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一生を台無しにする「魔が差した」の正体

先日、ケイト・ブランシェット主演の映画『あるスキャンダルの覚え書き』(原題:“Notes On a Scandal”)という映画を観ました。

年配だが良き夫、反抗期の娘とダウン症の息子を持つ美術の美しき女教師が、自分に夢中の15歳の学生と恋仲になってしまう。映画は、それを利用して、離れていかない興味深き友人を得ようとする歪んだ執着を思ったジュディ・デンチ役する歴史の教師の不幸に主眼をおいたもの。

映画の内容はともかく、注目したいのは、美しき女教師がなぜ、してはいけないと普通なら判断がつきそうな「(着任そうそうに)学生に手を出す」ということをやっちゃう理由。

それは、女教師は、教師になるまでの10年間、ダウン症の息子のケアに費やしてきたからだった。良き妻、良き母として、最も美しかったであろうと年齢を過ごしてしまったからだった。

「もう自分の好きにしたっていいじゃないか」

そう思って、自分の美貌に首ったけな少年と肉体的な関係を結んでしまう。親身に感情移入してみると「悪いかも知れないけど、気持ちはわかる」と思わなくもないのではないだろうか。

これには、実は名前がついています。

モラルライセンス

人は、道徳的、倫理的に良いことをすると(または、良いことをすることを想像しただけで)、「ちょっとくらい自分の好きにしたっていいじゃないか」という気持ちになります。倫理的許諾を自分に与えるんです。

人は、行動を「しなくてはいけないこと」、「しちゃけいないこと」というようにモラル化して行動を捉えると、このモラルライセンスが発行してしまいます。

例えば、ダイエットをしているならば、ジョギングした日の夜は、必要以上に晩ごはんをたらふく食べてしまうとか、1時間勉強したあとに3時間ゲームをしてしまうとか。

裁判所に傍聴に行ったことがありますが、そこには「魔が差してしまった」方々が裁かれる姿をたくさん観ることになります。500円くらいのコンビニの弁当を盗もうとして、捕まえにきた店員を殴り、数百万の慰謝料を払うも刑事裁判に描けられてしまったりなど。

彼ら、彼女らの行動の背景の多くには、このモラルライセンスがあるかもしれません。一所懸命に働いたのに首にされたんだから、これくらいやってもいいはずだ等の。

小さいことから、大きなことまで、人が何か、普通に考えればしてはいけないようなことをしてしまうときに、このモラルライセンスがあるのではないでしょうか。

なので、

モラルライセンスというのがあるぞ!

ということと

モラルライセンスのトラップに陥らない方法

の2つを知っておくと、人生を台無しにしてしまうリスクが格段に下がるはずです。

では、モラルライセンスのトラップに陥らない方法ですが、

行動をモラル化しないで選択すること

です。

ダイエットなら、自分が何のためにダイエットをしているのか、
その理由を明確にして、そのゴールに向けて行動しているのだと考えることです。

良いから、悪いから

ではなく、なぜそうするのか、を考えて行動する。

映画の場合にはなしを戻せば、女教師は、「息子のために自分を犠牲にすべきだ」と考えるのではなく、「自分はどこに向かって何をしたいのか」ということを考えてみれば、もう少し健全な選択ができたのかもしれません。

息子のため、娘のため、夫のためではなくて、自分の幸福のために、息子を育むことが大事だと、考えていたならば、彼女の費やしてきた時間はモラル的な自己犠牲にはならなかったかもしれません。

わたしたちは、「誰かのために」という理由で行動をすると、その先には幸福よりも不幸が待っている事実に無頓着です。例えば、夫が「妻のために」掃除や食器を洗ったとします。妻がそれに気づいたとき、思ったより感謝をしなかったとき、喜びより不満が生まれます。「自分のうちのことなのだから、俺もしよう」と考えてやっていれば、妻に感謝されなくても不満は生まれないし、感謝されれば、嬉しくなってプラスになります。

魔が差すシステムであるモラルライセンスを発行しないで済むようにするためには、わたしたちは、行動を自分のためにしていると常に認識しておいたほうが良いようです。


覚えておきたい法則集
•モラルライセンス(今回)
パレートの法則
パーキンソンの法則
コンコルド効果





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