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【読書録】大好きなほんを探して⑪(2021.11)

今月の副題は「保坂和志に漂う」です。そうにしかならない。

①生きる歓び 保坂和志

なんてったってこの表紙がすごい。
散らかった部屋にたまたまできた狭いスペース、人ならそこに入ろうだなんて思いつきもしないちょっとだけの隙間に、猫が入ってぬくぬくしている。それを、「くうッ、かわいいなァ」なんていいながら保坂和志が写真に撮ったんじゃないか、そういう愛らしい情景も一緒に浮かぶ。日付が右下についているからどっかで現像してきた写真みたいだ。カメラ屋さんにフィルムを持っていくなんて、なつかしいですね。

表題作「生きる歓び」は、谷中の墓地で片目の猫を拾って、花ちゃんと名付ける話。
5月の谷中の墓地の空気がそのまんまありありと浮かんでくる。風邪をこじらせていた子猫の花ちゃんが保坂夫妻に拾われて、家にやってくる。
保坂和志の文章では、たくさんの猫が頻繁に登場するけど、この花ちゃんは特に印象的だ。ほんとうに片方の眼しかなくて、ぼくはそういう猫はこの花ちゃんしか知らない。
ちっちゃい猫がふと家にやってきて、手をかけられて、これから大きくなっていく。そういう過程の一片が表紙に写っている。
保坂は自身のインスタでも、愛猫を載せるときに「#インスタ映えしない猫」を付ける。それはそれで猫がなんかかわいそうな気もするが、ありのままの猫を愛する、とか、そういうスタンスが伝わるのはいい。

もう一編の「小実昌さんのこと」は、故・田中小実昌のことを思い出す文章。
「ポロポロ」も読んでいない自分だけど、田中小実昌がどういうひとで、保坂和志という人の中ではどういう存在だったのか、これもまた、ありありとわかる。
なんか保坂和志の文章で「ありありとその感情が思い起こされる」経験って、あんまり多くないというか、保坂文の魅力はそういう、共感みたいなことというより、独特の文体がどっかようわからんとこに連れてってくれるスリル? 体験? にある、と思っていたけど、この本はけっこう普通な(?)エモい気持ちで読んでしまった。どちらかといえば90年代の作品にそういうのが多いような気も。保坂和志が比較的「若かった」(?)ということなのだろうか。
「生きる歓び」は大仰なタイトルにも見えるけど、そんなことはなかった。「死」と「生」、それぞれの両極から、生命が続いている時間だけにあるあたたかい感触を、確かに歓びとして描き出している。

やっぱり田中小実昌を読みたくなったので、保坂和志がだれかを紹介するってほんとすごいことだと思う。

②ハレルヤ 保坂和志

それでこの本の表題作「ハレルヤ」では、花ちゃんが天寿を全うする。
「生きる歓び」と「ハレルヤ」の間には20年くらいの時間がながれている。部屋の片隅で散らかった隙間に埋まれていた花ちゃんが、保坂和志の脇でちょこんと座っている。長い時間を共にしてきた。そういう、長い関係です、と言われているみたいだ。

花ちゃんの体調が悪くなっていったことや、お寺の一角で遊んでいて写真を撮ったこと。いくつものピースがあるけれど、著者にとってもきっとある種劇的だった花ちゃんとの出会いは、やっぱり別れも同時に思い起こさせるものだった。
実際のお別れがやってきて、「小実昌さんのこと」を描いたみたいに、「死」の極から花ちゃんことを語る。

意識してあたたかく接しようとか、大切なものを壊さないようにしようとか、そういうことではなくて、一緒にいた時間、長い間見つめ見つめられてきた時間、その時間の束はやっぱり愛らしい。そう思った。

最後に「生きる歓び」が再録されている。同じ版元から、同作がふたつの単行本に載ってるって、すごいね。
「こことよそ」もよいけれど、なんだか花ちゃんのことばっかり気になったみたいだ。

③地鳴き、小鳥みたいな 保坂和志

表題作「地鳴き、小鳥みたいな」を読んで思い出したのは、『未明の闘争』に出てくる村中成海だ。
運転している「あなた」は誰なんだろう? 色めき立つような、色めき立ってないような、妙で危険な温度感の車がどこかへ向かうあの感じ。『未明の闘争』は電車だったけど、大切なものぜんぶ放り投げてどこか山の方へガーーっと向かうってのは同じだと思った。不安定な保坂和志。これも大好きなやつなのだ。

そのほか、小島信夫のこと、キースリチャーズのこと、木版画で文字を彫っためっちゃ凝ってる本のこと……縦横無尽でありながら、ぜんぶ完全に保坂和志だ。
最後の「彫られた文字」で触れらているヒサのエピソードはエモさマックス。あれまじ読みたい。買おうかな。
ぶっちゃけ「なんでこれらを一冊にまとめたんすか、、」っていう統一感のなさなので、まあその「統一してなくてもおもしろければよくない?」とかそういうテンションもいいんだけど、入り口としてはちょっとキツイかもね。ファン的にはまじでよかった。
僕がこの本を持ち歩いてて、裏表紙を見たひと2人くらいから「猫の本ですか?」って言われて、なんて言ったらいいかわからなかった。

④〈私〉という演算 保坂和志


あえて文庫ではなく単行本をゲット。20世紀の初版本を新品で買ってしまったぜ……Amazonでこそなせる業。

先に挙げてきた本よりも、もっと一編一編が短い文章がまとまっている。保坂和志本人がどこかで、失礼ながらあんまり売れない雑誌で連載してたヤツです、と紹介してたけど、中身は他とも結構毛色が違くて、おもしろい。「〈私〉という演算」ってすごいいいタイトルだしね。

これも、時期的にはたとえば『言葉の外へ』収録の文章とか、『生きる歓び』とかともちかいじきにかかれているから、さいきんの保坂本と比べればなんだか若い。真っ直ぐな思考がそのまま胸に来る。「死という無」では死体の冷凍保存とかにも言及してるし、社会的なテーマに対しても、保坂だ〜っていううねつね文体は保持しつつ、なんかストレートに語りかける。ちょっとこ難しくも見えるけど、真っ直ぐ来ます。

あとたしか、このなかの「閉じない円環」だと思うけど、大幅にカットされてどこかの高校国語の教科書に載っていた時期があったはず。古い教科書パラパラ観てて、へー保坂だ! と思ったことがある。

⑤読書実録 保坂和志

個人的に保坂本のなかでいちばん好きな装丁。なんつーか、さすが河出!みたいな気持ちになる。
保坂にピンクかよ! いいな! みたいな。

これは比較的最近の刊行だから、読む時の「感じ」もよりうねうねしてて、いい。
吉増剛造に言われて、写経みたいな感じでいろんな本の筆写を始める話で、シリーズでよっつ続く。

中身も、実際にいろんな本のいろんなとこを引用しながら、著者が思考をうねうね進めていくつくりだけど、「保坂と一緒にある本を読んでる」みたいな感覚になることは決してない。これは小説と帯もうたっているし、実際に読んでいる時の感覚もほとんど小説だった。
カフカや小島信夫が出てくるのはいつものことだけど、ミシェルレリスが気になった。保坂を読むことで読みたい本は増えるばかり。。

これ「すばる」の連載だったみたいだけど、集英社では単行本にできなかったんかねえ……。



というわけで保坂を読んだら11月が終わってしまってた。
今月はすでにベケット「モロイ」を読みました。保坂を離れても保坂和志に漂ってる。

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