「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う(令和3年12月1日、水曜日)
皇太弟殿下は昨日、56歳のお誕生日をお迎えになった。先月25日に行われた宮内記者会の会見では、お祝いどころか、第一問から眞子内親王殿下の御結婚に関する厳しい質疑が根掘り葉掘り加えられた。だがしかし、宮内庁に矢面が向けられることはなかった。
内親王殿下の御結婚は儀式が行われず、一時金の支給もなかった。御結婚当日には皇太弟殿下は妃殿下と連名で、「(結婚の公表以来、予期せぬ出来事が起こり)皇室への影響も少なからずありました」「皇室としては類例を見ない結婚となりました」などと綴られた「感想」を発表されていた。
記者会はまず、この「皇室への影響」の中身を問いかけた。これに対して殿下は、2点について答えられた。1点は、天皇・皇族方の発言などを誤り伝えるメディア報道についてで、報道が誤りであるなら、それは至極当然のことであった。
私が気になったのは2点目である。殿下は、「普通であれば行われている三つの行事、納采の儀と告期の儀と入第の儀を行わなかったこと」と述べられた。
さらに、「私の判断で行わなかった」「元々は皇室親族令にあるもので、今はもう皇室令はないので、絶対にしなければいけないというものではない」「慣習的に行われているもので、私は本来であれば行うのが適当であると考えている」「行わなかったそのことによって皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられる」と続けられた。
私が気になるというのは、儀式を行わないという殿下のご判断の根拠が、かつての皇室令は廃止され、慣習として受け継がれている、だから必ずしも法的義務はないという法解釈にあるとすると、厄介なことになりそうだと思ったからである。
▽1 皇室親族令の廃止と依命通牒の通達
皇室の婚姻について定めた、戦前の皇室親族令(明治43年)が、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に伴って廃止されたことは、歴史の事実である。
しかし案外、知られていないことだが、同日、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」によって、皇室親族令の中身はいまなお生きていると考えられる。戦後75年、いまだ「新しい規定」はないからである。
平成3年4月25日の参院内閣委員会で、宮尾盤宮内庁次長は「(依命通牒の)廃止の手続はとっておりません」と明白に答弁しており、法的効力はいまもあるとみるべきだ。皇室令の法的効力は失われたが、依命通牒の法的効力は失われていない。とすると、「慣習的に行われている」では済まないのではないか。法は守られなければならない。
殿下は、納采の儀と告期の儀と入第の儀の「三つの行事」を行わなかったと仰せだが、正確にいえば、皇室親族令附式に規定された、内親王が臣籍に嫁する場合における式には、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、の6つがある。
このうち「三つの行事」以外は行われたという意味なのだろうが、中味も順序も「慣習」に従っていない。たとえば、三殿に謁するの儀は洋装で、庭上から「私的」に行われた。また、本来は予定されないはずの先帝先后の山陵に謁するの儀は、諸儀礼に先立って行われた。だからこそ「類例をみない」のである。
皇室親族令は確かに廃止された。しかし依命通牒第三項によって附式は生きているとすると、附式の定めに従わない、したがって合法性が疑われる眞子内親王の御結婚は、皇室行事の「軽さ」に「影響」したどころではなく、皇室の遵法精神が疑われる事態を招いたのではないかと危惧される。
殿下は関連質問でも、小室氏の文書を読んだうえで、「殿下の判断」で、3つの儀式を行わないこととしたと述べられたが、そうなるとますます殿下ご自身の法的責任が問われかねない。これはじつに厄介である。
▽2 「従前の例によれない」という判断
問題は宮内庁の立場である。「皇族に関すること」「儀式に関すること」(宮内庁法第2条)を所掌事務とする宮内庁がどのようにサポートしたのかである。
まず依命通牒だが、平成3年の国会答弁で宮尾次長は、「宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません」と答えている。内部文書だから依命通牒には法的効力はない。したがって、附式の中身は「慣習」に過ぎない、という意味らしい。
この解釈は殿下の説明を端的に後押ししているが、宮内府長官官房文書課から各部局長官に対して通達された依命通牒は、「内部文書」とみなすべきなのかどうか。
注目されるのは、同じ日に、同じ委員会で、宮尾答弁に続いて行われた秋山收内閣法制局第二部長の答弁である。
秋山氏は「通牒は三項、四項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨である」と答えている。第四項には「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を處理すること」とある。
つまり、皇室親族令は廃止された以上、法的効力は認められない。「従前の例」に従えないなら、「当分の内の案」を側近が皇太弟殿下にお伺いを立て、「殿下が判断」されたということになるだろうか。
だとして、「従前の例によれない」と判断した根拠は何か。誰の判断なのか、殿下だけの判断なのか、が問題となる。
▽3 皇室の歴史と伝統をねじ曲げた宮内庁
依命通牒が重要なのは、戦後の宮中祭祀継続の法的根拠とされたからである。皇室祭祀令は廃止されたが、依命通牒第三項によって附式は踏襲されてきた。そして天皇の祭祀は占領期も、社会党政権下でも、続いてきた。
ところが、昭和50年9月1日をもって祭祀は改変され、簡略化の一途をたどった。主導したのは祭祀嫌いの入江相政侍従長と無神論者を自認した富田朝彦宮内庁長官であった。祭りをなさることが天皇第一のおつとめと考える伝統的天皇観を、側近中の側近が毛嫌いし、拒否し、法的に失墜させたのだった。
その根拠として使われたのが依命通牒第四項であった。「従前の例によれない」と判断することになった根拠は、宮中祭祀改変の場合は、憲法の「政教分離」原則だった。そして伝統的「祭り主」天皇は憲法的「象徴」天皇に鞍替えさせられたのである。
しかし、このときどのような議論が宮内庁内で行われたのかは、戦後史の謎である。
今回のきわめて異例な御結婚の背後には、昭和の祭祀改変と同様の法的論理が影を落としている。皇室令を「慣習」と切って捨て、皇室の歴史と伝統は守られなかった。殿下にとって苦渋の選択だったことは重々、承知しているが、殿下だけの判断ではあり得ない。賢い宮内官僚たちは陰に隠れたままである。
今回の御結婚について、宮内庁は十分な身辺調査を怠った。その責任について側近は誰ひとり言及していない。しかも、実際の婚姻について、簡単に法的ルールを変え、歴史と伝統をねじ曲げた。形式がたやすく変えられるということになると、古来、儀式中心の世界である「皇室への影響」は計り知れないことになる。何でもありになり得る。
側近たちは殿下にどのような助言を申し上げたのか、それともしなかったのか。宮内庁はダンマリを決め込んでいる。その結果、「殿下の判断」ばかりがクローズアップされている。藩屏なき皇室、ここに極まれりである。
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