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カワスケのひとりごと~本当の死とは~

皆さんこんばんは😊
四国は本日、梅雨入りをしたそうです!

今日のカワスケのひとりごとは

『本当の死とは』

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宗教的な話をする気はありませんが、昔から残っている風習にある死生観っていいですよね。

日本で言えばお盆、それからメキシコの祝祭の日にあたる「死者の日」なんかも死生観と関係のある風習です。

年に一度、亡くなられたご先祖様を迎え入れて、再び送り出す行事。国や文化が違っても同じような慣習が残っているのは不思議なものです。

以前勤めていた事務所の隣が大きな神社だったため、自分のための良き習慣として毎朝出勤前に参拝をしていました。

「今日もいい日でありますように」と願った後に、「今日もいい日にします」と自分自身に向けて一日のはじめに宣言をする。

そして、家族、スタッフ、お客様、それからその時々で体調を崩していた人の名前を挙げて皆の健康を願っていました。

その後に、「じいちゃん、ばあちゃん、ご先祖様、今日もいい日になりますようどうか温かく見守っていてください」とお祈りを締めくくるようにしていました。

日々続けていく中で、中には体調が戻らずに亡くなられた方もいらっしゃいました。

その場合は、近しかった人の名前は、じいちゃん、ばあちゃん、ご先祖様の後に新たに見守ってもらいたい人として付け加えてお祈りを続けていました。

こうして、毎日参拝する度に亡くなった方の名前を挙げて、そのたびに脳裏で思い返していますから、日々向き合っていた分、不思議とあまり遠くに離れていかれたような気はしませんでした。

前述したメキシコの「死者の日」をテーマにした映画「リメンバー・ミー」という佳作があります。

そこで語られていたテーマは、人には二つの死があるということ。

ひとつはその人がこの世から去る時。そしてもうひとつは、この世にその人のことを想ってくれる人がひとりもいなくなった時。

誰かを想うこと。誰かに想われること。

年賀状のやり取りだけになってしまったような遠く離れた知人や連絡ひとつ取らなくなったかつての同級生たちよりも、日々胸の内で語りかけている亡くなった友人や先輩たちの方が身近に感じるものです。

生死問わずに、自分に対して関心を払ってくれる人がいるかぎり、その人が存在していたことに内発的な動機以外の意味が持てるのだろうなと思っています。

亡くなられていまだに話題に上がる人というのは、やはり人好きをするというか周囲の人たちに関心を払っていた人が多い気がします。

鏡ではないですけれども、自らの生き様が、関わった人たちの中にきちんと残ってそれがそのまま反映されるのでしょうね。

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今日のカワスケのひとりごとはいかがでしたか?😉

私はリメンバー・ミーの映画が大好きで何回見たことか(・∀・)笑

以前にこの記事と同じ内容を言われてからは私も亡くなられた人を思って日々話しかけています😊
不思議と近くに居る気がするんですよね✨

来週もお楽しみに😉

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