新嘗祭は太陽暦の「11月23日」で良いのか?(令和5年1月11日、水曜日)
今週月曜日の1月9日は「成人の日」で祝日だった。昭和のころは「1月15日」だったが、6日も早い。いまは「1月の第2月曜日」と祝日法で決められているからだ。
法律に従えば、年によっては「1月8日」もあり得ることになるが、松が明けて早々では、早過ぎないだろうか。25年前の改正はハッピー・マンデー制度で、余暇を増やそうとの趣旨からだが、いまのご時世、全国民が連休を満喫できるというわけではないだろう。
もともと「成人の日」が「1月15日」だったのは、元服の儀式が古代から小正月すなわち「1月15日」に行われてきたかららしい。
ということは、「1月の第2月曜日」の「成人の日」は、古代から1000年余におよぶ歴史を失ったということにならないだろうか。個人的には「1月15日」に戻してほしいと願っている。
▷太陽暦の日付の決め方
ただ、その場合、悩ましいのは、いまの太陽暦(グレゴリオ暦)の場合、1年の起点となる「1月1日」には、天文学的に見て、何の意味もないことである。春分の日、夏至、秋分の日、冬至は天文学的に定まるが、もっとも重要なはずの元日はそうではない。
太陰太陽暦と太陽暦では「小正月」の日は異なる。なぜそうなったのか。
古代ローマでは、太陽を崇拝するミトラ宗教が大きな教勢を誇っていて、冬至にあたる「12月25日」はミトラの誕生を祝う祭日だった。これに真っ向から対抗しようとしたのが、少数派のキリスト教徒だった。
異教徒の最大の祭りの日をわがものとし、クリスマスに仕立て上げようとしたのだ。聖書にはキリストの誕生が「12月25日」とは書いていないが、217年12月25日にキリスト誕生を祝う祭りを行った。これがクリスマスの始まりだった。
案の定、宗教紛争が火を噴き、なんとキリスト教が圧倒し、やがてローマの国教となった。キリストは「世の光」「義の太陽」と呼ばれ、381年のコンスタンチノープル会議第二回公会議で、「12月25日」がクリスマスと定められたということらしい。
「1月1日」は「12月25日」の1週間後ということになるのだが、そもそもなぜミトラ宗教では冬至の日を「1月1日」と定めなかったのだろう。その方がスッキリすると思うのだが…。
▷なぜ「11月23日」なのか
さて、前置きが長くなった。私が問題にしたいのは、宮中新嘗祭および大嘗祭のことである。古来、「11月の下の卯の日」に行われてきたが、いまは違う。変わったのは明治の改暦以後である。
東京に賢所が遷座するとともに、宮中祭祀の大改革が行われ、明治4年に行われた大嘗祭では、『明治天皇紀』によれば、「いまや皇業、古に復し、百事維れ新たなり。大嘗の大礼を行うに、あに旧慣のみを墨守し、有名無実の風習を襲用せんや」と批判され、現実主義的な整備が実行されたという。
翌5年11月9日、改暦の布告が行われた。太陰太陽暦が廃され、太陽暦が採用されることとなり、同年12月3日をもって6年1月1日とされた。5年の新嘗祭は旧暦の11月22日に行われたが、翌6年は太陽暦の「11月23日」だった。
こうして新嘗祭は「下の卯の日」ではなくなり、「11月23日」に固定され、およそひと月、季節感のズレが生じることになった。
欧化主義と合理主義による近代の改革を是とするのか、それとも古代からの歴史と伝統を重視すべきか、判断は難しい。ちなみに昨年の「11月23日」は旧暦では「10月30日」で「辰の日」だった。他方、旧暦の「11月23日」は太陽暦の「12月16日」で、「卯の日」だったらしい。
干支は古代中国・殷代に始まり、日本には古墳時代に伝来したという。今年は卯年だが、「卯」はウサギの跳躍のごとき発展を意味する。「卯の刻」は夜明けの6時、「卯月」は陰暦4月をいう。
『日本書紀』によれば、最初に新嘗祭を行ったのは皇極天皇で、642年11月16日のことだった。むろんこの日は「卯の日」だったという。
蛇足だが、令和の大嘗祭・大嘗宮の儀は令和元年11月14日の夕刻に始まった。旧暦なら「10月18日」だが、「卯の日」であった。
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