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有識者たちに望みたい天皇・皇室論の学問的深化──第2回式典準備委員会資料を読む 10(2018年6月17日)


 第2回式典準備委員会の資料を検証する作業を続けます。

 前々回から、大嘗祭について考えています。前回は番外編的に「御代替わり諸儀礼を『国の行事』とするための『10の提案』」を呼びかけましたが、今回はもう一度、践祚に戻ります。

 御代替わり時のさまざまな問題が浮き彫りになったところで、政府のヒアリングに招かれた有識者たちの発言をあらためて検証してみたいからです。

 結論的にいえば、天皇・皇室論をもっと学問的に深めるべきではないでしょうか。

▽1 御代替わりの実務や皇室の歴史・制度に詳しい方々


 政府の説明によれば、ヒアリングの趣旨は以下のようなものでした。

「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典の検討に当たっては、平成の御代替わりの際の実績を検証するとともに、皇室の伝統を踏まえ、現行の日本国憲法の趣旨に沿った在り方を検討する必要があることから、平成の御代替わりにおける実務や皇室史・皇室制度に詳しい有識者からヒアリングを行い、今後の検討の参考とする」

 この趣旨に沿って、以前の「公務負担軽減等に関する有識者会議」で意見を述べた有識者のなかから、石原信雄元内閣官房副長官、園部逸夫元最高裁判事、所功京産大名誉教授、本郷恵子東大史料編纂所教授の4人が選ばれています。

 実務家としては石原氏が招かれ、ほかのお三方は皇室の歴史や制度に詳しいということなのでしょう。実際のところはどうなのか、検証したいのです。

 ちなみにヒアリングの項目は次の4点でした。

(1)御代替わりに伴う式典全般についての留意事項
(2)天皇陛下の御退位に伴う式典の在り方
(3)平成の御代替わりに際して行われた式典に対する評価、見直すべき事項
(4)文仁親王殿下が皇嗣になられることに伴う式典の在り方

 とりわけ注目したいのは(1)から(3)までです。

▽2 国費を支出すれば「国の行事」なのか


 まず、(1)です。政府の資料によれば、全員が「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」と政府が期待する模範解答を述べたことになっています。

 問題は「伝統尊重」の中身です。

 個別意見を述べたのは所氏と本郷氏で、所氏は「国内外の通念とも調和しうるような在り方とする」ことを主張し、本郷氏は「『伝統の継承』とは、時勢にあわせて最適にして実現可能な方法を採用することである」と述べました。

 お二方の前に、石原氏の意見に耳を傾けてみます。

 石原氏は前回の御代替わりのキーパーソンですが、「前回は、各式典が、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとなるよう検討を行った」と各儀式の分解方式、さらに「国事行為として行う行事」と「皇室行事」との二分方式を採用したことを自賛しています。

 結局、石原氏にとって、「国の行事」とは国費を支出するという程度の意味であり、その場合の物差しは「政教分離の観点」だったのでしょう。憲法89条は公金の支出の制限を規定しています。

 しかし、天皇の祭祀は憲法が禁止する宗教的活動でしょうか。皇室は特定の宗教団体でしょうか。たとえば大嘗祭の中身と意義について、どこまで掘り下げられたのでしょうか。最初から稲作の儀礼だ、宗教だと決め付け、国民統合の儀礼としての意義を理解しようとしなかったのではありませんか。

 戦後の混乱期に制定された皇室典範に「践祚」の用語がないことから、平安以来の「践祚」と「即位」の区別を失わせたことは、歴史的禍根以外の何ものでもないでしょう。今回も悪しき前例が踏襲されます。石原氏はそれでいいとお思いなのでしょうか。

▽3 皇室の儀礼は聖域ではなかったのか


 所氏の意見は2点にまとめられています。

「特例法に基づき決定された事項が、皇室の方々にも一般の国民にも十分に理解され満足されるような形で実現しうる式典の在り方を熟慮しなければならない」

「そのためには、約200年前まで行われていた伝統的な『譲位』『践祚』の儀式を参考にしながら、戦後の現行憲法と諸法令に適合し、当今の国内外における通念とも調和しうるような在り方を工夫して、形作る必要がある」

 つまり、御代替わりの儀礼はもともと皇室の聖域であり、時の政府が介入し、「形作る」ような領域ではない、とは述べられませんでした。皇室は権力政治とは別次元の世界であることを歴史家である先生は百も承知でしょうに。

 ついでに指摘すれば、所氏が仰せのように、200年前の光格天皇までの儀式が「伝統」だとすると、近代以後の登極令および附式による践祚のあり方は非伝統主義であり、かつ現代には通用せず、「尊重」されなくていいということでしょうか。

 もし明治人が英知を結集した皇室令が古臭い、現代には似合わないと批判されるなら、戦後70年、宮務法の体系を未整備のまま放置してきた現代人はなおのこと批判されるべきではないでしょうか。

▽4 天皇が祭祀をなさる論理とは何か


 本郷氏は、事務局によると、4つの論点を指摘しています。

「各種の式典・儀式を挙行するのは、天皇位をめぐる重要な節目を明確にし、内外に披露するためにほかならない。特に今回のお代替わりは、日本の歴史を見渡しても前例のない点が多いため、これらの式典・儀式を通じて、現代における天皇制の意義及び天皇位継承を支える論理を、国内外の多くの人々に伝え、共有をはかることができるよう留意しなければならない」

 御代替わりには古来、践祚、即位礼、大嘗祭の三本柱があることが指摘されていますが、本郷氏のいう「内外に披露する」のは即位礼であって、践祚ではありません。

 本郷氏のいう「論理」も、皇室には皇室の論理が古来、あるのであって、国民や政府によって付与されるものではないでしょう。むしろ仏教伝来以前にさかのぼり、天皇の祭祀に込められてきた皇室の価値多元主義の「論理」こそ、現代に通じるのではありませんか。

「天皇をめぐる儀礼について、長年月にわたって継承されてきた枠組みがあるのは確かである。それはしばしば『伝統』という言葉で表現される。ただし『伝統の継承』とは、過去の儀礼をそっくりそのまま繰り返すことではなく、歴史と先例を踏まえたうえで、時勢にあわせて最適にして実現可能な方法を採用することを意味する。今回の式典挙行にあたっても、現代の事情を十分勘案し、同様の姿勢をもって臨むべきだろう。様々な変化に柔軟に対応することを辞さなかったからこそ、『皇室の伝統』の存続が可能になったのである」

 皇室の原理は「伝統」オンリーではなく、「伝統と革新」こそが皇室の原理ですが、伝統の何が尊重され、どのような新例が開かれるべきかは慎重さが求められます。そのためには天皇の祭祀の中身と意義が深く探求されなければなりません。

▽5 時勢に合わせて「退位」と「践祚」を分離する?


「前近代の天皇位継承は、現天皇が次の天皇を指名し、権威を与える方式であったが、今回は皇室典範が定める皇位継承順に従った手続きであり、このような形での代替わりは、わが国の歴史上初めての事例である。したがって今回の継承(天皇だけでなく、新皇嗣への継承も含めて)が、どのような論理で行われるのかを、あらためて国民が認識することが大切と考える」

 近代以前の譲位は、天皇の指名によって、新帝に権威を与えるものだという見方は一面的でしょう。皇位継承者を指名して譲位しなければ、安定的な皇位継承ができなかったとはいえないからです。安定的な御代替わりこそが践祚の機能でしょう。

 また、今回の御代替わりは、古来、認められてきたものの、明治以後、終身在位制の採用によって認められなくなった「譲位」が近代法的に実現されるということであって、「歴史上初めて」を強調しすぎてはならないと思います。

「天皇位の継承においては空白期間が生じないようにすることが、前近代を通じての原則であった。今回も特例法においてその点は措置されている。一方、退位・即位の儀礼は、それぞれの事実を広く示すためのものなので、両儀式のあいだに時間単位での空白があっても問題にはならないだろう」

「貞観儀式」の「譲国儀」に明らかなように、譲位の宣命が宣読された瞬間、皇太子が新帝となるというのが伝統的論理であり、譲位即践祚であって、「退位」と「即位」の儀礼の分離などあり得ません。

 歴史にない「退位の礼」を新設し、「退位の礼」と践祚の式について、それぞれ「退位」と「即位」の「事実を広く示す」という新奇な「論理」で説明しなければならない理由が理解できません。それが「時勢に合わせた最適な方法」なのでしょうか。

 長くなりましたので、今回はこの辺で。

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