慮る気持ちを配るから「配慮」 、遠のくから「遠慮」
慮る気持ちを配るから「配慮」
遠のくから「遠慮」
「慮(おもんばか)る」という日本語は、日常的会話の中ではあまり出てこない言葉かもしれませんが、私の好きな日本語の一つでもあります。
広辞苑によると、
「よくよく考える。考えはかる。思いめぐらす」
とあります。
「配慮が足りない」という言い方でこの「配慮」という言葉を聞くことが
多く、「もっと気を使ってほしい」とか「こういう発言をしないでほしかった」といった具合に、どちらかというとネガティブな側面がフォーカスされがちです。
でも「配慮」の本来の言葉の意味、「慮る気持ちを配る」ということに
スポットライトを当てると、どのように《慮る気持ち=愛》を配ったらよいか?という思考になりますし、「もっとできることがある」と自然と思えてくるから不思議です。
未来を見据えて「今自分にできることは何か?」と考え、「愛」を配っていくと、自分も幸せな気持ちで満たされていく気がします。
一方、何かの場面で「遠慮」の気持ちが生まれる時、それは自分が
「慮る気持ちから遠のいているからだ」とわかります。
つまり、矢印が自分に向いていて、自分以外の人や対象に対して愛を配っていない自分がいる、ということ。
「遠慮の気持ちから何かをしない」という選択をしそうになった時は、このことを思い出すようにしています。
「配慮」と「遠慮」
日本語は、本当に多くの本質を教えてくれます。