なぜ戦争はなくならないのか?「ハートロッカー」
「ハートロッカー(The Hurt Locker)」(2008年 アメリカ 131分)
監督:キャスリン・ビグロー
出演: ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー
戦争は麻薬だ。
このフレーズから始まるこの映画は、イラク戦争で起きた悲劇をまた繰り返すことを意味しています。
21世紀になっても、まだ戦争が起き、未だに続いていることに多くの人が諦めの気持ちを抱いていると思います。
この言葉に、すべての戦争の悲劇が繰り返される意味が集約されているように感じます。
戦争は、多くの人を戦地に向かわせる大きな魅力を持っている、悲劇を繰り返さないと言っているのにまた戦争が始まってしまうということは、麻薬中毒者が薬を絶つといってもまた何かのきっかけに麻薬に手を出してしまう心境と同じなのだ、ということでした。
人は、争うことをやめることができない生き物なのかもしれません。
あらすじ
イラクのバグダッド近郊にアメリカ軍の危険物処理班として赴任したウイリアム・ジェームズ軍曹は危険を顧みずに爆弾の処理を行い、周囲との確執を起こすようになっていく。
多くの軍人が、目を向けることができない現実が起きているイラク戦争の現場に耐え切れずに帰国したり、ゲリラ戦に巻き込まれて殉職する兵士が多い中、ジェームズ軍曹は粛々と爆弾を処理していく。
彼の1年間のイラクでの生活に密着したドキュメンタリー(と言っていいほどリアルな戦場が描かれています)。
爆弾を処理して、アメリカ兵と一般人を守る責務、という名の中毒
過労やワーカホリックという状態は、仕事場だけでなく、戦場でも起こるのだな、という感想が来ました。
戦場では敵を倒すということで殺人が合法化され、相手の兵士であれば発砲してもよいという特殊な環境です。
イラク戦争は、そういった分かりやすい兵士が非常に少なく、一般人に紛れて爆弾や銃を所持している人がアメリカ兵を襲ってくるゲリラ戦が展開されていました。
軍人が民間人に銃を向けると、後の軍事裁判にかけられてしまいます。
しかし、ゲリラ戦ではそういったルールがあってもわからない状態がアメリカ兵も疑心暗鬼になり、精神的に異常をきたす人も多かったと想像します。
誰に銃を向けていいのか、ぎりぎりまでわからない、しかし戦闘が始まったらアドレナリンが一気に高まって、やるかやられるかの勝負となる。
こんな日常が続くと、人は戦場に居場所を求めてしまうのでしょう。
これは会社や学校などでも一緒なのかもしれません。
何かの目的をもってその場にいることは重要ですが、その目的の意味を考えないと、「イスラエルのアイヒマン」などに代表されるように、冷酷な殺人者になってしまう、という意味を持っていると考えます。
上官からの爆弾の処理数を称賛される達成感
上官からウイリアムが爆弾の数を聞かれて、800個以上の爆弾を処理した、と答えると「It’s Amazing!」と言われるシーンがあります。
800個の爆弾を見つけ出し、爆発させることなく処理するのが、どれだけ難しいかを想像させるシーンとなっています。
おそらくアメリカ本国にいると、ここまで称賛されることがない人生だったのでしょう。
イラク戦争に代表されるアメリカでの戦争は、こうした側面が強いのでは、と感じます。
何かにおいて活躍ができる人は本国では限られていて、製造業などのエンジニアなどはITの台頭によって行き場を失い、特筆した電気や化学の知識をこうした場で生かすというのはとてもつらいです。
本当はもっと違うことに使ってもらいたかった、と言ってもなかなか聞かれるものではないのでしょう。
ウイリアムが息子に語り掛ける言葉の重み
爆弾処理の任務を終えて、一度は帰国して、別れた妻と幼い息子との三人暮らしが始まります。
しかし、妻の必要としているシリアル一つもわからない、家の屋根にたまった葉の掃除をする戦地と比べると単調でつまらない日々が続きます。
そこで息子と遊んでいるときにウイリアムが語り掛けるシーンがとても印象的でした。
戦地でのアドレナリンで常に興奮状態だった時と比べると、現在の暮らしは物足りなさを感じずにはいられなかったのではないかと思います。
子供の時は見るものすべてが面白く、ちょっと外に出れば、いろんなものが初めて見る、初めて行うことばかりで楽しかったのに、ある時からそれらはつまらないものになってしまいます。こういう経験がある人も多いでしょう。
また戦場に戻りたくなったウイリアムは、戦争という麻薬に侵されていたのではないか、と考えさせられるシーンです。
戦争がなくならないのは、人が戦争を求めている?
戦争はよくない、というのは倫理的にもまともな正論ですが、多くの国や地域で、戦争が終結したら、また違う地域で戦争が始まって、を繰り返しています。
もういい加減、わかってもいいのでは?と感じるのですが、やはりそう簡単なものではない、ということが言わざるを得ないでしょう。
何かを達成する、称賛される、というSNS社会でも言われている承認欲求なども根幹にあるのではないかと感じます。
人には理解されない難しい任務でも、わかってくれる人が戦地には存在する、ということも戦争が続く原因ともいえるのではないかと考えます。
いくら多様性と言われるような時代でも、人間の根幹的な部分は同質の人と一緒にいる方が心地良い、たまたまそれが戦場だった、ということなのでしょうか?
これはイラクの人からすれば、自分の国を勝手に戦場にされて、身勝手で自己中心的な考えでもあるので、さらなる反発を招きます。
こうして戦争がなくなっていかないのではないか、と考えます。
映画中毒者からの一言
戦争中毒を
結局、戦争はなくならない
の言い訳にしていいものか。
映画中毒と戦争中毒
二つの中毒から言えることは
映画中毒も、誰かにこの映画の良さを話したい!
その内容を話して、そんな映画よく知っているね
と言われたい承認欲求だった。
戦争中毒は……
映画中毒の方が平和的だ、ということですね。
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