AIドリルの功罪
先日、職員室で仕事をしていたら、教材屋さんがとある企業の
営業さんを連れて挨拶しに来た。
その企業は単元テストや漢字ドリル、計算ドリルなどの教材を
開発・販売している会社だったが、今回はAIドリルの営業だった。
「個別最適な学習」の名のもとに、ここ最近のメインストリームと
なりつつあるAIドリルだが、、、本当にそんな簡単な話だろうか。
ちょっと検索したら、足立区の導入事例などもすぐに出てきた。
ドリルの間違いなどをAIで特徴的に分類し、反復練習させていき、
個々の進捗に合わせて学習を積み重ねていけるものというイメージ
だろうか。
今思えば、私は一律に計算ドリルなどを機械的に宿題として出していた。
よくよく考えれば、あの計算ドリルが十分に解ければ、すくなくとも
単元テストでは90点台だらけになるはずだが、そんなことはありえない。
つまりあの宿題は、かなり形式的なものだった。
今はそのことを反省し、理解がなかなか追いつかない子どもを中心に、
解いたらよさげな問題を指定して、個別又は少人数の指導を行うように
なった。全員一律にすべてを答える必要はないという姿勢にもなった。
あの個に応じた指導を全員にすることは不可能だ。そこにAIドリルで
少なからず理解が進むようになる子はいるだろう。
しかし、一番何とかしたい子たちに果たしてそれは可能だろうか。
そもそも学習の習慣がついていない。
解説を読んでもほとんど理解できない。
(こうした状態にもしかすると学校がしてしまったという論は
あるかもしれないが、今回はそれには触れない・・・)
そしてこのAIドリルでフォローがが可能なのは、
今のところ答えが確定しているものという課題もある。
つまるところ、AIドリルはすべての問題解決につながるものでは
なく、進歩した技術で可能となった学習の一形態なのだろう。
あくまでオプションの1つであるべきなのだが、現在のGIGAスクール構想
と相性が良すぎる成果、あまりに性急に導入が進んでいるように思える。
スタサプのようなオンデマンド指導も同じ状況である。
GIGAスクール構想が着実に進みつつある今、少し立ち止まるの必要も
あるのではないだろうか。