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「膠着」どころか、着々と進む靖国神社に代わる「国の追悼施設」──日経編集委員の靖国論に反論する(令和3年8月14日、土曜日)


明日の終戦記念日を前に、一昨日8月12日の日経電子版に「靖国・千鳥ケ淵・新施設…戦没者追悼の道筋なお見えず」と題する大石格・編集委員の記事が載りました。「戦没者をどう弔うのがよいのか」について、いわゆる靖国問題の経緯を振り返り、問題提起が試みられています。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1091R0Q1A810C2000000/〉

結論として、大石さんは、現状を「膠着状態」と捉えています。政府内には、「(靖国神社に代わる)新施設を推す動きはまったくない」し、「首相の公式参拝の復活は外交的にほぼ無理」だからです。

けれども違うのです。靖国神社に代わる国の追悼施設は着々と既成事実が積み上げられているからです。大石さんの見立てた「膠着状態」はむしろ、大石さん自身の頭脳内に腰を据えているのではありませんか。どういうことなのか、以下、説明します。


▽1 靖国神社は「宗教」なのか

大石さんは戦後史から書き起こしています。政府主催の戦没者追悼式も千鳥ヶ淵墓苑も「無宗教」だが、靖国神社は「宗教法人」だ、というのが議論の前提です。この論理こそ「膠着状態」の第一原因です。

靖国神社の歴史が幕末・明治維新期に遡ることは大抵の人は知っています。大石さんが戦後の歴史から書き起こしているのは「宗教法人」に着目するからでしょう。しかし創建史を無視してはいけません。

もともとは官軍の招魂社でしたが、靖国神社と改称列格されたのは、国に一命を捧げた国民の慰霊・追悼施設として確立されたことを意味しています。それは日本が近代国家として生まれ変わったことと同義です。殉国者の慰霊追悼は近代国家の責務です。慰霊追悼は宗教的行為です。

しかし国家による慰霊追悼はいかなる意味での「宗教」なのか。靖国神社は近世の義人信仰を源流としているとはいえ、一般の神社とは多くの点において異なっています。一律に「宗教」だと認めるべきでないことは、上智大学生靖国神社参拝拒否事件のときにバチカンが示した公式見解から明らかです。

ちなみに欧米で戦没者追悼の国家的儀式が行われるようになったのは、日本より遅く、第一次世界大戦休戦直後のイギリスからで、キリスト教の宗教的伝統に基づいて、いまも続いています。それに対して、政教分離の観点から批判があるとは聞きません。

大石さんは、国に命を捧げた戦没者への慰霊追悼は国が行うべきこと、それは宗教的伝統に従って行われるべきこと、政府が非伝統的儀礼を創設することは新たな国家宗教の創始であり、政教分離原則と矛盾すること、に思い至らないのでしょうか。

慰霊追悼は宗教行為そのものですが、政教分離に抵触するのかどうか。政教分離主義の源流とされるアメリカなら、同時多発テロの犠牲者の追悼ミサも、歴代大統領の葬儀も、「全国民のための教会」ワシントン・ナショナル・カテドラルで、キリスト教形式で、政府主催で行われます。ちなみに戦後の戦没者追悼式が靖国神社で行われたこともありました。それがなぜ「膠着状態」に至ることになったのか。


▽2 靖国問題の本当の核心

戦後は、たしかに大石さんが仰せのように、靖国神社は「宗教法人」となりました。しかしみずから進んで宗教法人化したわけではありません。

いわゆる神道指令発令ののち、宗教団体令の改正で、一方的に期限を示されたうえで、「宗教法人」とならなければ「解散」されたものと見做される、という切羽詰まった状況下での苦渋の選択によるものでした。靖国神社は国家的慰霊追悼の存続のため、やむを得ず宗教法人化したのです。

そして、まさにその原因となった「神道指令」です。靖国神社を標的にしたかのような指令がなぜ発令されるに至ったのか、です。国際法違反は明白なのに。

日本の敗戦はポツダム宣言の受諾によりますが、同宣言に明記された「軍国主義・超国家主義」が曲者です。アメリカはその源流を「国家神道」と見定め、その中心施設こそが靖国神社であり、その経典が教育勅語であると信じていたようです。そのことは戦時中にアメリカが新兵養成のために製作したプロパガンダ映画を見れば明らかです。

であればこそ、占領軍は靖国神社を敵視し、爆破焼却しようとも考えていたようです。しかし同社は生き残りました。靖国神社の神職が侵略戦争を指導していたと本気で考える人たちもいたようですが、実際には一兵卒として応召していたことを知って驚いたGHQ職員がいたとも伝えられます。

つまり、「国家神道」こそ幻なのです。

であればこそ、占領後期になれば、GHQの政教分離政策は限定主義に転換され、吉田茂総理の靖国神社参拝も認められています。にもかかわらず、戦後何十年も経って靖国問題が浮上し、政教分離の厳格主義が幅を効かせ、いつまで経っても問題が解決できない「膠着状態」に立ち至ったというところに、問題のほんとうの核心があるのでしょう。

アメリカでさえ卒業したはずの「国家神道」論を日本人が克服していないということです。


▽3 国にスルーされる靖国神社

大石さんは「富田メモ」を取り上げていますが、富田朝彦宮内庁長官は「無神論者」を自認する人だったことが知られています。個人の思想は自由とはいえ、宮内庁のトップでありながら、天皇の祭祀には「不参」のことが多かったと聞きます。根っからの宗教嫌いなのでしょう。


だとすれば、「富田メモ」もその前提で読み直されるべきです。

国に命を捧げた国民に対して、慰霊追悼の誠を捧げられるのは国以外にはあり得ません。それを戦後、半世紀以上も、民間任せにしてきたところに根本的問題があります。

大石さんは靖国神社当局による戦犯合祀に膠着化の原因があるかのように書いていますが、いわゆる戦犯を「戦没者」と認め、援護政策の対象としたのは日本政府です。靖国神社は政府の決定に基づいて、合祀したのです。合祀に異議があるのなら、戦犯者を戦没者と認定した政府を批判し、取り消しを要求すべきです。

靖国神社はいまも、本来、国がなすべき慰霊追悼の誠を、国に代わって、日々、捧げています。それは宗教儀礼というより国家儀礼というべきものです。昨日は現職閣僚の参拝がありましたが、宗教行為というより公人の表敬行為と見るべきでしょう。私人による参拝だから政教分離に違反しないとする政府の憲法解釈も誤っています。公人だからこそ表敬することに意味があります。

さて、大石さんは記事の最後で、「膠着状態はいつまで続くのか」と問いかけていますが、事態は水面下で着々と進んでいることにお気づきにはならないのですか。

つまり、大石さんも言及している、宗教法人靖国神社内の人間臭いゴタゴタに目を奪われている隙に、千鳥ヶ淵墓苑、防衛省メモリアルゾーンには、皇族方や総理ほか政府要人、外国政府代表者が定期的に参詣し、事実上、靖国神社に代わる国の追悼施設へと既成事実が積み重ねられています。


近代以降、唯一の国家的戦没者追悼施設である靖国神社が、ほかならぬ国によってスルーされているところに最大の問題があります。


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