさるのは、歴代天皇と同様、国と民のために祈られる祭祀王だからでしょう。いつの世も平和だとは限りません。遠く神代の時代に、

「豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)は、是(これ)、吾(わ)が児(みこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」(「日本書紀巻第二」)


 と皇祖天照大神(あまてらすおおかみ)から国の統治を委任されたというお立場であれば、「無私の心」で真剣な祈りを捧げざるを得ません。それが天皇の祭りです。

 曾祖父は宮内大臣、父は「昭和天皇のご学友」、それほどご立派なお血筋の前侍従長に、それが理解されないのか、そんなことはないでしょう。実際、前侍従長は伊勢神宮での講演(平成21年6月)でこう語っています。

「陛下は宮中祭祀にあたって、天皇としての務めを果たすことを誓われ、国民の幸せ、国家の平安、五穀豊穣を祈られるのですが、陛下は祭祀のときだけ突然、そういうことをなさるわけではなくて、私の実感としまして、むしろつねに自然にそういう御心でいらっしゃるということです」(伊勢神宮広報誌「瑞垣」平成21年7月)

「瑞垣」平成21年7月


 一見、天皇が古来、祭り主とされてきた歴史と伝統を十分に理解しているようにも見えます。けれども、それなら、陛下のご高齢を名目に御公務ご負担軽減に取り組み、実際はご負担軽減どころか、天皇の聖域である祭祀に不当に介入し、さらに皇室の歴史にはない「女性宮家」創設まで提唱し、そして、いままた現行憲法論的「象徴」天皇論の宣教師を演じているのは、なぜでしょうか?

 側近が陛下より憲法に忠誠を誓うことは、謀叛ではないでしょうか。皇室制度改革に名を借りて、皇室の歴史と伝統を否定する革命ではないのでしょうか?


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