「皇室制度改革」、大いに異議あり──すり替えと虚言を弄する政府の「女性宮家」創設(2012年10月21日)
歴史に前例のない、いわゆる「女性宮家」創設が現実味を帯びてきました。けれども、議論はますます混乱しています。
政府は(平成二十四年)十月五日、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」を踏まえた「論点整理」をとりまとめ、公表しました。
「象徴天皇制度の下で、皇族数の減少にも一定の歯止めをかけ、皇室の御活動の維持を確かなものとするためには、女性皇族が一般男性と婚姻後も皇族の身分を保持しうることとする制度改正について検討を進めるべきであると考える」
女性皇族が婚姻後も皇室にとどまり、一家を成すことこそ「女性宮家」にほかなりません。来年の通常国会に皇室典範改正案が提出されるという日程で、政局との関連はあるにせよ、情勢は切迫しています。
どうしても必要なら、大胆に新例を開くべきですが、とうてい納得し難い実態があります。はじめの趣旨が混乱していたのに加え、有識者の議論が混乱に拍車をかけ、さらに決定的なことに、「論点整理」で目的性が変更されてしまいました。
1 最大の目的は「陛下の御負担」軽減
当初の目的は何だったのか、といえば、二月の段階で、政府はヒアリングを実施する趣旨を、
「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることとなっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下の御負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」
と説明していました。
理由と結論が論理的につながらない文章ですが、ともかく、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、①皇室の御活動の安定的維持と、②天皇皇后両陛下の御負担の軽減、の二つでした。このため、有識者ヒアリングでは、①象徴天皇制度と皇室の御活動の意義について、②今後、皇室の御活動の維持が困難となることについて、など六項目の質問事項が提示されました。
キーワードは「皇室の御活動」です。端的にいえば、「天皇陛下の御公務」であり、「天皇皇后両陛下の御負担軽減」のため、御公務を女性皇族にも「御分担」いただくというのが、政府が考える第一の目的でした。
最大のキーパーソンである園部逸夫内閣官房参与(元最高裁判事)はヒアリングの質問時間に、たびたび次のように発言しています。
「天皇陛下の大変な数の御公務の御負担をとにかく減らさないと。それは大変な御負担の中なさっておられるわけでして、そうした天皇陛下の御公務に国民はありがたいという気持ちを抱いていると思いますが、国民として手伝えるのは天皇陛下の御公務の御負担を減らすことなんです。
そのためには、どうしてもどなたかが皇族の身分をそのまま維持して、その皇族の身分で皇室のいろいろな御公務を天皇陛下や皇太子殿下や秋篠宮殿下以外の方も御分担できるようにする。そして、減らしていくというのが最大の目的です」
たしかに今上陛下はご高齢で、しかも療養中にもかかわらず、ご多忙です。したがって御負担軽減は「緊急性の高い課題」で、実際、宮内庁は四年も前から対策を進めてきました。けれども、成果が得られませんでした。
具体的に振り返ると、宮内庁が陛下の「ご健康問題」を理由として、「昭和の先例」を踏襲する、ご日程の「見直し・調整」を表明したのは、平成二十年二月です。三月には、宮中祭祀について調整が進められていることも発表されました。これらは渡邉允(まこと)前侍従長(現在は宮内庁参与)ら側近がたびたび進言し、陛下が「在位二十年の来年〈二十一年〉になったら、何か考えてもよい」と了承された結果とされています(渡邉『天皇家の執事──侍従長の十年半』など)。
その後、同年十一月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると、御負担軽減策は前倒しされました。宮内庁は翌二十一年一月、具体的な軽減策を発表しました。
けれども、実際のところ、宮中祭祀のお出ましが激減した一方で、いわゆる御公務は、少なくとも日数において、逆に増えました。そのことは公表データをもとに、私が一貫して指摘してきました(「文藝春秋」二十三年四月号掲載の拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」など)。
表1をご覧ください。
これは宮内庁HP上の「両陛下のご日程」にもとづいて、「調整・見直し」が行われる以前の十九年から御負担軽減策実施後の昨年までの五年間、陛下の御公務があった日数を月ごとに単純計算したものです。一目瞭然、少なくとも日数において、御負担軽減はまったく実現されていません。二十二年には、御公務日数は過去最高の二百七十一日を数えるに至りました。
他方、これとは対照的に減少したのが、「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」)と歴代天皇が第一のお務めと信じて実践してこられた皇室伝統の祭祀です。ふたたび表1をご覧ください。()内の数字が祭祀のお出ましの日数です。
ご日程の「調整・見直し」以後、二十一年は二十六日、二十二年は二十七日に激減し、昨年は十五日にまで半減しました。「新嘗祭(にいなめさい)については、当面、天皇陛下は、『夕(よい)の儀』には、従来どおり出御(しゅつぎょ)になることとし、『暁の儀』は、時間を限ってお出ましいただくこと、毎月一日に行われる旬祭(しゅんさい)については、五月一日及び十月一日以外の旬祭は、御代拝により行うことなど、所要の調整・見直しを行うこと」(二十一年一月の宮内庁発表)とされた結果です。
2 分析せずに制度改革に突っ走る
不思議なことに、政府は、「陛下の御公務」の何がどう増えたのか、実態を明らかにすることもなく、なぜ減らないのか、なぜ軽減策が失敗したのか、原因を分析しようともしません。それでいて、歴史にない「女性宮家」を認める制度改革に一足飛びです。
「象徴天皇制度」の下での天皇陛下の「御活動」の意義を考える、などと大上段に振りかぶり、「御活動」の調整・見直し、削減ではなくて、ご結婚後の女性皇族にまで「御分担」いただくことが、緊急に求められている、と問題をすり替え、皇室典範改正、皇室制度改革という大胆不敵な挑戦を始めたのです。冒頭に紹介したヒアリングの趣旨説明の文章が非論理的なのも道理です。皇室典範を改正することそれ自体に目的があるかのような「制度改革ありき」です。
反面、肝心の「両陛下の御活動」「皇室の御活動」についての具体的説明がありません。有識者も同様で、ヒアリングでは「御活動」の具体的中身についての言及がほとんどなく、「『権威』と「権力」を分離した象徴天皇制度は、我が国を安定させ、国民に深く根付いている」「国民との強い信頼関係に基づき、国家、国民統合の象徴となっている」「国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる要因となっている」などという抽象論にとどまっています。「御活動」にはふれずに、皇位継承論に終始した有識者さえいました。
政府も有識者も、「御活動」の実態や御負担増の原因に迫ろうとしないなら、代わりに検証することにしましょう。
政府は、二十一年一月に発表された「御公務と祭祀の進め方」についての方針で、①春と秋の叙勲(じょくん)に伴う拝謁(はいえつ)は回数・日程を削減する、②首相級の外国賓客のご引見などは公賓・公式実務賓客の場合に限る、③新年や天皇誕生日の祝賀行事は行事内容の見直しを行う、④全国植樹祭などはご臨席のみで、「お言葉はなし」とする、⑤宮中祭祀の新嘗祭は「夕の儀」のみ、旬祭は五月と十月のみ親祭とする──などと表明しました。
背景には、「昭和の時代、例えば、昭和天皇が七十四歳になられた昭和五十年当時と比べると、外国賓客や駐日大使との御会見・御引見等については、約一・六倍、赴任大使や帰朝大使の拝謁等については、約四・六倍、都内や地方へのお出ましについては、約二・三倍と、大きく増加しており、これらに伴い、両陛下の御負担も増大しました」という認識がありました。
ところが、宮内庁が狙いを定めた、これらの御公務がいっこうに減りません。
表2をご覧ください。
宮内庁は毎年暮れ、陛下のお誕生日に合わせて、「この一年のご動静」をリポートしています。そのなかで、内閣の上奏書類等にご署名・ご押印なさった件数、内閣総理大臣の親任式、国務大臣などの認証官任命式、新任外国大使の信任状捧呈(ほうてい)式の人数などが具体的に示されています。表2は、それらを平成十九年から昨年まで、一覧表にまとめ直したものです。[]内の数字は私が調べました。相当する数値が宮内庁のリポートにはないからです。
宮内庁が気にしていた外国賓客、首相・議長級の「ご引見」は確実に減っています。「都内・近郊へのお出まし」も増えていません。祭祀のお出ましは文字通り半減しました。
けれども、「ご進講・ご説明」は、ご日程の調整・見直し前に比べて、逆に増えています。とくに昨年は、以前の三倍に激増しました。宮内庁は大震災の影響と解説しています。
「定例の外務省総合外交政策局長によるご進講や各種行事に関するご説明などが合わせて五十四回ありました。これに加え、東日本大震災に関し、諸分野の関係者や専門家より三十三回にわたりご説明を受けられました」
古来、国民の喜びのみならず、悲しみや憂い、さらに命をも共有し、国と民のためにひたすら祈られるのが天皇です。同時に、天皇には民の声を聞き、民の心を知るという王者の伝統があるといわれます。今上陛下が各分野の人々との拝謁で、一人ひとりと間近に触れ合おうとされるのはそのためでしょう。つまり、陛下の御公務は一面で、無限に拡大していく宿命を負っています。
天皇の祈りはまた、危機のときにこそ発揮されます。未曾有(みぞう)の天災を真正面から受け止め、被害の実態を正確に知ろうとするご姿勢が、前年に比べ倍増した「ご進講・ご説明」の数字にはっきり表れています。
3 日程が立て込む離任大使「ご引見」
しかし注目されるのは別の「御公務」です。
宮内庁は二十一年の時点で、内外の外交官との「ご引見」「拝謁」が多いことに着目していましたが、「調整・見直し」の成果はあったのかどうか? 残念ながら、「一年のご動静」には参考になる数字がありません。そこで、宮内庁HPの「両陛下のご日程」から、新任外国大使との「お茶」や滞日三年を超える外国大使夫妻の「午餐」などを抽出し、表にまとめてみました。それが表3です。
これを見ると、ほとんど変化がないようです。それどころか、軽減策が打ち出される前の十九年と直近の二十三年では、方法も変わっていないらしいこと、つまり「調整・見直し」の形跡がないことが分かります。
新任外国大使の「お茶」や外国大使の「午餐」、赴任日本大使の「拝謁」や帰朝日本大使の「お茶」も、だいたい五カ国までをひとまとめにして行われていますが、軽減策がまったく採られていないかのようです。
このため二十三年には、たとえば新任外国大使の「お茶」は十二月十二日、十六日、二十日と九日間に三件、行われ、外国に赴任する日本大使の「拝謁」は四月四日の次は四月七日、九月六日の次は翌日七日、九月十三日の次は十五日、二十一日の次は二十二日、という具合に三日と上げずに日程が組まれ、帰朝大使の「お茶」は一月十七日には二回、行われているほどです。
国連加盟国の数が一九四五年設立当初の五十一カ国から現在は約二百カ国にまで増えていますから、外国大使の信任状捧呈式や「ご引見」の件数はそれだけ増えることになります。「お茶」や「午餐」を五カ国ではなくて、仮に十カ国いっしょにすれば、件数はそれだけ減るだろうし、さらに月ごとにまとめれば御負担は格段に軽減できるでしょうが、無理なのでしょうか?
もっとも注視すべきは離任大使の「ご引見」です。一カ国ごとに行われるため、二十三年七月には次のように日程がたて込みました。
六日、離任ハンガリー大使。
七日、離任エジプト大使夫妻。
十一日、離任リトアニア大使夫妻。
十三日、離任メキシコ大使夫妻。
十四日、離任デンマーク大使夫妻。同日、離任オーストラリア大使。
十五日、離任キルギス大使夫妻。
十九日、離任スウェーデン大使夫妻。
二十日、離任ローマ法王庁大使。
二十五日、離任コスタリカ大使夫妻。
信任状捧呈式でさえ、まとめて行われています。月ごととはいわないまでも、週ごとにまとめられないのでしょうか。御負担増は外務省の自作自演のようにさえ見えます。
御負担軽減をたびたび進言し、「女性宮家」創設を数年前から提唱してきた渡邉前侍従長は、外務省出身で、儀典長を経験し、その後、宮内庁式部官長に転身した、いわば「公的行事のプロ」です。皇室典範改正、皇室制度改革に踏み出す前に、率先垂範すべき余地がありませんか?
渡邉前侍従長は、自著『天皇家の執事』の後書きで、概要、こう述べています。
「平成十年の天皇誕生日の記者会見で明言されたように、陛下は御公務を減らすつもりはまったくないという考えで一貫してきた。したがって、二十一年一月の御公務・祭祀の調整・見直しをお許しになったことは感慨無量だったが、御公務そのものを削減することはなく、まだまだお忙しいことにまったく変わりはない」
難解な表現ですが、「御公務を削減するつもりがまったくない」のは、陛下ご自身だと主張したいのでしょうか?
4 人事異動者の「拝謁」が月四回
「拝謁」が多いことも宮内庁の悩みでした。
「各分野で功績があった人を中心に、拝謁・お茶等の形で、年間を通じて国内外の数多くの方々とお会いになっておられますが、その回数は、年間約百回に及んでおります。中でも、春・秋の叙勲(じょくん)に伴っては、合わせて五十回以上の勲章等受章者の拝謁が、春・秋、それぞれ七日間あるいは八日間にわたって連日行われます」
そこで「回数・日程を縮減」が目標とされましたが、減りませんでした。
「陛下のご日程」から「拝謁」だけを抽出してみます。まず御負担軽減策が採られる前の平成十九年です。
多いのは、ほかならぬ宮内庁関係の「拝謁」です。とくに「人事異動者の拝謁(宮殿・御所)」が二十二件。同日に宮殿と御所で「拝謁」が重なることも三回あります。
次が、外務省関連の「赴任大使夫妻の拝謁(宮殿)」で、十三件あります。
宮内庁がとくに懸念していた「春・秋の叙勲」に伴う「拝謁」は、「勲章親授式・拝謁(宮殿)」が二件、「勲章受章者(宮殿)」の「拝謁」が十二件、「褒章(ほうしょう)受章者(宮殿)」が二件でした。連日、「拝謁」が続いています。
これらが御負担軽減でどう変わったのか? 二十二年と比較してみます。
「人事異動者(御所・宮殿)」の「拝謁」は、二十二年は十五件に減りました。けれども、三月三十一日は宮殿と御所でそれぞれ行われ、翌四月一日にも同じく御所と宮殿で「拝謁」が繰り返されています。八月には三日、十一日、二十日、三十一日と四回行われました。
「赴任大使夫妻(宮殿)」の「拝謁」は十四件と少し増えています。一月は十八日、二十一日と二日おきの日程が組まれ、八月三十日から九月三日まで五日間連続して拝謁が行われています。十月も一日、四日と二日おきの日程です。月ごとにまとめられたら、御負担は軽減されるはずです。
「春・秋の叙勲」に伴う「拝謁」は、計十四件。十九年より二件減りましたが、春秋それぞれ六回行われる「勲章受章者の拝謁」のうち、六回目の「拝謁」に褒賞受賞者を参加させただけです。
なぜ有効な改善策を見出せなかったのか、最大のカベは官僚社会かもしれません。なにしろ叙勲者の選考から伝達・拝謁まで、官僚システムに完全に組み込まれています。
選考は各省庁から推薦を受け、内閣府が審査し、閣議で決定されます。企業、業界、所轄官庁を挙げてすさまじい「勲章取りゲーム」が展開されますが、叙勲者の六、七割は官僚出身者で、省庁ごとに人数の割り当てがあるようです(大薗友和『勲章の内幕』など)。
大勲位菊花章、桐花大綬賞、旭日大綬賞、瑞宝大綬賞は陛下が親授なさいますが、旭日重光章、瑞宝重光章は宮中で首相から伝達されたあと「拝謁」があります。その他の中綬賞などは所管大臣からの伝達後、中央省庁ごとに設定された「拝謁」の日程に従い、各省庁に集合し、バスで皇居宮殿に向かい、代表者がお礼を言上し、陛下のお言葉を賜るという流れです(『勲章・褒賞─新栄典制度事典』日本叙勲者顕彰協会など)。
叙勲者の数は春秋とも四千人を超えます。配偶者同伴なら拝謁者は二倍に増えます。本気で御負担を軽減するのなら、思い切った発想の転換が必要です。
渡邉前侍従長は、「皇室は国民との関係で成り立つものです。天皇皇后両陛下を中心に、何人かの皇族の方が、両陛下をお助けする形で手分けして国民との接点を持たれ、国民のために働いてもらう必要があります。そうでなければ、皇室が国民とは遠く離れた存在となってしまうことが恐れられます」(渡邉『天皇家の執事』文庫版後書き)と述べています。
けれども、「皇室の御活動」について法的規定はありませんし、官僚出身の叙勲者の拝謁が皇室の存在を成り立たせているとは思えません。そもそも天皇・皇族が「御活動」なさることによって皇室制度が維持されるという考えはすぐれて近代的な発想で、親王方が軍務に就き、社会団体の総裁職を務めるようになったのは明治以後であり、ヨーロッパ王室の影響を受けてのことでした。
百二十五代続いてきた日本の天皇制度は、「御活動」によって維持されてきたのではありません。歴史的な天皇とは、国と民のためにひたすら祈る祭祀王です。
天皇の聖域に介入し、祭祀のお出ましを激減させる一方、「御活動」なさる天皇・皇室論に立って、皇室典範改正、皇室制度変革を進め、「女性宮家」を創設することは、皇室の歴史と伝統に反する挑戦にほかなりません。
5 「皇族」の概念が混乱している
政府は御負担軽減のため、ご結婚後の女性皇族にも御公務を「御分担」いただくと意気込んでいますが、現実的でしょうか?
なるほど、昨年十一月の陛下の御入院の際、国事行為は皇太子殿下が臨時代行され、秋篠宮殿下が御公務を代行されました。たとえば皇太子殿下は、ご名代として「第六十回全日本手をつなぐ育成会全国大会式典」にご臨席になったほか、勲章受章者を「ご接見」になり、秋篠宮殿下は陛下に代わって南アフリカ国民議会議長夫妻を「ご引見」になりました。
このように陛下の御不例時に、皇太子殿下と弟宮殿下とで、御公務を「御分担」できるのなら、もっと以前から陛下の御負担削減は可能だったはずです。
ところが、表4と表5をご覧ください。御負担軽減策実施前の平成十九年と実施後の二十二年について、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の御公務日数について比較したものです。()内は祭祀のお出まし日数です。陛下の御公務が皇太子殿下、秋篠宮殿下とで「御分担」され、御負担が軽減されたのか、といえば、否です。
陛下はほとんど夏休みもないご日程なのに、皇太子殿下は、妃殿下のご病気のこともあるでしょうが、八月の御公務は十九年の九日から二十二年は五日に逆に減っています。弟宮殿下の御公務日数も陛下には及びません。
具体的に見ると、たとえば、陛下が新任外国大使の「お茶」や滞日三年を超える外国大使の「午餐」、離任大使の「ご引見」、赴任日本大使の「拝謁」、帰朝日本大使の「お茶」をなさるように、皇太子殿下は内外大使の「ご接見」をなさいます。
十九年には新任外国大使の「ご接見」が二件、離任外国大使の「ご接見」が十一件、赴任日本大使の「ご接見」が十四件ありました。しかし二十二年には外国大使の「ご接見」は三件、離任外国大使の「ご接見」は八件、赴任日本大使の「ご接見」は十一件、と減っています。
仮に赴任日本大使の「ご接見」は皇太子殿下が、帰国大使の「お茶」は陛下が、というように「御分担」できるのなら、陛下の御負担は格段に軽減されるでしょう。けれども、それさえ実現できないのなら、婚姻後の女性皇族にまで御公務を「御分担」いただくというアイデアは、画餅にしか見えません。
もっとも驚くべきことに、「論点整理」は「女性宮家」創設の目的を、当初とは別問題に言い換えています。
「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆をより強固なものとされてきておられる」一方で、
皇族女子の臣籍降嫁によって「皇族数が減少し、そう遠くない将来において皇室が現在のような御活動を維持することが困難になる事態が生じることが懸念される」。
とりわけ、「悠仁(ひさひと)親王殿下の御世代が天皇に即位される頃には、現行の制度を前提にすると、天皇の御活動を様々な形で支え、また、摂政就任資格を有し、国事行為の代行が可能な皇族がほとんどいなくなる可能性が高く、憂慮されるところである」(「問題の所在」)
園部参与はヒアリングの席上、「天皇陛下の御負担軽減が最大の目的」と繰り返していたのに、「論点整理」では、悠仁親王殿下が皇位を継承される将来に飛んでしまっています。
これは「緊急性の高い」とはいえません。園田参与の説明は虚言だったのでしょうか? 虚言を弄してまで、政府は皇室制度を変革しようとするのでしょうか? 有識者は虚言に誘導されて意見を述べたのでしょうか?
政府はさらに、「論点整理」になって、ようやく「御活動」を具体的に説明するようになりました。
「天皇陛下や皇族方は、憲法に定められた国事行為のほか、戦没者の慰霊、被災地のお見舞い、福祉施設の御訪問、国際親善の御活動、伝統・文化的な御活動などを通じて、国民との絆(きずな)をより強固なものとされてきておられる」
なんと、天皇の御公務と皇族の御活動が同列に論じられています。
「天皇陛下は、日本国及び日本国民統合の象徴として、憲法に定められた国事行為のほか、様々な御活動を通じて、国民との絆を深められており、天皇陛下を支える皇族方についても、皇室と国民の間をつなぐ様々な御活動を分担されている」
これも同じです。皇族の概念が混乱しているために、天皇の国事行為、天皇の御公務と両陛下の御活動、皇族の御活動の違いが不明確になり、その結果、女性皇族との安易な「御分担」論が展開されています。
本来、皇族とは、皇統に連なり、皇位継承の資格を持つ血族の集まりを意味します。現行の皇室典範は皇族の範囲を、「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする」と定めていますが、これは、小嶋和司東北大学教授(憲法学。故人)が指摘しているように、明治の皇室典範が本来、「皇族」ではないはずの、臣籍出身の后妃をも「皇族」とし、皇位継承資格者としての「皇族」と待遇身分としての「皇族」とを混同させ、その本質をぼやけさせてしまったことがいまに尾を引いています(小嶋「『女帝』論議」=『小嶋和司憲法論集2 憲法と政治機構』所収)。
宮内庁のHPも同様ですが、政府の「論点整理」は「天皇皇后両陛下の御活動」として、「国事行為など」「行幸啓」「外国御訪問」などを説明し、「宮中祭祀」までが「両陛下の御活動」とされています。皇位を継承されるのは天皇お一人です。一夫一婦天皇制ともいうべき解釈は、伝統からの逸脱はいうに及ばず、憲法違反の疑いさえあります。
実際、たとえば今年二月、陛下がご入院されたとき、皇后陛下は、外国に赴任する日本大使夫妻と「お茶」に臨まれ、三月には離任する外国大使を「ご引見」になりました。憲法は「外国の大使及び公使を接受すること」を天皇の国事行為に定めていますから、天皇陛下が皇后陛下を伴って、外国大使を「ご引見」なさるのは理解できますが、現実には「見なし皇族」であるはずの皇后陛下お一人による「ご引見」が行われています。
この延長線上に、皇族身分を失った女性皇族による「皇室の御活動」の「御分担」論が生まれたのでしょう。
6 衣の裾から鎧が見える
「論点整理」には、「別添2」の参考資料に、「2 天皇皇后両陛下・皇族殿下の御活動」が、じつに十二ページにわたって詳述されています。それぞれの「御活動」が解説され、「総裁職など」の肩書きが列記されています。
たとえば常陸宮殿下は、日本鳥類保護連盟、日本肢体不自由児協会、発明協会など数々の団体の総裁や名誉総裁をお務めで、妃殿下とともに、全国健康福祉祭や全国少年少女発明クラブ創作展などに御臨席になっています。また寛仁親王殿下は御生前、友愛十字会、ありのまま舎、恩賜財団済生会、高松宮妃癌研究基金などの総裁などをお務めになり、障害者福祉、スポーツ振興などの面で幅広い活動をなさっていました。
政府の発想としては、国民との絆を強固にしてきたこれらの御活動が、将来、皇族の規模が縮小した場合、どうなるのか、と心配しているかに見えます。
けれども、第一に、これら皇族方の社会活動は、「天皇の御活動」を「御分担」しているのではありません。各財団法人、社団法人にとっては名誉職でしょうから、宮様総裁が不在なら組織が成り立たないはずはないでしょうし、将来、不都合が生じるなら、それは各団体が考えるべきことです。
日本オリンピック委員会は旧皇族を会長とし、伊勢神宮では元内親王が臨時祭主をお務めですが、それぞれの事務や経費の負担については、それぞれが考えるべきことで、政府が介入すべきではないでしょう。
それぞれの団体の活動は、行政とは直接関係のない形で行われているはずです。たとえば、皇族方の社会福祉の分野での御活動が高く評価されるのは当然ですが、政府がすべきことは社会福祉政策のいっそうの充実であって、行政とは一線を画すべき皇族方の御活動の維持を目的として、皇族の規模を確保することではないでしょう。
制度改革が必要だとすれば、男統の絶えない皇室制度をこそ、真剣に、慎重に模索するのが、先決ではないでしょうか?
政府は、「陛下の御負担軽減」ではないとすると、何を目的に、過去の歴史にない皇室制度改革に挑んでいるのでしょうか? 「論点整理」は「終わりに」で、棚上げしたはずの皇位継承論に言及しています。
「なお、今回の検討では、皇室の御活動維持の観点から、緊急性の高い女性皇族の婚姻後の身分の問題に絞って議論を行ったが、現在、皇太子殿下、秋篠宮殿下の次の世代の皇位継承資格者は、悠仁親王殿下お一方であり、安定的な皇位の継承を確保するという意味では、将来の不安が解消されているわけではない。安定的な皇位の継承を維持することは、国家の基本に関わる事項であり、国民各層の様々な議論も十分に踏まえながら、引き続き検討していく必要がある」
「女性宮家」創設論は十年以上前に、女性天皇・女系継承容認論と一体で、政府内に生まれたことが知られています(森暢平「女性天皇容認! 内閣法制局が極秘に進める。これが『皇室典範』改正草案」=「文藝春秋」十四年三月号)。衣の裾から鎧が見えています。
果たせるかな、女性天皇・女系継承を容認する皇室典範改正に執念を燃やした羽毛田信吾前宮内庁長官は「論点整理」発表後、「女性宮家」創設論の進展に期待を表明しました。宮内庁トップとして陛下の御負担増の責任を負わぬままに、です。