反ヤスクニ論者の標的にされた未公認神社──市有地内神社は違憲か合憲か。北海道砂川市(「神社新報」平成19年7月16日号)
北海道砂川市の市有地ある(あった)神社二社が反ヤスクニ論者の標的にされ、訴訟に巻き込まれています。
一社は市発祥の地・空知太(そらちぶと)に鎮まる空知太神社。この地方最古の社ともいわれ、移住してきた開拓民は必ず参拝し、成功を祈願したとされます。境内には当時の総代理人や農会長、郵便局長などを歴任した開拓功労者の碑や明治期の道路開鑿工事で犠牲になった囚人たちを慰霊する記念碑などが建っています。(画像は現在の空知太神社)
もう一社は同市富平(とみひら)の富平神社で、北陸からの団体移住者らが建てた一坪足らずの祠です。いずれも宗教法人ではない、神職も常駐しない、住民らに守られてきた村の鎮守です(『砂川市史』など)。
入植から百年、地域の守り神はなぜ係争の対象となったのでしょうか。
▽1 立て続けに裁判闘争
裁判の判決文などによると、空知太神社の歴史は明治二十五年ごろ、開拓民たちが五穀豊穣を願って、いまは小学校がある隣接地に祠を置いたことに始まります。その後、北海道庁に境内地約三千坪の御貸下願を提出して認められ、神社が建てられます。神社の維持管理は地域の青年たちが当たりました。小学校が建設されたのは十年後です。
新たな展開は終戦後のことでした。昭和二十三年ごろ小学校の拡張計画が持ち上がり、隣の神社境内地に白羽の矢が立ったのです。境内地を学校用地にするには神社の移転先を確保する必要があります。そこに現れたのがEさんでした。近接する私有地が無償提供され、神社は移転しました。
ところがEさんには固定資産税などの負担が残りました。そこで二十八年、Eさんは砂川町(当時)に境内地寄付の願い出をし、翌年、町議会は土地の受け入れと境内地を無償で使用させることを議決します。こうして公有地内の神社という構図が生まれました。
さらに四十五年になって、今度は境内地とその周辺地(北海土地改良区の所有、のちに市の所有地になる)を建設用地として、町内会館が空知太部落連合会によって建てられます。併行して神社は改修され、会館内に祠が遷されるとともに、鳥居が建てられました。市はこの会館建設などに補助金を支出しています。
反ヤスクニ人士がこの神社に目をつけ、立て続けに裁判闘争を仕掛けてきたのは、九年前のことでした。
地元紙の報道によれば、平成十年秋、「市有地に神社があるのは政教分離違反」として滝川平和遺族会が空知太神社に関する公開質問状と抗議文を市に提出しました。翌年二月には同遺族会会長と中国帰還者連絡会活動家の二人が、「市民祭りの際に同社で神事が斎行され、公費が支出されているのは政教分離違反」と主張し、さらに十五年末には「神社に市有地を提供しているのは違憲」として監査請求します。しかしいずれも言い分が認められなかったことから、十六年春、二人は神社の撤去を求める住民訴訟を札幌地裁に起こします。
さらに二人は富平神社にも目をつけました。
富平神社は明治二十七年の創建で、大正年間に現在の社殿が設けられたといわれます。境内地を含む二千四百平米の土地は実質的には部落会の所有でしたが、形式上は住民の私有地の集合でした。
昭和十年、砂川町は部落会が小学校教員の住宅建設を要望したのを受け、住民から寄付されたこの土地に住宅を建設、こうして神社は公有地内に教員住宅と同居することになりました。その四十年後、教員住宅の移転と前後して、砂川市は住民たちから土地の返還を求められ、紆余曲折の末、無償で土地の管理を委託する契約を結びます。
例の二人が「市有地に神社があるのは違憲」として住民監査請求をしたのは平成十六年。同年暮れには、市長を相手取り、住民訴訟を起こしました。ところが翌十七年春、市は議会の決議を経て、土地を町内会に無償譲渡します。二人の住民監査請求に対して、「違法性は認められないが、富平神社は宗教法人ではないから課税すべきだ」との監査結果が出たのを受けてのことでしたが、二人はこれに反発し、同年夏、「市有地を無償譲渡することも違憲」として提訴をし直します。
▽2 絶対分離主義に近い
裁判所の判断は、空知太神社のケースでは違憲、富平神社の場合は合憲で正反対でしたが、未公認の神社を宗教施設と認めた点は共通しています。
空知太神社については、札幌地裁は昨年(平成十八年)三月、「宗教施設があることを知りつつ、市が土地を取得した目的は宗教的意義を有する」「市有地を町内会に使用させ、宗教施設を所有させているのは特定の宗教を援助・助長・促進するもので違憲」などとする判断を示し、祠などの撤去を勧めました。二審の札幌高裁も先月末、「市が町内会に祠などの撤去を請求しないのは違憲」との判決を下しました。市側は「会館建設で宗教性が失われている」「市有地利用の目的はもっぱら世俗的」などと主張しましたが、「同神社は宗教施設」「施設での神式行事は宗教的行為」と認定されたのでした。
一方、富平神社の場合、札幌地裁は昨年暮れ、「同神社は歴史的建造物ではなく宗教施設」と認めたうえで、しかし「町内会は宗教団体ではない」「市有地の譲渡は市有地に宗教施設があることの解消を目的とするもので神社神道を援助・助長・促進するものではない」、したがって「譲与は公機関の宗教的活動を禁止する憲法の政教分離原則に違反しない」と判断し、原告二人の訴えを却けました。
二人以外にも私大教授が、市有地内に神社があることで信教の自由を侵されたとして平成十七年夏に東京地裁に提訴しましたが、こちらは一審、二審とも棄却でした。
札幌の判決はいずれも目的効果論に立ち、公機関の宗教との関わりが全面禁止されているわけではないと断りつつ、実質的には絶対分離主義に近い厳格な判断をしているかに見えます。小さな祠でも宗教施設であり、公有地内にあるならば違憲だというのなら、とくに北海道では未公認神社が報告分だけで二千社あるそうですから(『北海道神社庁誌』)、判決の影響は少なくありません。
神社だけではありません。東京都慰霊堂では都の外郭団体が主催して、仏教教団持ち回りの慰霊法要が営まれています。長崎の二十六聖人記念館および巨大レリーフは宣教団が市有地に建てたもので、記念館は土地の無償使用が認められ、市に寄贈されたレリーフの前では野外ミサが挙げられます。公営墓地・斎場も、政教分離違反と判断せざるを得ないでしょう。
さて、空知太神社の場合は市が上告することになりました。最高裁は合憲と判断するのか、それとも神社の撤去を勧告するのか。富平神社の訴訟も来月末には控訴審の判決が出ると聞きます。
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