「文藝春秋」が問題提起する「平成が終わる日」──なぜ「ご公務」に振り回されなければならないのか(2011年12月10日)
▽1 皇太子不在の時代が来る?
今日発売の「文藝春秋」新年特別号が「民主党政権下で平成が終わる日」を特集し、「皇太子不在の時代」「女性宮家創出」などについて「問題提起」しています。
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/
産経新聞の大島真生記者が主として読者に問いかけているのは、次の4点です。
(1)次の御代では、皇位継承順位が第1位となる秋篠宮殿下は、その段階でも単なる親王に過ぎない。皇太子不在の時代が来る。
(2)皇太子殿下が即位されると、東宮は不在となり、東宮職は廃止される。現行の皇室典範では、秋篠宮殿下をお世話する特別の組織は置かれない。
(3)病気療養中の雅子妃殿下が、皇后として祭祀や公務に出席されるのはむずかしいのではないかと危惧されている
(4)皇室が縮小化し、現在、各宮家が果たされている式典出席などご公務の継承者がいなくなる
これらの危機感の上に立って、大島記者は、女性宮家の創設を訴えています。
「悠仁さまの存在と皇室の伝統を尊重して、男子優先は維持した上で、女性宮家の創設を容認すれば、愛子さまも皇位継承権者となる。眞子さまも佳子さまにも、皇位継承権が与えられることになる。また、女性宮家が当面、天皇・皇后の代理や補佐役として、さまざまなご公務を継承されることもできるのだ」
▽2 祭祀とは天皇の、天皇による祈りである
まず、(1)について、ひと言申し上げたいと思います。
皇太子不在の時代、というのは、さすがジャーナリスティックな視点です。しかし、歴史を振り返れば、そのような時代は枚挙に暇がないほどだと思います。日本の歴史には、天皇が不在だった空位の時代すらあるのです。それでも民の天皇意識は続いてきました。
天皇の存在だけではなく、その一方に強烈な民のさまざまなる天皇意識があって、両者が相まって、天皇の文明は続いてきたということを忘れるべきではないと思います。
つぎに、(3)と(4)について、です。
宮中祭祀はもともと天皇の、天皇による祭祀であって、皇后の存在が不可欠なわけではありません。実際、「宮中第一の重儀」とされる新嘗祭は、もともと皇后、皇太子妃のお出ましを予定していません。
雅子妃殿下が祭祀に「出席」された、「欠席」された、とメディアは書き立てますが、問題は、宮内庁関係者が指摘しているように、そして当メルマガが何度も言及してきたように、昭和50年8月15日の宮内庁長官室会議で、憲法の政教分離を理由として、皇后、皇太子、同妃のご代拝制度が廃止されたことにあります。
「入江日記」には「皇后さま、お風邪、ご代拝」という記述がしばしば見受けられます。ご代拝の制度が側近によって一方的に廃止されなければ、妃殿下に代わって側近に拝礼させればすむことでした。批判されるべきは側近であって、妃殿下ではありません。
また、皇室の祈りは宮中三殿のみで行われるのではありません。つねに祈りがあるのであり、お出ましにならないからといって、批判されるべきではありません。
▽3 何のための女性宮家創設なのか
ご公務も同様です。妃殿下がおできにならないご公務とはいったい何か、皇室が果たすべきお務めとは何か、という本質論が大島記者の論考には欠けているように思います。
ご公務を継承するための女性宮家の創設も、同様に、議論が本末転倒しています。
私が当メルマガで徹底的に批判した、宮中祭祀廃止論者の原武史教授の場合などもそうでしたが、議論の背景にあるのは、「行動する」皇室論です。
けれども、皇室が社会的に行動するようになったのは、とりわけ近代的な現象であることを指摘しなければならないと思います。
民のために社会的に行動すればするほど、今上陛下がそうであるように、際限なくご公務は増えていきます。天皇が公正かつ無私なる存在であるからです。
考えてもみてください。被災地・岩手をご訪問になれば、宮城も福島も訪問なされずにはいられないのです。被災地以外にもお出ましにならなければならないのです。
最後に、女性宮家について、です。
記事ではよく分からないのですが、内親王が成人後、一代限りの女性宮家を創設するとして、ご結婚後はどうなるのでしょう。ご結婚後も宮家を存続するということなのでしょうか?
ご結婚までの宮家創設なら、内親王としてご公務をなさるのと同じだし、ご結婚後も宮家を存続させてご公務をなさるというのなら、いまでも黒田清子さんを旧皇族としてお願いすれば足りることです。
何のための女性宮家なのか、私にはよく分かりません。
結局、皇室典範を改正して、歴史にない女性宮家を創設し、お務めいただくようなご公務とは何か、が問われているのではないでしょうか。憲法に規定されているわけでもない、いわゆるご公務に、なぜそこまで、振り回されなければならないのですか?
別ないい方をすれば、歴代天皇が第一の務めと信じてきた祭祀とは何か、が問われているのです。大島記者の論考はその点について、「戦前は公務の一環だとされていたが、戦後、新憲法下では天皇家の私事と位置づけられている」と説明していますが、的外れです。
それにしても、創刊から90年、部数数十万部を誇る国民的な月刊誌が「平成の終わり」を特集したことは、日本の文明の根幹に関わる、天皇をめぐる本質的議論が始まろうとしている前兆かも知れません。
▽4 新嘗祭は「掌典職限りで」と報道した神社新報
ところで、蛇足ながら、宗教専門紙の「神社新報」12月5日号が1面トップで、先月の新嘗祭について、「掌典職限りで」行われたことを伝えています。
http://www.jinja.co.jp/news/news_005528.html
さすがは神社新報で、産経新聞のように、「掌典長が代拝」とは書いていません。
記事によると、夕の儀は23日の夕刻、掌典長が陛下に代わって神事を行う旨、祝詞を奏上したあと、神饌行立が行われ、神嘉殿で掌典長が神饌を供進し、祝詞を奏上したようです。
皇太子については、当メルマガの読者ならご承知のとおり、例年なら、陛下の出御にひきつづき、殿下が参進され、神事が進み、神饌が退下し、庭上に参列していた皇族諸員の拝礼がすんだあと、天皇陛下、皇太子殿下が相次いでお退がりになり、夕の儀が終了することになります。
けれども、今年は、殿下のお出ましが時間的に短縮され、同紙記事によれば、掌典長の祝詞奏上のあと、隔殿に参進され、拝礼、退下され、そのあとに皇族ほか諸員の拝礼が行われたようです。
問題は、何を根拠として、このような祭儀となったのか、ですが、記事は言及がありません。今年の新嘗祭の祭式変更については、宮内庁が、異例なことに、1日と18日に、あわせて2回も発表を行っているにもかかわらず、同紙がまったく触れていないのは不思議です。
1日の宮内庁発表では、昭和の前例について説明していました。けれども、昭和40年代の新嘗祭の「簡素化」(入江日記)は、何度も申し上げてきたように、昭和天皇のご健康問題を契機として始まったものではありません。
「掌典部限り」の新嘗祭といえば、前号に書いたように、『明治天皇紀』には、明治30年の新嘗祭について、「御喪期中の故をもって親祭あらせられず、掌典部限りにて行わしめたまう」と記録されています。1月に英照皇太后が亡くなり、喪中のため、同年の新嘗祭に明治天皇の出御はありませんでした。
けれども、明治期の先例を踏襲したのではない、と祭祀にくわしい宮内庁OBたちは、断言しています。今年の場合、陛下はご存命であり、喪中にあるわけでも、事故があるわけでもない。したがって祭祀は陛下によって行われるのであって、「掌典職限りで」というのは、祭祀のあり方として不適切ではないか、と指摘するのです。
「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事をあとにす」と順徳天皇の「禁秘抄」にあるように、歴代天皇がもっとも重視してきた宮中祭祀について、何が起きているのでしょう? 宮内庁は「昭和の前例」の踏襲と説明していますが、過去にない、前代未聞の祭祀の変更が起きているように、私には見えます。
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