風岡宮内庁長官はなぜ退任したのか──新旧宮内庁長官会見を読む(2016年10月2日)
忘れないうちに指摘しておきたいことがあります。
不二歌道会(大東塾)の発行する月刊「不二」9月号の巻頭言に、編集発行人の福永さんが「現行皇室法の根本的見直しを」を書いています。
たとえば、皇室経済法をめぐる問題点として「(三種の神器、宮中三殿について)もし仮に譲位がなされた場合は、相続ではなく生前贈与となり、贈与税が発生するおそれがある」ことや「(皇室典範が定める)皇室会議への親臨も御意思の表明も能わず、皇族の監督権も失われた」戦後の現実などが指摘され、根本的かつ幅広い議論の必要性を訴えています。
不二歌道会は、戦後右翼の重鎮で、歌人としても知られた影山正治氏が設立しました。歌道の修練が人格形成の基本とされ、敬神尊皇を重んじ、紀元節復活運動や靖国神社国家護持運動などを展開しました。影山氏は元号法制化を訴え、自決しています。
皇室典範改正か、それとも特別立法かという世間の議論とはひと味違う、伝統右翼の名に恥じないさすがの見識だと思います。
▽1 有識者会議開催決定と重なる
さて、政府は先月23日の閣議で、風岡宮内庁長官の退任、山本次長の長官昇格、西村内閣危機管理監(元警視総監)の次長就任を決定しました。また、「天皇の公務の軽減等に関する有識者会議」を開催することが決められました〈http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201609/23_a.html〉。
有識者会議の開催については、菅官房長官は閣議後の会見で、「今上陛下が現在82歳と御高齢であられることも踏まえ、天皇の公務の負担軽減等を図るために、どのようなことができるのかを様々な観点から検討する必要があると考えてます」と目的を説明しました。
政府の説明では「生前退位」とはどこにも表現されていませんが、メディアは「天皇陛下の『生前退位』を検討する有識者会議」と伝えています。議論がますます曲がっていく印象が否めません。
そういえば、野田内閣のとき、いわゆる「女性宮家」創設をめぐって行われたのは正式には「皇室制度に関する有識者ヒアリング」でした。今回もまた絶妙なネーミングを編み出したものだと感心します。あっちにもこっちにも知恵者がいるようです。
それはともかく、奇しくも同日の閣議決定となった宮内庁長官の交替劇ですが、なぜ急な交替となったのでしょうか。
▽2 「落とし前」を付ける?
報道によると、宮内庁長官は70歳定年だそうです。風岡長官の場合、9月15日に70歳になりました。通例では3月いっぱいまで勤め上げるそうですが、風岡長官は9月26日付で退任することとなりました。
異例な性急さです。
時事通信は、「天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ」と伝えています〈http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092500057&g=pol〉。
いわゆる「生前退位」問題は平成30年がタイムリミットとされ、そのためには今年中に議論を開始させる必要があるといわれます。とすれば、次長就任から約11年、側近として務め、陛下が内々に退位を表明された初期の段階から事態を把握している風岡長官が少なくとも来春まで、有識者会議の議論に関わった方が好都合なはずです。
けれども、人事権を持つ内閣はそのようには考えなかったということです。時事の記事では、政府関係者が「誰かが落とし前を付けないと駄目だ」と語るほどの険悪さがあったと伝えています。
長官が詰め腹を切らされるというのは、よほどのことです。具体的に何の責任をとることなのか。官邸は何に「不満」なのか。ヒントとなり得るのは退任会見です。
▽3 会見で明らかにされた3点
風岡前長官は退任会見で、「このタイミングでの退任で、やり遂げた感はあるのか」と単刀直入に聞かれ、次のように答えています〈http://www.sankei.com/premium/news/160927/prm1609270008-n3.html〉。
「5、6年前に陛下の方から今までのご活動が困難になったときにどう考えたらいいのかということがスタートとなって勉強してまいりました。具体的な対応をどうするのかということもありますし、また、お気持ちをどういう形で表明すればいいかも含めて検討し、去年くらいから公にする考え方の元に進めていましたが、内容が陛下の憲法上のお立場という関係で慎重に取り扱うものでしたので、内閣官房とも調整をしました」
「これからどうするかという難しい次のステップに入る時期ですので、次の長官に委ねた方がいいんだろうとの判断のもとに行いました。長い道のりのあるスタートの役割を果たさせていただいたと思います」
ここで風岡長官は、(1)5、6年前、陛下の意思表示があった、(2)昨年ごろからお気持ちの表明を模索してきた、(3)憲法問題もあるので、内閣官房とも調整した、の3点を明らかにしています。
これらはメディアが明らかにしてきたことと事実関係において、大差はありません。けれども、7月にNHKが「スクープ」したときの受け答えとは明らかに異なります。
▽4 みずからウソを認めた
朝日新聞の報道では、NHKが7月13日の夜、「陛下が『生前退位』の意向示される」を報道したあと、山本次長が取材に応じて「報道されたような事実は一切ない」「大前提となる(陛下の)お気持ちがないわけだから、(生前退位を)検討していません」と全面否定し、風岡長官も「次長が言ったことがすべて」と述べたと伝えられました。
風岡長官の退任会見はみずからウソを認めたことになります。
もっともスクープの翌日の長官会見は微妙でした。NHKの報道では、風岡長官は前夜とは打ってかわり、お気持ちをにおわせたのでした。
「お務めを行って行かれるなかで、色んな考えをお持ちになることはあり得る」
「陛下は憲法上の立場から、制度については具体的な言及を控えられる」
「陛下もお年を召すわけで、将来のことを考えると、いままでどおりお務めを果たすことが難しくなるということが一般的にはあり得ることなので、それを踏まえて幅広く考えることは必要なことだ」
一方、菅官房長官は同日の記者会見で「ご意向を事前に把握していたのか」と聞かれ、「まったく承知していない」と否定しています。
官邸と宮内庁との間にすきま風が吹いていたことは明らかでしょう。官房長官の言葉尻には不快感さえ漂っていますが、一方の風岡長官は「内閣官房と調整した」といまも言い張っています。
もしやメディアを利用した一連の仕掛け人は風岡長官自身なのでしょうか。というより、なぜ長官は退位のお気持ちを思いとどまらせず、逆に実現へと動くことになったのか。退位の否定が、戦後の政府・宮内庁の一貫した方針だったはずなのに、です。
▽5 官邸と宮内庁との溝
8月になると陛下みずからビデオ・メッセージでお気持ちを表明され、事態は仕掛け人たちのシナリオに沿って動いているようにも映りますが、形勢は変わりつつあります。官邸と宮内庁との溝が今回の人事に影響を与えていることは言わずもがなでしょう。
風岡長官は退任記者会見で、陛下のお気持ち表明が「スタートになったということは感慨深いものがあります」と述べ、「難しい次のステップ」は「次の長官に委ねた方がいい」と後任者にバトンを渡しました。罷免に近い退任のはずなのに、不思議に爽やかささえ感じられます。
緊張気味なのは、風岡長官同様、NHK報道を全面否定していた山本新長官です。連座もできず、逆に重責を押しつけられました。官邸との関係改善を強く意識しているのか、「内閣官房と緊密に連携をとりながら」と協力関係をひたすら強調しています。
それはそうでしょう、危機管理のプロで、伊勢志摩サミットの陣頭指揮を振るった警察官僚のトップが次長として乗り込んでくるのです。新長官の前途には針のムシロが広がっています。
誰が「生前退位」と言い出したのか、どこから極秘情報が漏れたのか、なぜNHKのスクープだったのか、一部始終を官邸は早晩、知ることになるのでしょう。