生まれ変わりは白猫
おらくは、尻尾の長い夕陽色の雌猫で、2010年の7月4日の夜、雨の中で出会った。仔猫がたったひとりでいるにはあまりに不自然な大道路沿いのカフェのそばで、雨の音にまじって微かに必死の鳴き声が聞こえた。生後1ヶ月ぐらいの小さな痩せっぽちだった。おらくの誕生日は6月1日と決めた。12年と4ヶ月半生きて、去年の10月、光の森に還って行った。
おらくの具合が悪くなっていく中、いろいろ私なりの手は尽くした。西洋医学の病院や、ホメオパシーを使ってくれる病院にも連れて行ったし、漢方のお茶を飲ませたり、別のホメオパスの方にレメディを処方してもらったりもした。アニマルコミュニケーションで会話もさせてもらった。ヒーリングもやってもらった。
(★アニマルコミュニケーションでは、猫2匹と、それぞれ1時間ずつしっかり会話しました。人間以上に状況を冷静に見てくれていることがよくわかります。興味がおありの方には、そのやりとり全編をガッツリ文字化、解説している「アニマルコミュニケーション1〜23」をぜひご覧いただきたいです)。
ヒーリングで、何度もひどい症状を緩和してくれた人が、おらくの魂としっかりリアルに交流してくれていて、羨ましくもあった。おらくが光の森に還った後、ひとり残った白黒ハチワレ猫のふるむが寂しかろうと私は焦ってしまって、ある保護猫を引き取ろうとしたことがあったのだけれど折り合いが良くなく、お返しした経緯がある。
ふるむは退屈だろうから悪いけれど、しばらく猫を増やす気分になれなくなったなぁ、とヒーリングしてくれたその人に話したら、おらくちゃんが生まれ変わってくる時は白猫として姿を現すかもしれないから、白猫ちゃんでピン!と来た場合は、飼った方がいいよ。と伝えてくれていて、それでちょっとだけ意識はしている。
昨日、明日は13年前に小さい小さいかわいいおらくが生まれてきた日だなぁ、と思いながら地下街を歩いていたら、ほんとに一瞬、目をやった店先で、記憶にないぐらいの瞬間で目がいくもんだ、白猫のカップに惹かれてしまった。
どうやって辿り着いたのか。不思議だ。あんなに離れたところを足早に歩いていたのに。わざわざ寄って行って、立ち止まって、手にしてよく見たら、陶器なのにとっても細やかな線で、リアルなお伽話のような世界観で描かれた白猫がいた。
カップの白猫は、きっとそう簡単には笑わない、そして愛されているという自信を持った表情で、まったく、おらくみたいだ。
それに何より、カップの手に馴染む感じが嬉しい。不思議だ。器の、この、馴染む感じっていうのは、作る人との共鳴であり、相性だとよく思う。そのようなモノを形の無いところから生み出す人に、私は敬意を表する。生み出された器は、同じような周波数の受け皿をもった人たちの手に、きっとすっぽりハマって、自然にその人の元へと引き取られてゆくのだろう。
出会いというのは、時間の軸に沿う必要のない次元で起きる。足を止めて、手にとって、猫を見つめて、自分のために作って準備しておいてくれたかのように当たり前のモノとして、すぐレジへ。お店の方が、緩衝材で包みながら「作家さんの情報をつけておきますね」と小さい紙を貼り付けていたのを、さっき剥がして見てみたら、白猫カップを生み出してくれた作家さんのお名前は、私と同じさちよさんだった。ふふふー。おらくー。
= おらく =
雨が降っている
終わりを知らず
しゃら しゃら しゃら と降っている
外の猫たちは
きっと濡れているだろうね
数えきれない不条理の中
いつも誓っているのです
長い尻尾 白いヒゲマユ
撫でながら
頬 押しつけながら
お前が死んでも 決して 決して
私は泣かないよ
お前のからだが暖かいうちに
こんなにも抱きしめておくから
私は 決して 決して
最後には 泣かないのだよ
お前の言葉は
すべて わかるよ
ねう ねう にや といつも言う
お前の言葉を聞き取れず
いつも すまない
数えきれない不条理の中
今でも詫びているのです
あの日曜日 ほんの一瞬
からみついた尻尾と鳴き声と
うとましがった 夕方の緊張
私の目を見据えて
お前は離れた しばしの静寂
こんなにも 繰り返す場面
お前が 今のすべて
つれてきてくれたのだよ
ふたりだけの合図があるよね
お前と 私だけの
鼻先と 鼻先の
おかえりと ただいまの・・・
忘れないで
忘れないから
お前が死んでも 決して 決して
私は泣かないよ
お前のからだが暖かいうちに
こんなにも抱きしめておくから
私は 決して 決して
最後には泣かないのだよ
最後には 泣かないのだよ
2015.7.21 さち・ド・サンファル!