大変革のときを迎えたイギリス王室──男女平等継承どころではない(2011年10月15日)
報道によると、イギリスのキャメロン首相は、イギリスの王位継承の制度を男子優先から長子優先に変更する手続きに着手したと伝えられます。
http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011101301000073.html
1701年制定の王位継承法は男子優先を定めていますが、これを改正するには、イギリス国会で改正を進めるだけでなく、イギリス国王を元首といただくイギリス連邦諸国の承認が必要で、そのため同首相は15カ国の首脳に同意を求める書簡を送ったそうです。
書簡のなかで首相は、「社会では男女平等を支持しているのに、国の最も高い位の人が男子優先なのは社会の流れにそぐわない」と法改正に理解を求め、12日には議会下院で、現行の王位継承の在り方について、「解決すべき課題だ」と述べたと伝えられます。
また、カトリックと結婚した王族は王位継承権を失うという規定についても「歴史的な不合理」と指摘したそうです。
10月末にオーストラリアで開かれるイギリス連邦首脳会議で協議が行われる予定といわれます。
前掲の共同通信の配信記事は、「欧州各国の王室では男女平等、長子優先が大勢となっており、デンマークでは2009年に国民投票で王位継承法の改正を決定した。現在、男子優先としているのは英国とスペインの2カ国」と解説を加えています。
けれどもイギリス王室は男女平等論どころか、もっと大きな変革のときを迎えているように見えます。
▽1 王位継承の二大原則
王位継承法改正に関する議論は3年前にもありました。当時は労働政権時代で、男子優先、カトリック教徒の継承禁止を改めるだけでなく、婚外子にも継承権を認めるという内容の改正案を準備している、と伝えられました。
今回、労働党政権ではなく、保守党内閣による改正の動きは、4月にウイリアム王子とキャサリン妃が結婚し、浮上したことがきっかけとされます。世論調査では、じつに7割以上が法改正を支持しているそうで、民意を追い風にキャメロン首相は改正に着手したようにも見えますが、王位継承制度の変更にはもっと大きな背景があるように思います。
イギリスの王位継承にはふたつの大原則がありました。父母の同等婚と王朝交替です。イギリス王位は王族同士の婚姻により、父系によって継承され、男子が不在の場合は女王の継承を経て、女王の王配(配偶者)側に王朝が交替するという大原則です。
たとえば20世紀初頭、ヴィクトリア女王のあと長男のエドワード7世が即位しましたが、同時にハノーヴァー朝は幕を閉じ、女王の王配であるアルバート公にちなんで、ハノーヴァー=サクス・コバータ・ゴータ朝に交替しています。
憲法学者の小嶋和司・東北大学教授(故人)が、「『女帝』論議」(『小嶋和司憲法論集2』1988年)で、女帝を容認するゲルマン法系制度と日本の皇室とでは皇太子が皇族=王族身分を得る条件が異なることを指摘し、イギリス国王エドワード8世がアメリカ人であるシンプソン夫人との恋を実現させるため退位した歴史に言及しています。
退位の理由は、シンプソン夫人に一度ならず二度の離婚歴があったからではありません。夫人が王統に属する血筋ではなかったからです。王の婚姻は同等でなければなりません。父母とも王族でなければ、王子・王女は国王にはなれません。王族とはなれない王子・王女を誕生させるような婚姻は国王には許されないのです。
エドワード8世は、イギリス本国および各自治領の立法議会に、特別立法による婚姻の容認を要請しましたが、拒否され、退位を余儀なくされました。
▽2 原則を破ったチャールズ皇太子の再婚
しかし時代は移り、王位継承の二大原則はいずれも破綻してしまいました。チャールズ皇太子の再婚、ウイリアム王子の一般女性との婚姻によってです。
キリスト教では結婚は秘跡であり、カトリックでは「姦通、離婚、一夫多妻、同棲は結婚の尊厳に反する重大な罪」とされていますが、イギリスの教会がローマ・カトリックから離脱したのは、国王ヘンリー8世の時代で、ルターの宗教改革を批判する著書を著すほど熱心なカトリック信者だったはずの国王が、王妃との結婚解消、再婚をめぐって、離婚を教義的に認めないローマ教皇と鋭く対立したことにありました。
教皇は国王を破門にしましたが、国王はみずから国教会の唯一・最高の首長だと宣言し、カトリックの支配を離れました。そのあと反対者を処刑し、カトリック修道院の財産を没収するなどして王室の権威を確立したと伝えられます。
チャールズ皇太子はダイアナ妃の事故死から7年半後、カミラ夫人と念願の結婚式を挙げましたが、離婚経験者同士の再婚にはイギリス国教会内部に反発が根強く、王族としては異例なことに無宗教形式の結婚式となりました。
当初はウインザー城内での挙式の予定でしたが、教会が認知しない民法上の結婚式が城内では認められていないことから、公会堂に変更されたといわれます。国教会の首長の立場にあるエリザベス女王は教会への配慮から参列しませんでした。
二人は式のあと、ウインザー城内の礼拝堂で行われる大主教司式の祝福式に出席しました。式には女王ほか王室関係者やブレア首相などが招待されました。祝福式に王室、政府、教会関係者が出席したことは時代の変化をうかがわせました。
国教会は何年か前、例外的とはいえ、離婚者の再婚に際して結婚式を教会で挙げることを認めたと伝えられます。聖職者がその式を拒否することも自由とされましたが、イギリス社会は再婚に寛容になっています。それでも教会関係者が反発を隠しきれないのは、カミラさんの元夫が存命で、信仰的にはいまも夫婦関係が続いていると考えられているからです。
「国王が支配する教会」という実態が薄らいでいるとはいえ、教会の首長はあくまで国王です。王室みずから神の秘跡を破り、教会のおきてを蔑ろにするなら、王室の権威は失墜せざるを得ません。
▽3 王位継承法を変えざるを得ない現実
そして王位継承順位第2位のウイリアム王子は今春、学生時代に知り合ったキャサリン妃と結婚しました。同妃は一般家庭の生まれでした。
王位継承の父母の同等婚原則は崩れました。
興味深いことに、イギリスの友人たちにずいぶんしつこく聞きましたが、70年前と異なり、王位継承問題をめぐる大議論がわき起こりませんでした。代わりにキャサリン・ブームが起きました。王室と国家の将来について、イギリス人は語らなくなったようです。
同等婚原則の崩壊は、イギリス社会の変化であると同時に、歴史と伝統あるイギリス王室みずからが変わったところに原因があります。
今回の王位継承法改正の動きについて、男女平等論を理由とする報道がありますが、そうではなくて、内外の王族から妃を迎えることが難しいという現実論がまさったからではないでしょうか。その現実が同等婚原則と王朝交替の二大原則を失わせたのだと私は思います。
したがって、現実的に王位継承法を変えざるを得ないのです。
▽4 イギリス国教会の黄昏
もうひとつ見逃せないのは、イギリス国教会の信仰の変化です。
国教会の実情に詳しい知人によれば、いまや国王を絶対神に代わる地上の支配者と考える人はほとんどいないそうです。国王も俗人に過ぎない、と考えられているのです。であればこそ、王室は男女平等原則に従え、ということになったのです。
ヘンリー8世の時代、国王は教会の首長(head)でしたが、エリザベス1世の時代に、首長(governor)と変えられたそうです。聖書では head は男子にのみ使われるからです。女性の頭(head)は男性であり、男性の頭はキリストとされます。女性は男性のあばら骨から生まれたのであり、男性に従うべきだというのがキリスト教の教えです。
ところが、チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚もそうだったようですが、ウイリアム王子の結婚式で、キャサリン妃は「夫に従い」という言葉を使いませんでした。本来はそうではないのに、封建時代の悪弊と誤解され、キリスト教信仰の原則を維持できなくなっているのです。
それでなくても、教会はフェミニスト神学なるものが席巻し、「父と子と精霊」ではなく、「母と娘と精霊」の三位一体を主張し、「天におられる父、母よ」と祈る聖職者たちもいるそうです。
カトリックと結婚した王族は王位継承権を失うという規定の見直しも、そうした国教会の黄昏が背景にありそうです。
さて、イギリス連邦諸国が長子優先の王位継承法改正を容認するのかどうか。15カ国のなかにいまもなお信仰に篤い国があれば、改正がすんなり認められるとは限りません。イギリス国教会の衰退はかつて7つの海を支配した大英帝国の衰亡そのものです。