姉に心身を殴られる弟_000 【実話】
姉は暴君だった。
気に食わないことがあるとすぐに手が出た。
それはともすると、父親の真似をする幼児性の顕れだったのかもしれない。
彼女は自分をセーブすることができなかった。
だから私は姉の軽いパシリだった。
姉に逆らえば暴力が飛んでくるので、自然とそうなった。
飲み物を買ってきたり、家の用事を肩代わりしたり。
姉は頭がおかしかったから、そう言ったことに罪悪感はきっとなかったのだと思う。
姉に振るわれた暴力の数は、兄にレイプされた数と兄に振るわれた暴力の数を超えるかもしれない。
それは専ら、頭を叩くという短絡的な行為と、罵詈雑言をもって精神的に頭を叩くと言う陰湿な行為に分類されようか。
何がどうしてそうなったのかは覚えていられないほど幼い頃、私は姉に自宅の二階の階段から突き落とされたこともあるし、誕生日にご飯茶碗を目にめがけて投げつけられたこともある。
その暴力性の捌け口は私だけには留まらず、当然兄や母にも向かうことがあった。
これは、兄も悪いところがあったと思うが、姉が兄に包丁を構えて威嚇したり、飛び蹴りをかましてリビングの扉の硝子を割ったりするのを呆然と見せつけられていたこともある。
私が中学生の頃には姉は高校生であり、特に荒れ狂っていた時期だった。
母子家庭となり私達を養う為に昼夜働いて草臥れて帰ってきた母親に毎晩突っかかるのだ。
私はそれが許せなかった。
毎回横から姉と母の言い争いに口を出した。
テメーには関係ねーだろ?
関係あるに決まってんだろバカ。
私は姉が母のことをオマエと幾度となく呼び捨てたことは特筆すべきことだと思うし、何度か母が作った料理の鍋を怒りに任せてひっくり返し、床にぶちまけていたことも悪名として記しておきたい。
なんなら奴が幸せの絶頂にいるタイミングで爆弾として投下したい。
別にひとつとして許してないからなこっちは?
謝ってすらないもんなアンタ。
兄と違って気色の悪い性処理の捌け口にされることこそなかったものの、姉の家庭内での独裁的強権と呼びたくなる様なその傲慢な暴挙の数々は、私の自己肯定感等にやはり強い影響を及ぼしていると思われる。落とされているんだ、暗い影。
だから私は姉が嫌いだ。
兄ほどではないが…。
縁を切りたいのは同様である。
日本の法律では絶対的に縁を切ることができないのが困ったものであるが。
私が生きているうちに、姉の崇高なる生き様をこの世に遺しておくのが世のためだろう。
…
仮令エスエヌエスでバズって数百万稼いでルンルンだろうがな。
アンタだけ自分のやったことを棚に上げて幸せになんてさせねえからな。
しぬまで怯えてろよクソ女郎。
絶対に許さない。
アンタの子供が反抗期になったら投下してやろうか数々の悪行をよ。
ここら辺は今沸いた言葉をそのまま書いてる追記だから随分と汚いね色々。
そんなとこで、まあ。
つづく
※これは実話であり、表現や追憶による文字列の変更こそあれ内容は全てノンフィクションであります。
残念ながら。
悪かった、可哀想な僕は此処にいるんだね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?