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とある人間関係と言葉について

ある人を思い出す

あけすけに言うところが好きじゃなかった
言葉の矢が自分に刺さるのが嫌で
自分の大切な人にも刺さるのが嫌で
いつしか心の距離ごと遠くなっていた

年に数回しか会わないその人は
いつもこちらの訪問を喜んでくれるし
攻撃するつもりなどはさらさらないのだろう

こちらが勝手に傷付いては
悪いイメージをいつまでも持ち続け
離れていったのだ

会話の情報もほとんどない状態で
それでも相手との繋がりを探そうとする時
外見からヒントを得ようともするだろう
過去の記憶から話を膨らまそうともするだろう

相手が同じ話ばかりするのではなく
こちらが繋がろうとしてなかったら
相手が解りたくてもわからないのだ

耳が遠くなり
歩みが遅くなり
少し小さくなった姿をみて
胸が苦しくなった

悪者にしすぎていたのかもしれない

今になってようやく
自分の視野を広げ考えることができた


無邪気に懐いていたであろう子供の頃はもう思い出せない
大人になった今では上手く甘えることもできなくなった

それでもまた会いにいこうと素直に思えるようになれたのがここ数年での大きな変化だった


これは今回に限ったことではなく
他のことにも当てはまる

いつかの誰かの言葉に
深く傷付いた瞬間を
もう鮮明には思い出せない

距離を置いた相手を想像して
きっとこう言われるだろうとか
また嫌な感じになりそうだと推測する

ただの自己防衛本能だ

白か黒か敵か味方だけで即座に人を判断することはナンセンスだと思っているが

それが2度3度続くと
心のシャッターをおろしてしまう

けれど人間はもっと曖昧で
日々変化していくもの

言葉なんてもっとも不確かで伝わりづらく
文字通りに受け取る必要はさらさらない

自分は特に下手くそな自覚があるので
(文法もめちゃくちゃだし言葉は稚拙でちょっとはずかしい)
ここ数年は躊躇わず自分勝手に傷付いた時は相手がどういうつもりで言ってるのかをちゃんと確認するようになった

よっぽど合わない相手とは
離れたければ離れればいい

いつかまた変わることもある
それが自分なのか相手なのかはわからない

相手も自分にもそれぞれの人生があり
交わる人や捉え方も異なる

経験値が上がるスピードは全然ちがう

自分が変わっていくように
相手が良くなるパターンだってあるはずなのだ

そのくらいの気持ちの余裕をもって
言葉の奥にある余白を楽しみながら
これからの人間関係も豊かにしていきたい

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