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いきなり2年が経ちました。ふたつめのお仕事〜移住日記⑧



 移住して2年が経とうとしていた。
朝ドラみたいな時間のステップ踏んだが気にしてはいけない。
油断していると2年くらいはあっという間である。

 移住してからの2年間、具体的にしてきたことといえば「仕事」である。パーセントで表すと98%くらいは仕事である。人間のライフステージで言うと自分は働き盛りの年齢であり、その割合は多くなる傾向があるであろうということは理解できるがなんぼ何でも比率がおかしい。そしてそろそろ死ぬのかな?という兆候も見え始めていたのでどうにかしないといけないな、と思ってきたところである。

 島にきてから人付き合いというものも全く経験しないで仕事に全フリしてきた中で数少ない仲のいいおっちゃんが「お前ダイビングで潜り作業できるならあの会社紹介してやる」と声かけをいただき転職が決まった。

 マグロなどの魚を養殖している水産業の会社で現場仕事である。これもまた未経験だったがとりあえず昼間の仕事であり、水産業ということで定時が普通の会社より早く終わる。朝7時出勤で定時が夕方の4時。夏の日が長い季節なら定時に帰っても十分何かできる感じである。いいね。

 仕事は大きくみっつの部署に分かれていて

魚に餌を与えるのがメインの「給餌班」
魚の出荷や生簀の整備などをする「出荷班」
生簀の魚の状態を管理、記録する「管理班」

という感じになっていた。

 仕事の初めは船の運転もロープのとり方も知らないので給餌班に配属されとにかく力でなんでも解決するタイプの仕事をする。和船に直接サバをガンガン積み込み、船長と2人でペアを組み生簀に船をつけると魚に餌をあげるだけの仕事がスタートする。

 無線で「海上良好、異常なし、◯番生簀給餌開始します」と連絡を入れサバをスコップですくっては生簀に投げるという作業を2人で延々とする。蒸気機関車に石炭を入れるようなイメージが近いと思うが夏はずっと暑いし冬はずっと寒いし、大雨でも海が時化てなければカッパを着てサバを投げ続ける。多い時で1日で◯トンくらいのサバを投げる。キロではない、トンである。よく食べるな。腕が死ぬ。

 餌やりを終わらせた組から港に戻って次の日の餌の準備をする。
冷凍コンテナにびっしりと詰まったブロック状になったサバを出して解凍しておかないといけない。ガギという金属の爪がついた道具でひとつ20キロのサバブロックを延々と箱に出して、海水を入れて蓋をしておくと次の日の朝にはだいたい解凍されているのである。このサバブロック出しの作業も手作業でやっぱりトンという単位で出していく。ずっと20キロのサバブロックを投げ続ける。腕が死ぬ。

腕が死ぬのポーズ


 こんなことを毎日やっていると数ヶ月で筋肉がついてくるし現場作業はとりあえず暇があれば忙しいとこに投入されるので気がつけば船の運転もできるようになるし、潜水士の免許もとらされて作業班の方の仕事もやるようになる。とりあえず忙しいとこに手があきそうな人を投入するという管理職もパワータイプなんだと思わせるような感じで何でもやらされた。できなければ怒鳴られ、できるまでやらされて練習して無理矢理追いついていく感じである。


勤めていたとことは別の養殖屋さん、イメージ写真よ


 自分は氷河期世代の人間なので齧り付いて適応していく働き方が身についていたためこんな職場環境でもどうにかなっていった。
まあでもここもブラックだよ。だんだんとひどくなるのだがそれは次回。
あとちなみにこの会社でも定時では帰れませんでしたね。
要領悪いのかな?

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