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頬をかすって行き去ったアゲハ蝶さえも

バタフライエフェクトという言葉は聞いたことありますでしょうか?

同名の映画もあり、結構多くの方が耳にしたことがあると思っています。
あるところで蝶々が羽ばたいただけのことが、地球反対側では台風として発展するかもしれない、要するにカオス理論をわかりやすく説明している用語です。

人間として生まれることって、どんなに贅沢なことなのか。
自分が行う行動が、すでに決まっている運命なのか、自由意志なのかのように生存に全く無縁などうでもいい悩みで自ら命を絶つ人もいるぐらいですからね。

自分に訪れる出来事が、自分がする行動が、運命だの、自由意志だの、どうせわからないものならどうでも良くないですか?

この記事は上記の話を遠回しで書いたものです。

私は韓国生まれ、韓国育ちで、お父さんは海外行くのを好まない人でした。

そして、私自身、海外への漠然な憧れを幼稚園児の時点から持っていて、海外の情報を本やお父さんのお土産で集めていたのです。特に、日本に関しては、お母さんが日本語教室に通ったりしたので、一緒に習ったりして、小学校4年にはカタカナとひらがなが読めるぐらいにはなっていました。

お父さんは世界を回るエンジニアでして、地方私立の工学部卒のくせに、私が生まれた時点ではすでにCTO(研究所長)を務めていて、中小企業を中堅のレベルまで上げた実績の持ち主でした。あだ名は「機械の神」。

そのお父さんの影響で、幼少期から、機械の原理、科学の理論を納得いくまで勉強したり、実験をしたりしました。

好奇心があり、昔から本好きで、おしゃべり。

この性格のおかげで、高校1年までは順調に、韓国人男性のモデルコースでも歩んでいるような気分でした。

韓国で最も望ましいと言われるコース。

首都圏に生まれ、優れた学力で、ソウル内の有名大学に入って、兵役を終え、卒業し、大企業に就職して、家族を作り……

まさにそんな感じの私でした。しかし。

人はよく言います。きっかけがないって。

しかし、それって、言い訳に聞こえるのです。私からすると、人間は引き金の上を常に歩いているように見えるからです。

今日の出来事がなんであれ、理由はあるのです。

私に引き金になったのは、在籍した高校と高校のポスタでした。

洗馬高校。そして、日本留学博覧会のポスタが私の人生をひっくり返しました。

私は中学校までは京畿道論述試験二位、小学校数学科学オリンピック国内予選奨励賞などを、公立学校授業だけで成し遂げた公教育の誇りでした。
しかし、高校は入試があって、私は内申点200万点中195点で入学し、平均そのものだったのです。

私が所属した学年は全国模擬試験平均点が全国1年のグループで、なんというか、すごくしんどい勉強量でした。

私はそれでも授業時間中の勉強だけで、300名中100位の成績を維持していたのです。

しかし、成績地上主義上に、自分より勉強していない奴がいい点数を取ってくるわけだから、いじめは当たり前なことでした。私、こんな高校だったから、自然にやる気をなくして、勉強をしなくなったのです。(といっても、100位前後でしたが)

その時、私を刺激したのは、日本留学博覧会のポスタでした。

ずっと、海外に憧れていて、留学したい。強く思っていました。

イギリスを最初に思いましたが、独特な入試制度で値段まで高く、韓国の外国語高等学校や科学高等学校、国際高等学校じゃないと入るすらめんどくさいところでした。

フランス。学費は無料だけど、生活費が高い。グランゼコールはまた入試が違う。

ドイツ。学費も無料で、生活費もそこまでらしいですけど、まあ、高い。

アメリカは最初に拒まれました。高いって。

そして、日本。私は小学生頃から日本語に興味津々だったし、基礎科学強国のイメージが強かったので、興味を持ちました。

日本の大学に行きたい。漠然に思ったのですが、私はそれを具体的な形で徐々に変えました。

当時高校1年の冬。この成績でも、十分韓国の名門大学には入れました。しかし、それは私にモチベーションになっていなかったのです。

自分も環境も人生も変えてみたい。この時点では日本語なんて基礎的なことしかわからなかったのですが、日本語を翻訳しながら、日本の国立大学の学費を調べ、国立大学なら韓国の国立大学と授業料が大して変わらないことに気づいて、これでお父さんを説得しようと思って、計画を立てました。

まず、家族を説得し、日本の国立大学への進学を認めてもらう。
次に、日本語能力を身につけ、日本の入試に対応できるようにする。
最後に自分で大学進学までのカリキュラムを作成し、韓国のカリキュラムでの授業を受ける今の高校を辞めて、独学で日本の国立大学に進学する。

全て、家族を説得させる必要がありました。値段が安くても、入れなかったら意味がないし、日本語ができないのに入試なんてできるわけないし、韓国のカリキュラムと並行して独学で日本のカリキュラムに対応できるとは思えなかったのです。

まず、お父さんは値段には納得してくれました。国立大学なら、合格してみせなさいと言われした。
次、私は日本のアニメやドラマを見ながら、2000単語ずつ毎日覚えるという努力をして、4ヶ月で、日本語能力をある程度身につけました。
そして、最後に、日本の大学への進学に向けて、高校を辞退するという旨を伝えました。

これだけはすごく反対がありました。失敗したら、君は高校を辞退した普通の不適応者になるだけよ。と言われました。

しかし、ここで折れるわけにはいけなかったです。私は具体的な時間割と使用するテキスト、問題集、時期別達成目標など、お父さんを説得できるような資料を作り、最後のプレゼンを行いました。

ここまでするなら、やってみてや。
そう言われました。

しかし、最終目標だった旧帝国大学には進学できず、愛媛大学の合格通知書を持ってみせました。

目標より遥かに低い結果達成でしたが、私は日本に、やっと、自分で建てた計画で来ることができました。

お父さんに言われたりします。

普通に進めたら、韓国のもっといい大学に行けたのでは?

普通に暮らしていたら、もっといい評価をもらったのでは?

しかし、私はたまたま壁に貼られていたポスタを自分の夢にして叶えました。

この経験は私の人生の中で、一番の成功経験になりました。

そこから始めて、日本で望みの化学を習い、今はSEとして働きながら、結婚もして、幸せな毎日を過ごしているのです。

今も小さい蝶々は頬をかすって、風に乗って飛んでいます。

その蝶々の羽ばたきに気づいていたら、もっと違う未来があるかもしれません。

私は常にその羽ばたきに準備しています。

いつ、どんな蝶々が飛んでくるかわからない。それでも、その儚い羽ばたきが自分の未来を大きく変えるかもしれない。

今回はたまたま飛んできたアゲハ蝶のおかげで、ここまできている。

いかがですか?それでも皆さんはきっかけがないと思っているのでしょうか?

#想像していなかった未来

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