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”余白の時間”を彫刻と共に~舟越桂「森へ行く日」@箱根彫刻の森美術館

※トップの写真は、箱根彫刻の森のWebサイトからお借りしました。


舟越桂さんの作品を、一番最初に見たのは、天童荒太さんの『永遠の仔』の表紙だったと思います。

悲しいような、寂しいような、でも、どこか強さもあるような、憂いを帯びた表情に、不思議な作品だなと感じた記憶が残っています。

ずっと好きな作家さんだったというわけではなかったのですが、今、箱根の森彫刻の美術館で、企画展がやっていると聞き、しかも、2024年3月に、舟越さんがお亡くなりになり、企画に関わられた最期の展示になったと伺い、足を運んできました。

作品の現物をじっくり見るのは初めてだったのですが、実際に目で見ることで、気づくことがたくさんありますね!

木彫とは思えない柔らかな質感と、着色された透明感のある色味の美しさ・・・いくら見ていても飽きなかったです。時間が溶けていく。。

ずっと見ていると、時折、目が動いているのでは?と感じるほど(笑)目は絶対に合わないのですが。

表情(感情)は、とらえどころがなく、その時々、見る側(自分自身)の状態によっても、変わってくるのだろうなと思いました。

酒井忠康(2024)『舟越桂-森の声を聴く』にこんな一節がありました。

「人間の何か一つの情景だけを描いてしまうと、人間の全体像は逃れてしまう。静かにあるほうが、泣くことも笑うことも、すべてを言いえるような気がする」(『アトリエ』 1989年6月号)

作品を製作するためには、どこかの一面を切り取ってしまう方が取り組みやすくなるのでは?と、素人ながらには思いますが、それをすると”わかりやすい”作品になってしまうのでしょうね。

多面的な人間の性質/ 状態を一つの作品として統合するからこそ、見る時々で感じることも異なり、いつまででも見てられる作品としての深みが生まれてくるのだなと感じました。

▽▽▽

キャリア前半の具象的な作風とは異なり、後半は「心象人物」と題した、現実から離れたイメージの世界を形にした作品の製作に打ち込みます。
個人的には、『水に映る月蝕』(2003年)がとっても気になる作品でした。
(下記Webサイトに写真があります)

個人的には、地母神的な、多産的なフォルムと、羽の様に配された手。
後ろからじっくり見てみると、祈りの印を組んでいるかのような手の形。
360°、あらゆる角度から楽しめるのは、彫刻ならではですね!

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彫刻だけでなく、デッサンや文章も素敵でした。
”アーティスト”というと、感覚を大事にし、感性で作品をつくっているという先入観がありました。

舟越さんの場合は、実際には、思考がかなりクリアで、感性の部分はもちろんありながらもロジカルに物事を捉えられていたんだなという印象です。

舟越さんの書籍『個人はみな絶滅危惧種という存在』に、アーティストでなくても、”自分の仕事”に取り組む上で、示唆になるメッセージがいっぱいでした。

「試験の答案のような作品はまだ作品とは呼べない。なぜなら試験は設問者がいて、彼が考えた問いであり、彼には答えが用意されている。
作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはずです」

「失敗した作品から、その問題を抽出し、それを克服するための勉強プランを作り、そのプランを地道に解消していく事」


日々の仕事が”自分の作品”となるように、取り組んで行きたいなと思います。

展示は、11月4日までです。
会場は決して広くはないのですが、作品数を絞って展示してあるので、じっくり堪能することができます。
お時間がある方は是非!

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