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プライバシー優先の秋篠宮誕生日会見──様変わりした皇室報道の自作自演。プライベート暴きで挑発し、事件が起きても手を緩めない(2008年12月02日)

(画像は会見に臨まれる殿下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)

▽1 毎日記者の会見記事に注目


 今週の日曜日(平成20年11月30日)、秋篠宮文仁親王殿下が43歳の誕生日をお迎えになりました。各紙に会見の記事が載っていますが、毎日新聞・真鍋光之記者の記事が目にとまりました。http://mainichi.jp/photo/news/20081130k0000m040104000c.html

 同記者は、先々月、「記者の目」で、雅子さまが身障者スポーツ大会を欠席し、愛子さまの運動会を観戦したのは、「天皇、皇族に私なし」という姿勢に反している、という批判を展開していました。

平成20年10月23日の毎日新聞「記者の目」から

「天皇に私なし」とはいいますが、「皇族に私なし」とは聞きません。以前、このメルマガで書いたように、妃殿下にとっての公務というのが曖昧(あいまい)であることの方が問題だし、マスコミに妃殿下の「私」優先を批判する資格はないと私は思います。

 その意味で、真鍋記者がどのような報道をするのか、どのような会見だったのかに興味がありました。

▽2 「私」優先の記者会見


 すると案の定でした。

「悠仁さまの成長ぶりを語る」と題された記事のポイントは、①悠仁親王殿下の成長、②東宮家の引っ越しにまつわるこぼれ話、③羽毛田信吾長官の「苦言」についての感想、④陛下の公務ご負担についての意見、の4つです。

 まるで絵に描いたように、「私」優先の記事になっています。

 実際の会見はどうでしょうか。宮内庁のホームページに掲載されている会見内容を見てみましょう。

 やはり、第1問は悠仁親王の成長ぶり、教育方針、お子様方と両陛下との交流のようすなどで、ものの見事に「私」優先なのでした。

平成20年のお誕生日会見の第1問@宮内庁HP

 たとえば、平成15年のお誕生日会見では、第1問は一年間の回顧でしたから、様変わりしていることが分かります。

平成15年の場合@宮内庁
〈https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/03/kaiken/kaiken-h15.html〉


▽3 自作自演報道こそ自己批判せよ


 皇太子殿下の会見も同様で、無遠慮なプライバシー暴きのスタイルが続いています。

 平成11年暮れに朝日新聞が妃殿下の「懐妊の兆候」をスクープ。しかし残念なことに妃殿下は流産されます。4週目という不安定な時期を十分に配慮しないメディアの「勇み足」報道の結果と指摘されます。殿下は会見で無念さを述べられました。

 けれどもマスコミの姿勢は変わらず、いわゆる「人格否定発言」の翌年、17年は皇位継承問題など厳しい質問が突きつけられ、18年以降はまるで女性週刊誌の見出しを見るかのような誕生日会見に様変わりしています。

 それでも殿下はつとめて大所高所に立った話をされようとしています。

 つまり、プライベート暴きで挑発し、あってはならない事件が起きても手をゆるめない。そして殿下の「人格否定」「プライベート」発言を追撃する。これは自作自演報道というほかはありません。

 真鍋記者の記事は「『病気だから』で済ますな」と宮内庁に迫る強烈なタイトルがついていましたが、それなら妃殿下の「私」優先を批判するまえに、マスコミのプライバシー暴きこそ自己批判されるべきです。

▽4 口車に乗せられた西尾幹二先生?


 マスコミの口車に乗せられたかのような知識人も同様です。

 たとえば西尾幹二先生などは、自作自演報道のカラクリが見えないのでしょう。「天皇家にはなじまない。スローガンめいていて、政治的匂いさえする」(「WiLL」20年5月号)と、もっぱら殿下の「人格否定」「プライバシー」発言を批判するのです。

「WiLL」2008年5月号掲載の西尾幹二論文

 殿下は国民のために絶対無私の祈りを捧げることこそ祭祀王たる天皇第一のお務めであることを十分に理解され、「皇室として大切なのは、国民と心をともにし、苦楽をともにすることで、時代を超えて受け継がれてきている」と会見で再三、表明されています。

 そのことは宮内庁のホームページ上に公開されている記者会見の応答を検討すれば簡単に分かることですが、残念ながら先生には見えないようです。


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