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本を読んで心が動かされるということ

読書は最も能動的に行われる人間の行動である。
なかでも小説というコンテンツをわざわざ求めるのは、そこに娯楽性を見出しているからに他ならない。

何を娯楽とするかは人による。
それは私の場合、発露である。つまり、心の中に(自分では気づかずに)あるものが表に現れ出ることに、有意義な快楽を見出している。

実に読書感想に向いた性格ではあると思う。
批評とする場合、レビュアーの自我を出しすぎることは客観視の欠落に受け取られるが、感想とする場合はむしろ自我を出すことが大事だと言える。

いや、もっと言えば感想に必要なのは自我なのだ。
何が好きで、何が嫌いで、どんな人生を送ってきたのか。
私はこれらが透けて見える感想を志している。

では、2023年のマイベスト・ブックについて述べていこう。
読書感想文は、読書メーターやノベルスキー、discordの読書サーバーなどに投稿したものを改めて読み返した。厳選して3作の感想を転載する。

(バラバラに投稿しすぎて私自身も把握しきれず、サルベージに時間が掛かり、年明け1週間後の投稿となってしまったのは秘密である)

佐藤厚志『荒地の家族』

読みやすい文だが、内容の重たさと僕の知る地名が出てくるため、いちいち手が止まる。とても読みがいのある小説だった。

造園業という「作る」仕事も厄災の前には無力で、面倒を見た植木も街と共に押し流される。無常となる祐治の息詰まる心理を150頁に渡り表現したからこそ、最後の1頁で強い解放感を与えてくれた。

震災が起きてすぐは世界の様変わりに心が追いつかなかったのだけど、時間を置いて失われたものの大きさに気付かされた時、僕は決壊するように泣いたことがある。

この小説はそれを150頁にしたのだ。自分の気持ちを代弁されることの気持ちよさは久々だ。きっと被災地より少し外側の人間の視点で書かれていたのが効いたのだ。

震災文学というのは地域性が強かったけれど、本作はもっと外側でより広域の人に刺さる内容だったから、芥川賞受賞に至ったのかもしれない。

また、講演会にてサイン頂きました。ありがとうございます。

講演会は東北学院大学の五橋キャンパスで行われた

池澤夏樹『きみのためのバラ』

これは小説という形式の旅行だった。
病でロクに動けない時分に読んだ小説なので、いたく沁みるじゃないか、と1ページ1ページを大事に読んだ覚えがある。

世界各地の都市生活を切り抜いた短編集なのだが、どの都市も空気が感じ取れるほど筆致が素晴らしい。

パリの湿度からメキシコに吹く風の匂いまで、人の有り様を通して表現されている。

心情が淡々と語られているから、その余白に旅情を想起するのだろう。
旅というのは普段の生活なら見向きもしないものに興味を持つものだ。
僕の無関心をほぐして、様々なものに興味を持たせてくれた。

それぞれが繋がりのない短編の集まりだと思ったが、最後の表題作を読むことで1冊の本を通して、どれも世界平和への祈りに繋がっているのだと気付かされる。

あまりに大事に読みすぎて、約半年の時間を掛けて読んだ。
良い旅になった。

山本周五郎『橋の下』

肝炎で死んだ作家について調べていたら出会ったのが山本周五郎である。
なぜなら今、私が肝炎だからだ。肝炎はつらい。ときどき死んだほうがマシなんじゃないかと思えるくらい、具合が悪くてただただつらい時がある。

山本周五郎が亡くなる数年前に書いた小説を読んでみようと思った。具体的には『樅ノ木は残った』以後の作品だ。青空文庫を検索していたら、ふと景色が浮かんだ一段落目に惹かれて読み始めた。

 練り馬場と呼ばれるその広い草原は、城下から北へ二十町あまりいったところにある。原の北から西は森と丘につづき、東辺に伊鹿野川が流れている。城主が在国のときは、年にいちどそこで武者押をするため、練り馬場と呼ばれるようになったと伝えられている。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001869/files/57700_72493.html

お話はシンプルだ。
しかし、とてもロジカルにリンクしている。

友と果たし合いをすることになった若者が、河原の橋の下で暮らす乞食の老人と出会う。老人の話を聞きながら、若者はこれから行う果たし合いについて再考するという、ある種の啓蒙の話である。

「あやまちのない人生は味気ない。心に傷のない人間がつまらないように」

山本周五郎『橋の下』

老人の言葉は最初こそお節介に思えるのだが、徐々に話が真に迫った感じを帯びていくにつれて、言葉の重みが増していく。最後には若者の心変わりが描かれる王道エンタメ小説で、且つ思慮深い物語に感銘を受けた。

そうして描かれるラストシーンはあまりに尊くて目頭が熱くなった。令和に読んでいなかったら、「尊い」とか「エモい」とか適切な表現が出来なかったので、昭和33年の小説なれど今こそ読むべき作品だと思う。


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