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御結婚前に「私人」になられた内親王殿下──天皇の「無私」か、憲法の「自由」か?(令和3年10月17日、日曜日)
眞子内親王殿下が26日に御結婚になる。心からお祝い申し上げたいところだが、あまりにも異例続きだ。公人ならぬ「私人」なら、自由で、何でも許されるということなのか。それでは古来、公(おおやけ)中の公であり、「私」を去ることを大原則としてこられた天皇・皇室の歴史と伝統をみずから否定することになりはしないか。
たとえば、ご結婚までのご日程である。
先週の12日には昭和天皇、香淳皇后が鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵に謁せられた。宮内庁発表によると、19日には宮中三殿に謁っせられ、22日には皇居・御所を訪れられて、天皇、皇后両陛下にご挨拶になり、25日には太上天皇・皇太后両陛下にご挨拶になる。すでに伝えられているように、納采の儀などは行われない。
▽1 皇室の伝統の否定
既述したように、皇室の婚姻に関する古来の儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式では、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、と続くことになっている。親族令は廃止されたが、附式はいまも生きている。
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清子内親王殿下の場合は、平成17年3月19日に納采の儀が行われ、半年が過ぎたあと、11月12日に賢所皇霊殿神殿に謁するの儀が行われ、さらに宮殿・松の間で朝見の儀が行われた。帝国ホテルで結婚式が行われたのは同15日である。
納采の儀は先方の使者が幣贄を携えて殿邸に参上し、結納が行われる。入第の儀は先方の使者がお迎えにあがる。かつて内親王のお相手は華族までとされたが、今は昔、今回は「家」が関わる儀礼は行われない。名実とも「私人」の婚姻なのである。
三殿に謁するの儀から朝見の儀までの順序は親族令に準じているが、参内朝見の儀は宮殿ではなく、御所で行われる。親族令では予定されていない先帝先后の山陵に謁するの儀は諸儀礼に先立って行われた。
殿下の「希望」によるものと伝えられるが、天皇、皇太子なら締め括りとして行われる儀礼である。先んじて行われたのは、婚姻による皇籍離脱後では文字通り「私人」のお立場となり、格好がつかないからなのだろうか。しかし皇祖皇宗へのご挨拶が後になるのはどうみてもおかしい。皇室の伝統の否定なのである。
今回のご結婚の異例は、皇籍を離脱して「私人」となるのではなくて、すでに「私人」扱いされている点にある。支持する人たちは、結婚の自由を叫び続けているが、天皇・皇族はそもそも「私人」ではあり得ない。一時金を断る云々は方便に過ぎない。
▽2 天皇より憲法が優先
天皇は古来、固有名詞では呼ばれない。かつては乳人制度があった。肉親のご葬儀に参列されることもなかった。天皇こそ公そのものであり、「天皇無私」とされた。
「およそ禁中の作法は神事を先にす」とされ、天皇の祭りは皇祖のみならず天神地祇を祀り、皇室の繁栄ではなく、「国中平らかに安らけく」と祈り続けるものである。稲作民の稲のみならず、畑作民の粟が捧げられるのもまた然りである。
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皇祖天照大神は絶対神とはほど遠く、皇祖神の「コトヨサシ」に由来する天皇の「シラス」統治は、唯一神を根拠とするキリスト教世界の一元的支配とは大きく異なる。
「祭り主」天皇の公正かつ無私なる祈りこそが、多様性ある国家の平和的統合をもたらしてきたのではなかったか。天皇の「無私」が民の「自由」の根拠である。それがまったく逆に、キリスト教世界由来の現行憲法のもとでは、天皇の祭祀が「私事」とされ、逆転現象が起きた。
そして今回のご結婚である。世が世なら、天皇ともなり得るお立場の内親王なのである。天皇の「無私」か、憲法の「自由」か。内親王殿下のご結婚が私たちに問いかけているのは、戦後体制に馴染み過ぎた現代人が歴史的天皇のあり方の価値を再確認できるのか否かである。憲法の解釈・運用がおかしいのか、それとも憲法自体が誤りなのか。
宮内庁は今回のご結婚で、みずからの落ち度を密かに認めたものらしい。すなわち不十分な身辺調査という不作為である。であればこそ、佳子内親王殿下の場合は厳格化が伝えられている。本来なら長官が責任を認め、職を賭してお諌めすべきだった。
しかし陛下より憲法に忠実な国家公務員に成り下がった現代の側近には、もはや藩屏は務まらない。天皇より憲法が優先されるのである。
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