
譲位の翌日に即位、改元でいいのか?──いよいよ迫ってきた御代替わりの不思議な日程(2017年11月27日)
(画像は平成29年12月1日に開かれた皇室会議。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
いよいよ御代替わりが迫ってきました。
先週(平成29年11月)21日にNHKが伝えたところによると、今上陛下が退位(譲位)される日程の決定に関する皇室会議が来月(12月)1日、つまり今週金曜日に開かれる模様です。
政府案としては、再来年31年4月30日に退位、翌日5月1日即位とする案と、同年3月31日退位、翌4月1日即位の2案があり、皇室会議の意見を考慮して最終的に決められるとも伝えられました。

再来年4月末退位という新たに伝えられた案は、同年4月に統一地方選挙が予定されていることから、これが終わったあとに皇位継承を設定するという趣旨のようです。これまで伝えられてきた来年30年末に譲位、再来年31年元日に改元という政府案は消えたことになります。
年明けには菅官房長官を長とする委員会が設置されるようですが、いくつかの問題点が指摘されます。
▽1 改元には準備期間が必要
まず選挙優先の日程です。
先月、朝日新聞は、皇后陛下のお誕生日に合わせて、今上陛下の退位(譲位)と改元について、退位日は再来年31年の3月末日で、翌4月1日に新帝の即位、改元することで政府が最終調整に入ったという情報を伝えました。
この日の会見で、菅官房長官は「そうした事実はない」と強く否定しましたが、4月1日即位なら、4月14日もしくは28日に投票が予想される統一選と完全に重なります。
となると、政治家たちはどうしても選挙優先にならざるをえないでしょうが、文明の根幹に関わる皇位継承より選挙を優先すべきことなのかどうか。
2つ目は改元のタイミングです。
改元の期日が問題となるのは、社会的、経済的な影響がそれだけ大きいからです。とくに前回の御代替わりとは比べものにならないほど、コンピュータ社会が進展している現実があります。プログラムの変更には一定の準備期間が必要です。
たとえば、国の機関紙である官報はいまやネット上で閲覧できる時代ですが、皇位継承のあと、政令で定められる新しい元号を官房長官が発表したとして、即座に官報を新元号で発行配信するようプログラムを変更することは不可能でしょう。
しかし、在外公館も含めて、いっせいにコンピュータの設定が切り替えられないと、出生届や婚姻届、免許証の書き換えなど、行政の業務にたいへんな支障をきたします。巷間伝えられるようなカレンダー業界など一部に混乱を与えるという程度ではすみません。
つまり元号の切り替えには一定の準備時間がどうしても必要です。とすれば、譲位・践祚(皇位継承)と改元の期日をずらし、たとえば改元は数か月あるいは半年後の即位の礼に合わせるとか、それなりの工夫があってしかるべきなのに、「譲位、翌日改元」というワンパターンの情報しか聞こえてこないのはどうしてでしょうか。
元号法は「皇位継承後、直ちに(あるいは翌日に)改元」と定めているわけではないのです。践祚後直ちに改元された大正、昭和、翌日改元された平成の御代替わりとは事情が異なると説明すれば十分ではないでしょうか。
前例をそのまま踏襲する必要はありません。ちなみに200年前の光格天皇から仁孝天皇への御譲位では、1年以上、経ったあとに、「文化」から「文政」に改められています。一世一元の制が始まった明治の御代替わりも同様です。
▽2 即日践祚とすべきではないのか
3点目は、退位(譲位)の翌日に即位(践祚)というスケジュールが当たり前のように伝えられていることへの違和感です。
旧皇室典範は「天皇、崩ずるときは、皇嗣すわはち践祚し」と定め、現行皇室典範もまた、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とされています。
先帝が譲位された時点で、直ちに新帝が践祚、すなわち皇位継承するのでなければ、空位が生じてしまいます。
たとえば、31年4月30日に退位(譲位)、翌5月1日に即位(践祚)とした場合、退位に関する儀式が予定されているということですので、前日に退位の儀式を行い、剣璽の継承が行われたとしたとしても、法的には翌日までは皇位は継承されていないとみなされるということなのでしょうか。
それともいかなる儀式が行われようとも、退位は前日午後12時に発効し、翌日午前零時をもって皇位継承が行われたと法的に解釈するということでしょうか。
先述したように、大正、昭和の御代替わりでは、先帝の崩御後、直ちに新帝が践祚し、元号が改まり、平成の御代替わりでは、先帝崩御後、直ちに剣璽等承継の儀が行われ、皇位が継承され、翌日に改元されました。
こうした過去の歴史に照らせば、譲位の儀式を明確な区切りとし、「翌日即位」ではなくて「即日即位」とされるべきではないでしょうか。即位(践祚)と改元を無理に関連付けようとすれば、かえって混乱を招くことにならないでしょうか。