天皇の祭祀について提言する有識者がいない!?──新儀を提案し、新語を多用する歴史家たち(平成30年3月21日)
第2回式典準備委員会はたったの40分しか時間がありませんでした。政府の会合は所詮、そんなものなのかも知れませんが、そうなると実質的な検討が根回しの段階で行われるのは必定です。したがって有識者のヒアリングはきわめて重要です。
けれども残念なことに、機能を十分に果たしていないのではありませんか。皇室の伝統である祭祀について深く語れる適任者が見当たらないからです。以前、石原信雄元内閣官房副長官のヒアリングの中身について検討しましたが、ほかのお3方とて大同小異です。
▽1 江戸歌舞伎役者を装う新作歌舞伎俳優
園部逸夫元最高裁判事は法律家ですから、そもそも期待できません。「皇室の伝統等という観点からは、光格天皇の例などを参考にすることが大切であると考える」と述べた程度にすぎません。
所功京都産業大学名誉教授は、女系継承容認、「女性宮家」創設、「生前退位」、いずれも過去の歴史にない新例の開拓に積極的にコミットしてきたパイオニアですが、今回もまたフロントランナーの面目躍如たるものがあります。
今回の御代替わりについて、「約200年前まで行われていた伝統的な『譲位』『践祚』の儀式を参考にしながら、戦後の現行憲法と諸法令に適合し、当今の国内外における通年とも調和しうるようなあり方を工夫して、形作る必要がある」と自信たっぷりです。
つまり、皇室の歴史と伝統を重んじ、そのうえで現在の憲法との整合性を図るという発想とはだいぶ違うようです。退位の式典については、明治の登極令に定められた宮中三殿での賢所の儀や皇霊殿神殿に奉告の儀のことは私などよりはるかに詳しいはずですが、不思議にもおよそ言及がありません。
したがって、というべきか、昭和、平成の御代替わりで、3日間にわたる賢所の儀のあとに朝見の儀が行われたことなどまるで念頭にないかのように、「朝見の儀は5月2日の昼間がふさわしい」と仰せになっています。一方では、お得意の「新儀」の提案もなさっておいでです。
史料を縦横無尽に駆使する大歴史家と思いきや、まるで江戸歌舞伎の名優を装う新作歌舞伎俳優のようです。
▽2 事務局が口止めしたのか
本郷恵子東大史料編纂所教授もまた歴史家のはずですが、公表された資料には、「現天皇」「新天皇」「天皇位」「新皇嗣」など、聞き慣れない、非歴史的な用語が勢揃いしています。
その一方で、「伝統の継承」についての説明では、「過去の儀礼をそっくりそのまま繰り返すことではなく、歴史と先例を踏まえたうえで、時勢にあわせて最適にして実現可能な方法を採用すること」と仰せです。
皇室の原理は「伝統」オンリーではなくて、「伝統と革新」なのですから、至極当然ですが、その場合、旧例を捨て、新例を開く判断基準は何だとお考えなのでしょうか。「歴史上初めての事例」とする今回の御代替わりで、皇室伝統の祭祀はどうあるべきなのでしょう。
たとえば、千数百年の歴史を持つという大嘗祭は、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて祈る複合儀礼であり、価値多元主義に基づく国民統合の儀礼だと私には理解されますが、現代的意義の見出せない、したがって現憲法下では国の儀式として挙行するのはふさわしくない古儀だと先生はお考えなのかどうか。
教授は、なぜか祭祀との関連について多くを語ろうとしません。「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇「禁秘抄」)が皇室の伝統的精神であることなど百も承知でしょうに、事務方から口止めでもされているのでしょうか。
式典準備委員会ではヒアリングの結果の説明のあと、退位の式典についての考え方が事務局より説明され、日時は「4月30日」とされました。式典は「御退位の事実を広く国民に明らかにするとともに、天皇陛下が御退位前に最後に国民の代表に会われる」のが趣旨とされています。
しかし、期日についていえば、すでに退位は特例法および施行令によって既定の事実とされているのであり、退位の表明が目的ならば前日である必要はないのではありませんか。「最後に会う」にこだわるなら別ですが、退位の式の挙行が退位の法的効果を生むわけではありません。とすれば、「4月30日」でなければならない理由はありません。
むしろ「5月1日」の践祚の式と連続して行うのは無理なのでしょうか。「譲位、即践祚」なら、むしろ同じ日に連続して挙行されるべきではないでしょうか。200年前の光格天皇から仁孝天皇への御代替わりでは、むろん譲位の儀が1日で行われています。
退位と践祚を、どうしても分離しなければならない特別の理由があるのでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?