皇室の伝統に反するご負担軽減──政府の「皇室制度」改革に幕を引いた天皇誕生日会見 2(2017年09月29日)
(画像は平成24年のお誕生日会見に臨まれた陛下。宮内庁HPから拝借しました。ありがとうございます)
あとがきにかえて
▽2 皇室の伝統に反するご負担軽減
あらためてこれまでの経緯を振り返ると、宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、御在位20年がきっかけでした。
平成20年2、3月、宮内庁は御健康問題を理由に、「昭和の先例」を踏襲する、御公務ご負担軽減について発表し、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると軽減策は前倒しされました。
けれども軽減策にもかかわらず、御公務は少なくとも日数において、逆に増えました。一方、文字通り激減したのは、歴代天皇が第一のお務めと信じ、実践してこられた宮中祭祀でした。
祭祀簡略化を進言したのは、渡邉允前侍従長(19年6月まで侍従長。24年4月まで侍従職御用掛。いまは元職)ら側近でした。
前侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。工事完了後も側近は、陛下のご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は
「筋が違う」
と認められませんでした。ただ、
「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」
とおっしゃったので、見直しが行われたとされます(渡邉『天皇家の執事──侍従長の十年半』)。
ところが、御公務は少なくとも日数において増え続け、22年には年間271日にまで達しました。その一方で、祭祀は文字通り激減しました(拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」=「文藝春秋」2011年4月号)。
「争わずに受け入れる」
というのが天皇の帝王学ですが、皇室の伝統に反するご負担軽減に、けっして満足なさっていたわけではありません。そのことが陛下のお言葉から読み取れます。
21年のお誕生日のご感想では、
「今年は日程や行事の内容を少し軽くするようにして過ごしてきました。昨年(20年)12月の体調よりは良くなっていますので、来年も今年のように過ごし、皆に心配をかけないようにしたいと思っています」
と述べられています。
しかし、翌22年になると、
「一昨年(おととし)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」
と御公務への強い意欲を示されたのでした。
11月にご入院された23年も同様で、
「退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています」
と決意を述べられました。
つまり、陛下はこれまで一貫して、御公務への意欲を示してこられたのです。