フラクタル・ワールド(5) 〜ママハハたち〜
【パパのパパとママハハ】
戸籍の生年月日と死亡年月日を眺め続ける。父の実母が逝ってしまったのは、父の2つ下の妹のお産から8日後のことだ。産褥熱であったとは聞いていた。お産から一週間あまり、苦しみ続けたということか。
現代は何につけても除菌、除菌で、お産にあたっては膣周辺も消毒しまくるらしいですなー。
その出口で赤ちゃんが最初に自動的に浴びることになる乳酸菌なんかは、その子の基礎的な免疫となるため重要なのに、どうしてもその数が減ってきてしまっているという問題もあるとか。
けれど、一人の赤ちゃんと引き換えに母親が苦しみながら死んでゆく昔のお産の危険性の高さと、その後の人々の人生を飲み込んでゆく感情の渦の深さを考えると、消毒しまくる現代の多数派の用心のしかたをそう簡単に否定することもできない。
実際、私のパパんちでその危険なお産に母体が負けて残されたのは、2歳の男の子であった父と、生まれてすぐの赤ちゃんと、男親。昭和の始め頃のことだ。女手が必要だったろう。お乳もなぁ。
【知らんけど。】
実の母親の死から次の新しい母親の出産までが、1年と10ヶ月。その段階で父の実の妹も1歳と10ヶ月か。
その時期って、もう授乳はいらんの? オレ知らんけど。
それまでの間はもらい乳というヤツやってたのかな。知らんけど。
健康体だったからとは言え、すぐ次を産む新しいお母さん。あてがわれた感は無かったのか? そんなこと言ってもどうしようもないのだけれども。
時代の中では取り立てるほどのことではなかったのだろう。母方のばあちゃんが後妻に入ったのも、先妻さんが亡くなってからたった8ヶ月後のことだし。
けどその当たり前についてこそ、今ぼんやりと考えている。
【めくるめく愛フル】
そこに愛はあるんか、である。
それなりに愛って生まれるんか?
そこになんとなく生まれてるもんを、愛ということにして両者納得していくんか?
父の父親、つまり女手を得た夫のほうは、安心したということなのかね知らんけど。妻・母親という欠けたポジションが補われ、家庭の形が戻り、賑やかと言えば賑やか。ほんの一瞬でしたけど。
けれど新しい母親の子が、生後1ヶ月でまず亡くなる。それが1月。
そして新たに次の妹が、そこから文字通り十月十日後、11月に生まれる。それはどんな気持ちのセックスなにょ?
時代の「常識」の下層に堆積していった腹の底の感情というものが、いくつもの世代を貫く「怒り」となって立ち現れてくることは、大いにあると思われる。
呪いのような攻撃性は薄い分、うっすらと蓄積していって臨界点で溢れ出すと始末が悪そうだ。食品添加物の化学成分や重金属みたいな話だ。知らんけど。
とにかくそのお腹の大きかった頃、8月に、父の実の妹も2歳半で逝ってしまう。
取り返しのつかない命が、泡のように入れ替わる。
【ママハハと呼ばれる心】
22歳で後妻となり、25歳で協議離婚を経て実家に戻った、父の義理の母であった女性。
「我が子かわいさに、幼い継子に濡れ衣を着せた鬼のような継母」と、長じた継子の家庭で数十年経っても切り取られ、定着してしまった悪評。
実家に戻ったその人はその人で、先妻の男の子が私の赤ちゃんを泣かせやがったと、愚痴ったろうか。ちょうど母方の、ワルい兄たちがばあちゃんをいじめていたというフラクタルな切り取りストーリーのように。
その人は、カソヱさんという。自分とほぼ同じ歳の先妻さんと夫は、離婚ではなく死別だ。バタバタと決まったとしか思えない婚姻。婚礼の儀があったのか略されてしまったのか。
そしてすぐ産んだ我が子は先に死ぬし。
その7ヶ月後に先妻の子も死んだ時、カソヱさんは、いったいどういう感情に包まれたのか。悲しいばかりだったのか、どうなのか。夫にとって大事であるはずの長男は、ちゃんと丈夫に育っていっている。
血のつながりは無いとは言え、自分の夫の子。一緒に暮らし、ご飯も作って世話してやっていたはずの小さい男の子の性格も何も理解しないまま、泣いている我が子に近づいた場面を見た途端に「泣かせた」と感じ、責めてしまう意識でカソヱさんは日々を過ごしていた。
そういう家庭の中に円満という言葉があったとは思い難い。
夫はどこまで潤滑油として機能していたのか。機能していなかったのではないか。もう永遠にわからないことだが、私にはその部分が最も重大な疑惑として残る。
嫁姑問題も、こういうママハハ・継子問題も、そのハブ地点に立った以上そのオトコの責任というもんは地球より重い。心を砕いて砕いて砕き倒しても、砕きすぎることなどないと思うがね。
その挙げ句にもしそれぞれの点と点がうまくいけば、それはそれ。けれどうまくいかないならオノレのせいにされる、ライブのPAみたいな立場かもしれん。そういうもんだろ。腹を据えろ。
そういうオスは、たっまーにおった気もするがフツーなっかなかおらん。わたしは一人でストレスフリーでございます。
どうなんだろう、カソヱさん。そこに、愛はありましたか?
【撫でつづける】
理屈上の中立的な立場が、常に公平性を保てるわけではない。時には思考停止の逃げ場にもなる。
私は不利な側に立つ。性分だ。結局そのせいで損したと感じてしまう心の小ささも含めて、それが私の性分だ。
わたしはカソヱさんの心配を、します。
たとえカソヱさんが実家に帰って、仮に嫁ぎ先の家庭は散々だったと悪態をついても関係ない。こっちに切り取り職人がいる以上、むしろカソヱだって切り取りまくっていて当然ちゃ当然だろう。
わたしは継子側の、けれど切り取り職人目線から外れたところで、一方的に悪人とされてきたカソヱさんの心を撫でます。もうあなたをこちらで意地悪な継母だったなどと言い散らす者はいませんよ。
家系図を作って以降、わたしまでつながる草の根の方々にご飯と水を上げる時には、カソヱさんとその二人の子たちの名前も呼んでいる。
ごめんね、カソヱさん。
この性分を以って、フラクタルにオレのママんちを見返し、母のワルい兄たちの心にもわたしはごめんなさいと言おう。