私は何故リスカをしていたか 【メンヘラ自伝0】

それは罰である。

私の場合の死にたいとはつまるところ逃げたいであったのだが、当時はその見地を貰ってなかったし、自分で気づくこともできなかった。
だからひたすら「死にた」かった。

この話をまとめるのは難しい。
既にそれは十年以上昔のことであり、「過去のこと」として処理されている。
例えるならばzipに圧縮しているようなものだ。
それも大容量のメモリーファイル群を。
それを解凍しては解凍できたものから逐次はお話していくことになるので構成はキチンとできないと思う。
そんなに「まとも」であるならば、そもそもリスカなどしないのだ。

ここまで、世間一般の認知度を鑑みて敢えて「リスカ」と書いてきたが、私がしてきたことはどちらかといえば「アムカ」である。
私の腕にはびっしりと、恐らく百本はくだらない白とピンクの傷跡が今も遺っている。
「若気の至り」とでも呼べば少しは可愛げが出るだろうか。
いやそんなわけない。
私はすっかり慣れしたしんで、わたしのその腕について疑問に思うこともないし普段意識することもない。
傷を見て何かを思うこともないし、気にするまでもなく服は全て長袖で揃えられているから普段は全く意識しない。
意識するとすればそれは温泉やプールに入る時だ。誰かとお風呂を供にする時にも意識する。しかしそういう機会はそれほど多くはないから、生活の中で普段自分がアムカしていたことやアムカ痕があることなど意識しないし後悔もしない。
夏に他人に「何で長袖なの?」とか聞かれたら「肌を晒したくないから」と言っていた。
それは嘘じゃないしリスカアムカ勢でなくとも普通にあり得る理由だ。
だから別に、リスカアムカを普段「思い出す」ことはあまりない。
私の傷跡だらけの腕も私からすればただの腕である。
それが普通なのだ。

ただ、これからリスカやアムカをしかねない人に対しては忠告したい。
いくつか困る時というものは存在する。
面倒だから箇条書きで済ますがそれはこういうときだ。

  • 半袖が着られなくなること→ファッションの制限

  • 温泉やプールや海に行きづらくなること→機会の制限

  • 半袖の制服の仕事に就きづらくなること→職業の制限

  • 他人に裸を晒しづらくなること→性交渉の制限

こういった「困りどき」は必ず発生するだろう。しなくても済むならしないに越したことはない。私は別に深く後悔したりはしないが、そういう制限に出くわすたびに若干「残念」というか「不便だな」と感じる。

さて、話が迂回に迂回を重ねてしまったが、本題に入ろうか。

何故リスカするのか。

あくまで私の場合の話として書く。

それは自分への罰であり、苦痛からの解放手段だった。
今の私は養殖的に自尊心を自作自演で注入することで自罰より他罰を選ぶ価値観を醸成しているが、当時の私は他罰よりも自罰派であった。
それは家庭環境が深く関わっているように思う。

私の家族は凶暴で、わたしにもそれ以外にもよく暴力を振るっていた。
兄はイライラするとよく物に当たっており、物を投げたり壁に穴を開けたりとまあどうしようもない奴であった。
奴の愚行に対して母よく「物に当たるんじゃないよ!」とお叱りを飛ばしていたのだが、はたで聞いていた私にそれは有効化されてしまった。
わたしは物に当たらない代わりに自分に当たったのだ。

私の高校時代はぐちゃぐちゃだった。
小学三年生の時分から単身赴任し不倫していたファッキンファザー(以下FF)と母が正式に離婚したのはいつだったか。
それ自体は中学の頃になされていたように思うが、少なくとも中1の頃にはまだ関わりがあったように記憶している。
その頃FFが新居に転がり込んでくることもあったからね。
高校の頃にはFFとはすっかり縁が切れて、ボクら家族は少しは平和になった…なんてことは全然なく…なんてこともなく。
いやすまない、解凍が追いついてないんだ。

そうかそうか。
中学三年の時に姉が高三で…その姉(姉って書くのやだからファッキンシスターって書くね以降FS)が荒れに荒れて毎日罵声と暴力が飛び交っていたからその頃よりはマシである…っというところだな。
そも、私の高一時代というのは数少ないかなり楽しい日々を過ごせていた時期じゃあないか…。
そう。
あたしがアムカをしはじめたのは高二の頃だ。
そしてピークは高三。

では何があったのか。

もう一度遡らせてほしい。
私が中3、姉もといFSが高3の頃の酷い家庭環境を抜けられたのは、シングルマザーと化していた母に彼氏ができたからだ。
こう書くと知りもしねーくせに母を責めるアホンダラがいそうだから断っておくが、別に母は母親としてそこまでその類の問題を持っている人間であったとは思えない。
FSからみればそうなのかもしれないがそれはFSのワガママだと私は思う。
閑話休題。
姉はその彼氏の息子(わたしの一歳上)と折り合いがつかなかったから結局出て行くしかなかった。
ダイスケって彼氏もいたもんな。
流石女だ。
便利だね女って。
わたしも女だったら早々に逃げられたのかな…。
姉がいなくなって家は平和になった。
父なき後の家、つまり小3以降、家の平和を乱していたのは兄と姉であるが、兄は僕が中学に上がる頃には家にいないことが増えた、というか順次とでも呼べる感じに段々と、追い出されていった。
兄がほぼいなくなった中2から中3にかけての暴力要因は姉だった。
その姉がとうとう、私が高1くらいの時になって家に全然帰ってこなくなった。
だから、家はかなり、平和になった。
母の彼氏やその息子とは私は抵抗なく馴染むことができた。
それは私が中1の夏から段々とネットに浸っていき、不登校になり毎日スマブラやらネットやらだけするような人間になっていった折、彼らはどちらかというとネットミーム等を解する側の人間だったからだ。
母の彼氏はプログラマーであり、その息子は実のところ腐男子なイケメンであった。
息子とはとても楽しい日々を過ごせた。
彼が腐男子だから勘違いされそうだが別にそういう関係ではなく、一歳差かつ相手の性格が手伝って、殆ど普通の友達のように付き合えた。
エルシャダイみたいなネタで毎日馬鹿みたいに笑って、高校も高一と高二の途中までは楽しくて、凄く平穏な日々を送れたと思う。
姉の拒食症の嗚咽音やら、不快の要素が出てくるのも高二後半から高三のことであるし…。
母の彼氏もその息子も私を否定しないでくれた最初の人間かもしれない。
兄や姉は私を否定するしか能がない馬鹿だったので言わずもがな、私は学校でもよくイジられたり嘲笑われたりしてしまっていたので、それは純粋に、嬉しかった。
そこにどんな腹黒い裏側の意図があったとしても、純粋に嬉しかった。
当時はそんなこと気づかなかったし───いや薄々感じていたけれど蓋をしていたのだろうか───なんにせよ、それでよかったのだ。
はじめての顔合わせはたしか、バーベキュー。
母の彼氏の友人達と母の彼氏の息子を含めての何十人かでの砂浜バーベキューだ。
それがはじめましてだったはずだ。
私は緊張していた。
仲良くなれるか不安だった。
でもそれがすぐに杞憂とわかるほど母の彼氏の息子は明るくてフレンドリーだった。
奴は三浦春馬に似ているが、くしゃっとよく笑う三浦春馬という感じ。
本の虫で物知り、当時の私はそういう人に少し憧れがあったから、そういうところも手伝ったのかもしれない。ちがうのかもしれない。いずれにせよ、仲良くなれてよかった、打ち解けられてほっとした、と私は思ったことだろう。心情まではよく覚えてないけど。
母の彼氏自体も気さくな人だった。
オタク文化にそれなりに造詣がある人間であったから、ネットミームという共通言語で笑いあうということができた。
笑いというものは警戒を解く魔法のようなものだと思う。
こういうことに限らず、初対面で笑いかけてくる感じのいい人には警戒を解きやすいが、無愛想でムスッとしてニコリともしない奴には「なんだよ、感じ悪いな」と感じる方は多いのではないか?
笑いわ我々の予想される強張った距離感をそっと揉み解した。
そこから一年くらいは楽しかった。
彼らとは結局一年半くらい同じ家で暮らしたのだが、そこに馴染めず姉が出て行って私にとって平和な時が過ぎ…しかしそれは高2の後半頃に終わりを迎えるのだった。

わたしがリスカ、いやアムカをした理由をもうめんどくさいからまたまた箇条書きで書くことにする。なんか、経緯を全部書いて行って、それで5時間とか使っちゃって、またゲンナリするのがいやなのだ。わかってほしい。いやわかってほしくなんかないか、どうだっていい。そもそも誰が読むねんこないな文字列。

私がアムカした理由

  • 元々抵抗感がなかった。小6の頃だろうか。夕方のくだらないニュース番組が少女達のリスカ!を報道していた。(悲劇のヒロインは日本社会が産んだんだ。だから政治が悪い的な。あれおかしいねどっかで聞いた言説だね?)その時からリスカそのものに対する忌避感抵抗感が恐らく世間一般の人よりなかった→何でやるのだろう、とか疑問を抱く程度。あとは親からもらった身体なのに、とも幼心に思った。これは多分土壌。

  • 自分が嫌いだった。度重なる兄からの児童淫行や暴行、姉からの心身への暴行、学校での立ち位置、などで自尊心がかなり低かった。→虐められない為に先行して自虐をするという私が小学生からやっていたクセがそれに拍車をかけた可能性もある

  • 高ニで好きになった女子がリスカをしていて、近づきたかった、理解したかった。まあそいつはあっさいなんちゃってファッションリスカで今や跡も全然残ってない様子でしたけどね。コンシーラーで消してるとは思えないなぁ。この動機は割とキモいよね。知ってる知ってる。

  • 家庭環境の悪化。高二の後半で母と母の彼氏の仲が悪くなっていき、家がまたゴタゴタし始めた。そのタイミングで見事な拒食症と化したFSが帰ってきてどんどんグチャグチャになっていった。高三では遂に彼らとは別れ同棲も解消された為に母の彼氏の息子という家の中で気楽に話せる相手であり異常行動に対して嗜めてくれるような存在も消え、そして姉と母と僕という中1〜中3の頃と同じ家族構成でまた住み始めたことが決定的だった。

  • 将来に対する悩みがあった。将来について誰にも相談できず、親身になってくれる人などおらず、親は仕事で忙しく話せる状態でなし、ニートと化したFSがまだまだ不安定でそんな親との時間を更に奪って行くから本当に誰にも深く相談できなかった。強い焦りがあった。

  • 前項とかかわるが「生きられない予感」があった。それは強くなる一方であり、幾つかバイトをしてはヘマをするという体験がその予感に拍車をかけた。社会に出れば迷惑ばかりかける予感があっり私はモラトリアムが欲しかったがそれが許されない家庭環境であったことを理解していたのでコンフリクトが生じた。当時うちは母子家庭であり奨学金は降りるはずもなく、「普通に大学に行く」ことができない状況であった。大して相談には乗らない癖に「大学は勉強するところ」とかいうクソどーでもいい建前綺麗事ばかり宣った母にも責任はあるが、その母とて生活保護になるほど家計が追い詰められていた、多分それはFSの短大の金とかも関係している。つーかFSはやつが高三の頃に塾にまで行かせてもらってるからね昼夜働いてヘトヘトになった母に毎日喧嘩ふっかけてオマエとか言ったりしてるクズが短大にまで行かせてもらってその後ニートになって数年うちに寄生した挙句また男つくって出てって今度はその旦那が嫌いとか言って女であるという優位性だけでtiktokで数百万稼いでるらしいぜやっぱ世の中悪人ほどうまい汁を吸えるんすねぇ!ルッキズムの世の中だからね、そして女というものはそれだけでチヤホヤされたり再生数がついたりする。ブスは兎も角女で生まれた時点でイージーモードですわ。世の中クソだな。姉みたいなやつはみんなしねばいいのに。

  • 罰せられてる気がして嬉しかった&ストレス発散だった。アムカをすると自分が罰せられてる気がしてスーっと興奮した神経が落ち着いていく感じがあった。段々イライラしたり自分が嫌い嫌い嫌いと発作のごとくどうしようもなくなるたびに切った。そして落ち着いた。学校のトイレでもよく切っていたからカーディガンやYシャツは血で汚れた。止血したり洗い流したりしなかったからね。リスカしておいて止血する感じとか衛生面気にする感じは個人的には笑えた。そんなことするくらいならしなきゃいいのに。わたしからすればそれはファッションメンヘラのファッションリスカである。まーでも、実際服は汚れるよね。ワイシャツについた血が全然とれないでやんの。お湯で洗うと血ってダメなんだなーって勉強になった。時たま切ったあとズルズルと紐みたいなのがとれることがあってそれが内部の何かの繊維なのか切れた皮なのかわからいけど結構好きだった。自分の身体が損傷するのが嬉しかった。だから当時はよくランニングしてた。心肺が苦しいと罰せられている気がして嬉しかったから。

  • 物にあたらないため。既に書いたが兄がイライラを物にあたっているのに対して母がよく注意していた言葉が皮肉にも私には「自分にあたるしかない」という選択肢の歪曲を齎した。これは母には言えないが事実存在した。それでいうと姉は物にも当たったしわたしにも当たってたのだろう。いいご身分で。

まあこんなところかな。
まだなんか挙げ忘れている気がするけれど。
箇条書きといいつつ普通にナゲーブロックになっちゃった。
今度こそまとめるとこんな感じ


  • リスカに対する元々の忌避感の低さ

  • 自己嫌悪、自虐傾向、自罰傾向、自己肯定感の低さ

  • 好きな子に近づきたい理解したいという思い

  • 家庭環境の崩壊

  • 将来不安、社会に出ることへの不安、焦燥

  • 本当はしたいこと(モラトリアムとしての進学)に対して現実問題や周囲の反対による葛藤

  • ストレス発散手段

  • ストレス発散手段として他人や物に当たらない為に自分に当たるという選択肢の歪曲

こんな感じか
やろうと思えばもう少しスッキリもさせられるだろうが私としてはそれぞれ独立した項目だからこの分類で

まあそんなこんなで腕を切ったよ沢山
んで今も跡はきっちり遺ってて時々不便だよ
あと最近になって腕を少し圧迫するとピキリリって神経がビクビクするようになってきた
今は自尊心の塊(養殖だけど)みたいな人間なのでこれに対しては不安感がすごい
五体満足で出来るだけ長生きしたいけどなーオレもなー

〜 追伸 〜

この話の内容は身内であれば私が誰であるかかなり特定しやすいものである。
だから私が彼らの誰かに特定されるのは最早時間の問題かもしれない。
だから彼らに対してのメッセージを予め載せておく。
自意識過剰だからね、仕方ないね。

■FF、FS、FB(ファッキンブラザー)全員へ
私が誰かわかったか?
わかったなら好きにすればいい。
私のことを明かすことはお前らの人生にも陰を落とすことであるということをよく理解した上で晒すのであればそれを私が止める術も必要もない。
好きにしろカス共。
私はお前ら全員を赦す気はないしお前らも私を家族だなどと思わないでいただいて結構。
お前らとは縁を切りたいと十年くらい思っているし、母の有事以外に今後顔を合わせたくもないんだよ。
加害者側はすぐにやったことを忘れたり軽度のものであるとすり替えるが被害者はいつまでもその恨みを忘れないということを覚えておくことだな。
覚えてなくともいいぞ?同じ過ちを繰り返すだけなんだから。お前らが不幸になったら私はほんの少し愉快だよ。
お前らが何者になろうが知ったこっちゃないしお前らがよしんば億万長者になろうとお前らの手を借りることは未来永劫絶対にありえないから安心しろよ。
まあそんな風にはならないだろうけどな。
二度と私の人生に関わってくれるなよゴミクズ共が。
お前らのことなんて大嫌いだ。
お前らがいなければ私は腕を切らなかったろうしこんな風になんかなっちゃいないんだよ。
私は一人っ子がよかった。
お前らなんていなければよかったんだ。
児童淫行の性犯罪者にパワハラモラハラ常習の暴力ヒス女そして全ての元凶たるおこちゃま精神持ちのボケカス性欲猿が。
おまえらが早くこの世から消えてくれたらいいな。
おまえらなんて大嫌いだ。
おまえらなんて大嫌いだ。
しね。

■母の彼氏へ
どうぞお元気で。

■母の彼氏の息子へ
元気ですか?
君は今もあの空を覚えてる?
君と夏の終わり貰ったものは多く何か渡せていただろうかとふと考える
割と僕は君が結構好きでまあ敢えてこんなおかしな日本語を書いては君に嫌がられるような僕だけど君の本心がどんなものであったかは気になってしまう
君はきっと腹黒くて僕の知らない狙いや気持ちがあったのだろうと
それとも君は当時の僕がそう信じていたように腹黒い性格悪いと自称しつつも実はとても純粋な人だったのだろうか
なんにせよ君と会えて僕はよかったよ
私を変えてくれた出会いというものが私の中には幾つかあるのだけれど、君との出会いはその一つだ
ありがとうございました
きっと今の僕は今の君とは仲良くなり得ないだろうけれど、少なくとも当時の僕が君のことを本当に友達のように感じていたことだけは確かだ
ありがとうございました
君は私が誰か晒しても困らないタイプの人間だろう
好きにしたらいいよ
どーでもいいもん
君も僕が実兄に児童淫行されていただとか、姉が今までどんな仕打ちをしてきたかなんて知らないだろうし
そんな奴と一緒にいたとしれば君は当時のことを気持ち悪く思うのかな
よくわからないや
どうでもいいか
さよなら
ポエット
ふふふ

■高二から数年一番一緒にいたフレンドへ
キミの否定が嫌いだ
キミに貰ったものも多いがキミが狭めた視野もあろう
キミのことがわからない
一体キミはなんなんだ?
ただ面白がってただけか?
それとも当時のボクがそう信じていたようにキミは純なやつなのか
キミがいつか言った通りわたしは疑うことはできても判断がつかないつけられないんだ
つけることはできるけどつけたくないのかもしれない
今のキミと今のボクは多分絶対仲良くなれない
共通言語は手にしたけれどその過程で得た幾つかの知見から私はキミを間違ってると糾弾するばかりになるだろう
だからキミとは会わない
少なくとも完了するまでは

■高二の好きな人へ
あなたがわたしを無様だなぁと観察していた人間である可能性とそこまで腹黒くはない可能性について未だ判断がつかない
あなたのことは嫌いだし好きだった
過去形という言葉のあやを用いてズルくやんわり断る性格も当時は好きだった
今はどうだろう
久しぶりに話して楽しかったのは本当です
でもそういうのも全部キモいなって自分で思ってる部分もあるんで
あーもう全部キモいから消そっかなって気がしてくるけど
これらよりよっぽどきっしょい文字列を既に上げていたから今更だったわ
これも晒したろ

■親へ
FFではない。私の親は一人だけだ。
育ててくれた事には感謝してる。
でも事あるごとになんだかなぁとも思う。
なかった記憶を捏造したり、言った言わないの話に持って行くのをやめてほしい
わたしの言うこと全てをとりあえず否定して有効な対案も出せないのもどうかと思う
野党かな?(※与党支持者ではない。単なる事実。)
沢山働いてさぞ疲れたでしょう。
今も再婚相手さんのところで沢山働いてことを心配しています。
もっと話を聞いて欲しかった。
話し始めてすぐに眠ってしまって仕方ないよねとなって毛布をかけてみたりいい子ぶらなきゃよかったよね。
その「教育」を施したつまり「ママ疲れてるんだから」と大人ぶったFSがさんざ母を私物化して我儘沢山聞いて貰った癖にあの為体になって今は子供も収入もあって楽しい!とか許せねーしね。いや子供がかわいそうだからしぬのはいいや、悔い改めろ。FSの話になっちゃった。
こっちが話してるのになんか書類を睨んでたりして全然聞いてないのがつらかった。
それなら最初からちょっと待ってこれ読んだら聞くねなり言えたよね。
最初から聞く気なんてなかったんでしょう?
わたしの話なんて。
まあそのツケを後々払わされる事になってしまったわけですが。
かわいそうに。
ボクが大学行きたいといった高校の時に一緒に方法を模索してくれたらよかったのに。
忙しかったのはそうだろうけれど、あまりに放任で無責任にも思うよ。
いやでもお疲れ様。
他のファッキンファミリーに比べればファッキンとは思えず、あまり責める気にはなれない。

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