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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い(令和3年10月2日、土曜日)


眞子内親王殿下が今月26日に結婚される、と宮内庁皇嗣職が発表した。同時に、「複雑性PTSD」を患っておられるとも発表された。御結婚問題それ自体でさえ気が重いことなのに、何ともおいたわしい限りである。おそばにおられる父君も母君も、さぞ複雑な思いでその日をお迎えになられることだろう。

内親王殿下の御結婚は本来、国民にとっても、心からお祝い申し上げるべき慶事のはずである。しかしどう見てもそうはなっていない。それはやはり藩屏たるべき宮内庁の責任が大きいといわざるを得ない。


◇内親王は私人ではない

人は個人として尊重され、みな平等である。結婚は2人の個人的問題である。一般にはそう考えられるが、内親王の御結婚は国民の結婚とは事情が異なる。納采の儀も結婚式も行われない。一時金も受け取らないといっても、内親王は内親王であり、私人ではない。ところが、宮内庁の説明では、逆に、むりやり私人を装うことで、結婚を成立させようとしている。

公(おほやけ)とは古くは天皇を指したという。「天皇に私なし」といわれ、天皇に姓はなく、固有名詞で呼ばれることもない。昔なら内親王も皇位継承の可能性があったのであり、私人ではあり得ない。ところが、いまや「天皇無私」の大原則が危機に瀕している。枝を矯めて花を散らすがごとしである。

今回、納采の儀が行われないというが、ふつうなら告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀と続く諸儀式も行われないのだろうか。皇祖神や歴代天皇、天神地祇、そして先帝へのご挨拶もないとすると、前代未聞といわねばならない。

皇室第一の原則は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)である。皇祖神に始まる歴代天皇との繋がりを否定して内親王の立場はないし、天神地祇への神祭りなくして皇室の存在意義はあり得ない。

かつて天皇が仏教に帰依した時代、もっとも大切にされたのは「金光明最勝王経」である。「王法正論品第二十」では前世とのつながりが説明され、「国を治むるに正法をもってすべし」と教えている。因果応報、悪政には天罰が下り、悲惨な結末を迎えると警告されている。

皇祖天照大神からこの国の統治を委任され、公正かつ無私なるお立場で、「国中平らかに安らけく」と祈り、国と民の統合を第一のお務めとする祭り主が天皇であるという考えと共通するものがある。私人でありようはずがない。


◇日本社会も皇室もキリスト教化した

しかしキリスト教は異なる。「天の父」の教えが強調され、祖先とのつながりは否定される。たとえばイエス・キリストは「タラントンのたとえ」を話された。タラントンとは神が人間個人に与えた才能(タレント)である。キリスト教では人間は個人でしかない。

渡部昇一先生の本には、宣教師に「入信せずに死んだ親は天国に行けるのか?」と質問し、「洗礼を受けなければ天国には行けません」との返答に憤然として宣教師を追放した酋長の逸話が載っている。祖先とのつながりより、キリスト教信仰が優先される。

近代になり、日本はキリスト教世界の文物を積極的に導入した。その先頭に立ったのが皇室であった。キリスト教の社会事業を物心ともに支援したのも皇室である。戦後、ICUが創設されるとき、設立準備委員会の名誉総裁となったのは高松宮宣仁親王殿下だった。

戦前から昭和天皇の側近には多くのキリスト者がいたが、昭和天皇ご自身がキリスト教に染まることはなかった。しかしいまはどうだろうか。日本社会自体、「純ジャパ、半ジャパ、ノン・ジャパ」が入り乱れ、ICU化している。そして皇室もである。

天皇・皇族が皇祖皇宗からの繋がりを失った個人と意識されるようになったとき、「天皇無私」を第一義とし、公正かつ無私なる祭り主を第一のお務めとする皇室の歴史と伝統は、幕を閉じることになる。

それはちょうど、「祭り主」天皇の歴史的意義も、男系継承の伝統的意味も見極めずに、安易に女系継承容認に走る皇位継承論と同じ構図である。25年も前に女系容認に舵を切った宮内官僚が、今回も十分な身辺調査を怠り、引き返すことのできない地点にまで内親王殿下を追い込んだのである。PTSDの原因を作ったのは宮内庁であろう。

藩屏なき皇室、ここに極まれり、ということだが、ここまできた以上、国民はどうすべきなのか。言いたいことは山ほどあれど、ぐっと飲み込んで、見守るほかはないということだろうか。返す返すも宮内官僚が恨めしい。


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