保守政権にして平成の悪しき前例が踏襲される!?──第1回式典準備委員会の配付資料・議事概要を読む(2018年02月05日)
1月9日、天皇陛下の御退位および皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会を内閣に設置することが閣議決定され、その初会合が同日、開催されました。
公表された資料を読むと、案の定、さまざまな不都合が指摘された、平成の悪しき前例が繰り返されるのではないかと強く懸念されます。
▽1 前回指摘の不都合に目をつぶる?
メディアの報道によると、菅内閣官房長官を委員長とする同委員会は、月1回程度、非公開で開催され、陛下の譲位(退位)に伴う皇位継承の儀式のあり方、日程、規模などを検討し、3月中旬には基本方針をとりまとめると伝えられます。
テーマは御代替わりに関する重要事項ですが、たった3回程度の会合で、何を根拠に検討するのでしょうか。本格的検討には遠くおよばず、125代続く皇室の伝統はほとんど顧みられず、もっぱら平成の先例ばかりが根拠とされるのではないかと憂慮されます。
そのように予測されるのは、初会合で配付された資料を読めば十分です。
官邸のサイトに公表された配付資料「陛下の御即位に伴う式典等の実例」をみると、「御在位20年記念式典」「平成の御代替わり時の式典一覧」「御即位関係」「立太子の礼関係」がそれぞれカラー画像付きで説明されています。
一目瞭然、初回に配付された資料は、今上陛下の御即位に関するものばかりで、皇室の長い歴史を感じさせるものはありません。即位大嘗祭を説明した貞観儀式も一条兼良の「代始和抄」も、光格天皇のご譲位に関する歴史資料もありません。
となれば、政府は平成の前例を踏襲することしか念頭にないということではありませんか。安倍長期保守政権にして、皇室の歴史の軽視、厳格すぎる政教分離原則への執着という不都合が繰り返され、悪しき先例が日本国憲法様式として確定されることは目に見えています。
日本の保守主義とは何かが問われます。同時に、今日、天皇・皇室問題の正常化がいかに困難かがあらためて理解されます。
実際、初会合の1週間後に公開された議事概要には、「平成の式典は、現行憲法下において十分な検討が行われた上で挙行されたのだから、今回も基本的な考えや内容は踏襲されるべきだ」という発言が記録されています。
前回、指摘されたさまざまな不都合には目をつぶるということでしょうか。それとも事なかれ主義なのか。
▽2 今回も「国の行事」と「皇室行事」の二分方式で?
2つ目は、「国の行事」と「皇室行事」の二分方式の踏襲です。
配付資料の中の、前回の御代替わり時に行われた式典の一覧表をみると、興味深い点がいくつか指摘されます。
1つは、「賢所に期日奉告の儀」など、宮中三殿で行われた祭儀にいたるまで細かく言及されていること、しかもそれらが「国事行為」「総理主催行事」「皇室の行事」とに区分され、見やすいように色分けされていることです。
しかしその一方で、旧登極令の附式に定められていた「践祚の式」のうち、前回、今上天皇が皇位を継承された当日にも行われたはずの「賢所の儀」「皇霊殿神殿に奉告の儀」は取り上げられていません。大嘗祭の諸儀については詳細が列挙されているのに、です。
つまり、政府は最初から「国の行事」と「皇室行事」とを分けて考えており、宮中三殿で行われる祭祀などは「国の行事」ではなくて「皇室行事」として挙行されることが当然視され、そのため準備委員会の検討事項には想定されていないということでしょうか。
天皇の祭祀について、その本質を深く探求せずに「皇室の私事」と決め付け、宗教性があるから憲法が定める政教分離の原則から国は関与できないとする、占領後期にはGHQでさえうち捨てた古くさい厳格主義から、政府は一歩も脱せずにいるようです。
けれども他方では、大嘗祭は公的性格があるから公金を支出することは憲法上、許されるとする、一連の大嘗祭訴訟を踏まえた、私にいわせれば誤った憲法判断に基づき、国の一定の関与を認めて、今回の御代替わりが進められているということでしょう。
大嘗祭は古来、宗教儀式というより国民統合の儀礼であって、国民の信教の自由を侵すものではありません。信仰篤きキリスト者が祭祀に携わっているとされるのは何よりの証明です。祭祀を「皇室の私事」と断定する法解釈を前提とする大嘗祭訴訟はやり直すべきだと私は考えます。
それはともかく、準備委員会の議事概要をみると、ある出席者は「諸儀式の検討に当たっては、日本国憲法に整合的であること、皇室の伝統に即したものであること、の2つの観点を踏まえてほしい」と発言しています。
じつのところ前回は、「皇室の伝統」と「憲法の趣旨」とが対立的に捉えられ、皇室の伝統行事が伝統のままに行うことは憲法の趣旨に反するとされ、「国の行事」と「皇室行事」との二分方式が採られたのです。
「2つの観点」を両立させるのは容易ではありません。大嘗祭のみならず天皇の祭祀とは何かが問われています。それなくして、二分方式の正常化はあり得ないでしょう。
▽3 日程調整だけでは済まされない
もう1点は、昭和の御代替わりのような特別の機関の設置はまったく想定されていないらしいということです。
議事概要には次のような発言が記録されています。
「即位の礼については、平成度の考え方を踏襲していくことが基本である。日程については、即位礼正殿の儀と大嘗祭の間は、連日儀式や行事が行われ、参加する方々にはかなりの負担がかかったと聞く。大嘗祭は11月中頃となっているので、即位礼正殿の儀をもう少し早めに行い、日程に余裕を持つようにしていただきたい」
けれどもこれは日程の問題なのでしょうか。
大正、昭和の御代替わりでは登極令第4条に基づき、即位の礼と大嘗祭は引き続き行われ、前回の平成の御代替わりでは10日の間をおいて行われました。それでも関係者はひたすら眠い目をこすって、長時間勤務に耐えました。
さらに日程に余裕を持たせれば参加者の負担が軽減できるのか、といえば、そうではないでしょう。抜本的解決は特別の機関を置くこと以外にはないのではありませんか。
以前、書いたように、大正の御代替わりについて解説した赤堀又次郎によれば、古代の即位の礼は臨時のことながら儀式は元日恒例の朝賀と同じで、とくに職員の任命はなく、事務は式部省などが掌りました。近世には摂政関白が総裁し、伝奏が事務を統括しました。ただ大嘗祭についてはより繁雑なことから職員が任命されたとされます。
大正、昭和の御代替わりでは大礼使という機関が臨時に置かれましたが、前回の平成の御代替わりでは特別機関は設置されず、日常業務と併行して作業することとなり、その結果、関係者の負担はいや増しに増したのです。
前回の反省に基づき、臨時機関、あるいは第三者機関の設置を提言する有識者はいないのでしょうか。長時間労働が社会的に許されないご時世に、平成の悪しき先例踏襲はまったくあり得ません。
御代替わりを全体的に国事とし、国を挙げて、あるいは国と民がこぞってお祝いできる方法を本格的に模索するわけにはいかないのでしょうか。保守政権の真価が問われます。
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