得意と不得意
ひとには得手不得手がある。いつも完璧に見えるひとにも不得意なものはあるものだ。たとえば猫目はこれまで割と「あなたがいて助かった」と言われてきた。
これは非常にうれしいことだ。と同時に、相手の期待に応えなくてはいけないというプレッシャーが生まれる。ただし、こういうプレッシャーは原動力にもなるので、結果的にプラスに働くことが多い。
そんな中で最近、打ちのめされていることがある。アイス作りだ。
最近とはいったが、じつは中学・高校生くらいのときから自分はアイスをつくることができないと知った。否。アイスだけじゃない。お菓子づくり全般が苦手だ。びっくりするほどできない。
小学生のころに魚を捌く授業があったからか、魚や肉を扱うことはそこそこできる。
つまり、日に三度の飯はつくれるが、菓子はまるきりお粗末だ。
いつだかのバレンタインではゴムベラそのものを溶かした。銀ボールに入ったミルクチョコレートに真っ白い塊を混入させてもなお、阿呆な猫目はそれをそのまま冷蔵庫で冷やした。
いざ仕上がって(そして食器を洗う段階になって)、失態したことに気がついたという救いようのないレベルだ。
さらに毎回のようにクッキーを焦がした。一寸これは訳がわからない。こちらは非常に繊細になっているのであって、分量など細かい数字はきちんと守っているはず。
にもかかわらず、確実に失敗する。
ここまでいくと、菓子に嫌われているのではないかと疑いたくなる。いくら頭で考えたところで失敗の原因がわからないのだから困り果てるしかない。
東北のある旅館で働いていたときのこと。夏限定のリゾートバイトでお邪魔していたその旅館には、こぢんまりとした土産屋があった。その一画にソフトクリームを提供するコーナーがあった。
いくらこぢんまりとしているとはいえ、家族連れが大半を占めていたため、とくに子供たちには人気だった。
「アイスくださーい!」と結構な頻度で声をかけられる。むろん販売しているのだからそれに応える義務がある。
で、やらかした。
それも一度じゃない。
何度も
何度も
やらかした。
ここでも自分はびっくりするくらいソフトクリームがつくれなかった。
「なんでそんなにできないの? 他のことはできるのに」
同い年くらいのバイトスタッフに目を丸くされるほど成功しない。しまいには「わざと?」と笑い飛ばらることしばしば。
猫目は疑問だった。
なぜ。
なぜ、目の前のソフトクリームがいつも歪なのか。
本気でわからなかった。
同期のみんなもはじめは猫目と同じくらい不恰好なソフトを作っていた。そのはずだったのに3日後、彼女たちは紛うことなきソフトを作りあげていたのだからその驚きようといったらない。
とくに仲良くしてくれていた先輩が耳元で囁く。
「なんで右に巻いてるのに、途中から左に巻きはじめるの」
その台詞でようやく気がついた。
たしかに、と合点した。
どういうわけだか、猫目はソフトを作ろうとするとき、スタートは順調で時計回りに渦を巻いているのに何かの瞬間に急に"反時計回り"になる癖があった。
癖、で片づけられる話ではない。
しかも残念なことに、その課題(なにかの拍子で急に反対に巻きはじめる)を克服することはできなかった。その上あろうことか、微塵の違和感も覚えることなく、左手で巻いていた。生まれてから今日までずっと右利きだといいうのに。
ところが、いくらコーンを右手に持ちかえようと両手を使ってみようと、目の前のソフトは歪を物語っていた。それはもう、世にはびこる歪がここに集結されているのではないかというくらい輪郭を見極めることができない。
こういう経験からも、猫目はその後、バイトをするたびにソフトクリームを避けつづけてきた。コンビニでバイトするときはソフトクリームをつくらないかどうか事前に確認したし、カフェバイトに憧れを持っていたが、コーヒーにソフトが乗っている写真を見て断念した。
きっと不器用なんだろうなあ。
そう思いながら野菜を切って盛りつける。綺麗だね、と言われる。
学生時代。家庭科の成績は悪くなかった。裁縫は表彰されたし、調理実習のカレーライスだってぐつぐつ作れた。じゃがいもの皮を永遠と剥いていられた。
のに、なぜか。
ケーキがつくれない。
ミシン、編みものは「器用じゃん」と絶賛されたのに、シュークリームが膨らまない。焼きりんごが黒くなる。チョコレートが固まらない。
仮に手先が不器用だったとして。
ここまで失敗ばかりが続くなんて一寸信じがたい。
やはり菓子に嫌われているとしか思えない。さもなくば、潜在的苦手意識による呪縛だ。
そうして
ああでもない
こうでもない
と原因追及に努めた結果、ひとつの答えを導きだした。
ひとには得意なものと、そうでないものがある。
まちがいない。猫目はアイスが不得意だ。先日、この事実によって打ちのめされた猫目にある方がおっしゃった。
「けど、猫目さんは文章が得意なんだからいいじゃん」
そうだ。
その通りだ。
私は文章を書くのが得意だ。それはつまり、書きたいときにパッと書きたいことを書けるくらいに得意なのだ。相手にしっかり伝えるために過不足のない文章を書く。じつはこれが結構むずかしい。
自分の頭の中では一から十まできちんとイメージできているからといって言葉を省いてしまうと、なかなか相手に伝わらない。もしくは相手に間違って伝わってしまっている可能性がある。
逆も問題だ。ダラダラと説明ばかりを繰り返してしまうとそれはそれで頭に入ってこない。文章とは非常に厄介な相手だ。
それでも、うんうん頭をひねって最良の文章を練る。言わずもがなその根底には「好き」という感情が動いている。だから、たとえ1日中文章を書いていてもそれほど苦にならない。
もちろん苦痛が伴うことだって無いわけじゃないが、基本的に「これ書いてくれる?」と頼まれたら「もちろんです」と即答する。
でも、もし今・・・
「ちょっとソフトクリームつくってくれない?」
といわれたら。
一瞬顔を引きつらせたあと、スンと真顔になり、それからうーんと首をひねって相手の横顔を盗み、その表情が極度に困窮していたとしてもなお、猫目は手は動かさないだろう。
そして、おそらくこう口にする。
「ほかにお手伝いできることはありませんか」
ひとには得意なものと、そうでないものがある。それはたぶんどうすることもできない事実の一部だ。どれだけ好きで、憧れていたとしても、やはり不得意は存在する。
ならばどうするか。
数をこなすしかない。
おそらく猫目がこの先、人生をかけて本気でソフトクリーム名人になりたければ毎日毎日ソフトクリームマシーンの前に立ち、手が腱鞘炎になるまで巻きつづけるだろう。
だが、猫目はどちらかというと文章を書きまくって腱鞘炎になりたい。
(……できればなりたくないけれど)