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【研究メモ】特定の理論に依拠することの窮屈さと、研究としての成立可能性を高めるということ_フリック(2011)第6章 「理論的立場 パラダイムの競合か、視角のトライアンギュレーションか」 からの学び

久しぶりに、フリック(2011)『新版 質的研究入門』からの紹介です。

前回、第6章 理論的立場の途中まででした。

大分進んできたのですが、第6章は、かなり重くて、大事な内容ばかりということもあり、全然進んでいきません。

かつ、読んでいても、自分が正しい理解をしているのか、迷うことも多いです(苦笑)

でも、同時に、”少しずつ読み進める楽しさ”みたいなものもあり。
こうして時間をかけてブログに整理するプロセスのなかで、理解が深まることもあります。

根気強く・忍耐強く、読んで行こうと思います!

今回は、異なる理論的立場から見たときの、”研究上の視角”について整理したいと思います。

少し自分の言葉で整理すると、

視角①:個人としての主体による意味づけ
視角②:関係性の中での相互行為を成立させる共有された意味づけ
視角③:集団的に共有されたルールや構造

というような感じでしょうか?

”意識する主体が増える”ごとに、研究の視角も、異なるものとして認識されるようなイメージを持っています。

実務的には、①はより広範囲な、②、③からの影響を受けているように思いますが、研究として成立しやすくする(記述に一貫性を持たせて矛盾を少なくする)ためには、①~③、それぞれの各視角の中で、記述を完結させる方がよいのかもしれません。

ある現象をとらえる上で、異なる理論や視角から確認されたことを、排他的に捉えるのか、補完的に捉えるのか、研究を進める上で、考え方も分かれるようです。

研究を始めたころ(2015年頃)、「トライアンギュレーションってなんかかっこいい!!」と、よくわからず思ってましたが、背景にある理論や、研究者としての価値観(スタンス)の違いへの感度をもっと高めておかなければいけなかったのだなと、10年経って気が付きました(笑)

本章の中では、あまり記述はなかったのですが、トライアンギュレーションを成立させるためのポイントについても、また確認したいなと思います!

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