本が先か、しおりが先か。母はしおりのために本を買う
「お め で と う」
これは手話クラブで絶賛手話取得中の娘からもらったしおり。
裏面は
「た ん じょ う び」
お察しの通り、先日の誕生日にもらったプレゼントのひとつ。
モノは貰うよりあげることの方が断然多いし、貰う喜びよりあげる喜び、正確にはその人のことを想って選ぶ過程が好きすぎて止められない。
もちろん誰構わずということはなく。その対象は娘、主人、両親、友人、同僚、親戚、コリーのジョン、モルモットのマック会長・・・
そして、何かモノを貰っても実用的なら長く使うし、そうでなければ大掃除に捨ててしまっているものも少なくない。新しい靴を買うときは、使わなくなった靴にさよならをする。それが誰かから貰った靴であったとしても。
もちろん「ありがとう」ときちんと伝える。その後はためらうことも無くゴミ箱送り。結構クールな一面もあるのだ。
誰かにモノをあげた時、皆相応に喜んでくれる。照れくさいが、実は内心かなり嬉しかったりするので、私の中の「あげるのが好き遺伝子」は定期的に活性化している。
会社勤めの時代なんかは、デスクに貼りつけたヘンテコなイラスト付きの「お先でーす」「宜しくお願いしまーす」付箋を、「実は、全部貯めていたの。えへへ」と退職する日に披露してくれた人が結構いたりして。
嬉しいエピソードとして深く記憶している。
人生最期の日なんぞは、いつ誰に何をあげましたノートでも振り返りながら、自己満足にじゃぶじゃぶ浸ってニヤニヤしながら旅立ちたいぐらいなのだ。
「おばあちゃん笑ってるみたいだねえ。」
「ほんとねぇ。」一同、嗚咽。
さて、このしおりの贈り主である娘。どうやら彼女にも母である私の「あげるのが好き遺伝子」が搭載されている可能性が高い。
想定外に授かるのに時間を要した娘とは、着床する瞬間からの長い付き合いで、そんな事情もあってか捨てられない品々が多い。
プレ期間にも該当する胎教時代の日記、当時はいつまで続ければ良いのか真剣に悩んだ育児ノート、そして怒濤の初めての○○シリーズ(初めての産声→CD、初めての散髪→筆、初めてのお絵描き→額装、初めての・・・)。
移り気で何を初めてもろくに長続きした試しがなく、特段収集癖もなかった自分が嘘のように、娘にまつわるものが山のようにある。
娘から排出されたものを「贈り物」と称するならば、これらは初めての収集、私の代表的なコレクションとも言える。
排出時期を経て、娘自らの意思で字を書いたり、物が作れるようになってからは、頻繁に手紙やら作品を貰うようになった。
父母ともにコレクション点数は右肩上がりで、近頃は作品に実用性も伴ってきた。「いつもありがとう」「大好き」の嬉しいお手紙も、無事に授かることができてこその話なんだから、実は感動が薄まってきたいるなんて口が裂けても言えない。
今回のしおりは、近頃活字中毒にスイッチが入った私を見ていて思いついたんだろう。
手話クラブでしおり作りが誕生日当日だったせいかもしれない。もしくはお気に入りのしおりを無くしてしまって、やきもきしていた姿をこっそり見ていたのかもしれない。
どちらにせよ、選択肢としてのチョイスはタイミング的にも実用性の面でも的確だった。
喜ぶ姿を控えめに楽しむ母の手法と異なり、娘は自ら、選んだ経緯と理由も添えてトドメの一言を待つ、待つ。
「わあ、ありがとう!嬉しい!ちょうど欲しかった!」
「でしょー!ちょうどママ本読んでたし、あのしおりじゃペラペラだしなあと思って。手話クラブでしおり作りの日だったし、すごい良いの思いついたからママのも作ったの♪使ってね~。急いで作ったからギザギザになったのは真っ直ぐ切っていいよ。切るとき私のも真っ直ぐにしといて~」
***
昨日読み終えた本からしおりを抜き取り、買っておいた次の本へ挟む。
頼んだ本が届いたことも知っているし、しおりを使っているかどうか、娘が定期的に見ている事に気付いている。読みかけの本に挟まれたしおりを見つける度に、きっと彼女の「あげるのが好き遺伝子」も活性化している事であろう。
本を読むために実用的なしおり、しおりを使うためには本が必要。
娘のお陰で、しばらく本を購入する機会が増えそうである。