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親鸞直系のお寺・中戸山 西光院 常敬寺です


新潟県上越市高田寺町にあります真宗大谷派、中戸山 西光院 常敬寺です。
当山は浄土真宗を開かれた親鸞聖人の孫、唯善上人が創建したお寺で、後宇多天皇の勅願所であり、その歴史を示す朱塗りの山門にちなんで「赤門さん」と地域の皆さまに親しまれています。
来年(2024)で当山が創建されてから740年目を迎えることもあり、noteでもお寺のことについて発信していこうと思います。
(細かい学術的な真宗史・寺院研究はブログにてまとめてあります)

本願寺(大谷家)からみて私たち常敬寺(中戸家)は叔父の家系になります。

〈略縁起〉
当山は親鸞聖人の孫である唯善上人により弘安七年(一二八四)、下総国葛飾郡中戸にて創建されました。当初は中戸山 西光院と名のり、第四世善栄の頃には弥陀本願寺の寺号で呼ばれましたが、第六世善鷲が本願寺教団に帰順すると、蓮如により常敬寺に寺号が変更されました。

第三次関宿合戦(一五七四)が勃発すると、関宿城から数キロ離れた中戸も戦禍に巻き込まれ、常敬寺の堂宇も焼け落ちました。さらにその焼跡となった境内地は混乱のなか報恩寺の管理下に置かれ、報恩寺の末寺が建てられてしまった為、当山は中戸の寺地を失いました。

その結果、古くから末寺群を有し、中戸山一門の教線が広がっていた信濃国北部に当山は退避・疎開することとなりました。常敬寺は故郷である中戸を離れ、天正四年(一五七六)、山田郷平塩に塔頭、末寺と共に寺基を構えました。

そして慶長の初め頃、堀氏の招請により隣国の越後国に入ると頸城地方を中心に各地を転々とし、寛文六年(一六六六)、高田寺町に移転し、現在に至ります。本願寺東西分裂当初はお西に属し、高田城下における触頭を務めましたが、延宝七年(一六七九)にお東に改派しました。後宇多天皇の勅願所として知られ、朱塗りの山門から「赤門さん」と親しまれています。

(副住職)

合掌

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