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1年後に会社を辞めるための日記④

最初に読んだ伊坂幸太郎作品は、「アヒルと鴨のコインロッカー」だった。強烈な読書体験であったことも、泣いたことも覚えている。自分の読書歴に時代的区切りを付けるのであれば、一つの転換期であったと思う。伊坂幸太郎期という名の。確か当時、ケーブルテレビか何かで映画版が放送されていて、そこで見た濱田岳がまたとんでもなく良くて、好きな俳優のトップに躍り出たことも記憶している。その後に観た「ゴールデンスランバー」での濱田岳の「賢明な判断です」という台詞は未だに私の中で、事あるごとに繰り返されている。

さて、転職という形で人生の転機を自ら手に入れようとしている人間がなぜこんな書き出しで始めたかと言えば、そういえば「オーデュボンの祈り」の主人公もまた、職を辞する所から話が始まったよな、と思い出したためである。
主人公・伊藤は、エンジニアを辞めてコンビニ強盗を犯したことで奇妙な島に行き着く。本筋はその島での出来事にあるが、改めて出だしを読み直したら、自分よりずっと年上だと思っていた伊藤が年下で、社歴も伊藤より重ねているということに衝撃を受けた。え、私頑張ってるじゃん、という自分への賛辞すら浮かんだ。

何年働いたかに関わらず、退職や転職は、まず間違いなく人生の転機にある。今までそんな観点で小説を読んでこなかったのだが、退職を起点に置く物語は結構あって、そういう本が目に付くようになった。私は、人は読むべきときに読むべき本に、観るべきときに観るべき映画に出会すことがあると考えている。

そんな訳で、1本愚痴の記録を挟んでしまったが、ようやっと、直近読んだ転職小説3作品の感想をまとめたい。うち2作品は転職そのものが主眼ではないが、それを機にして人生が変わる話と捉えて。

1.「この世にたやすい仕事はない」津村記久子
これはその題名通りというか、転職小説というジャンルに類するにドンピシャな作品であろう。なにせ、主人公は作中5つの仕事を経験する。つまり、4回転職する(物語開始前の仕事からカウントしたら5回、更に先を想像するに、6回)。
主人公は長年勤めた職を辞して実家に戻り、ハローワークで仕事を紹介されては数ヶ月ほど働いてまた次の職へと転じていく。話上最後の仕事で偶然にも初めの職への感情を揺さぶられる出来事に会うという伏線回収もあり、転職の末にこういうパターンもあるかもな、と想像させられた。
本作の妙は、最初はあまり仕事に頑張りすぎないようにと思っているはずの主人公が、どの仕事にも結局のめり込んで行くところだと思う。面白味を見出してしまうというか、途中、楽しくなってしまっている。楽しんで仕事してのめり込んだ結果、作中にある通り“仕事との適切な距離感”が保てなくなっていく。人間同士もだが、人と仕事の間にも確かにどれだけ密であるかという問題があって、その最善は人により違う。違うのだけれど、なぜか制御できない。私は、自分は引きずり込まれる形でその距離感を誤ったのだと考えているが、この主人公を見ると、そうではなくて自ら近付き過ぎて戻れなくなっているのかもしれないと思わされる。そして実際、その要素は色濃いのだと思う。周囲が推したから仕方なかったのだ、と誰かのせいにしたくなるが、実際にはどこまで寄ったら波に呑まれるのか見極められずに足を掬われて沈んだ。私だったらこれぐらいの波打ち際までは行けるとパシャパシャやってて、溺れた。泳げないのはわかっていたのに。といった具合かと。泳げる人は良いんですよ。行けるところまで行ってもらって。
だから、自分の大きさと力量はよくよく理解して、しかもその想定より一回り小さい所に限界の線を引くことが大切なのだと思う。そこで引き返せるように、今から訓練するしかない。
もうひとつ、作名にあるように、この世にたやすい仕事などない、ということが描かれているのだが、だからこそ、何を選ぶが、自分が熱量を持って関われる仕事とは何か、ということを問いかける作品だと思う。
そういう仕事に出会えるということ自体、才能だ。自身を見失うほどに熱中できるという。あるいはその対極に、自分自身を冷静に、客観的に見ることができれば、合う仕事を選んで従事することもできるのかもしれない。

2.「キネマの神様」原田マハ
大手ゼネコンでバリバリ働いて管理職までのし上がった主人公が社内の足の引っ張り合いに巻き込まれて居場所を失くし、退職した所から話は始まる。父の入院もあって、一旦は両親の仕事を手伝うため休みを取っていると誤魔化すが、父親が借金していて、おまけにギャンブル依存症で娘である自分の稼ぎを当てにしている姿にブチ切れて窮状を明かす。
主題は映画と映画館に対する愛であるので、ざっくり記すとここからは父娘の映画への想いが起こす奇跡の話となっている。展開は非常にドラマチックで、予想していたものとは違う方向へ進んでいった。私個人のタイミングの都合、もっと主人公自体がどう職を選んでいくかであったり、どう仕事に向き合っていくか、といった点が描かれることを期待してしまった。要は、挫折をどんな気概で乗り越えたかの経験則のようなものを得たくて読んだ。それに対する直接的な答えはなく、父娘の共通する趣味が良い方向に人生を導いていく物語である。だが、この二人を初め、登場人物たちの映画への情熱は並々ならぬもので、語らせれば誰にも負けぬと言えるほど、観ている。趣味人は突き詰めればその道の専門家である。そこまで行ってしまえば、それを仕事にするということもまた、現実的であると言うことを、作中に根を張る作者の芸術への愛からも感じる。これだけのめり込める趣味に出会うこと、それもまた、才能。

3.「ハグとナガラ」原田マハ 
続けて、原田マハ作品。実は合間に「異邦人」も読んでおり、小・原田マハ期にある。
こちらも主人公であるハグはバリバリ仕事して、なんなら彼氏もいて結婚してワーママとして働くことまで考えていた。順調だと思っていたのに、うまくいかずに仕事は辞めることになり、彼氏にも振られる。一気に絶望の淵まで追いやられるが、そこに親友・ナガラから「旅に出よう」とメールが来る。大学時代から何度も一緒に旅をしてきた友と、時と季節と場所を変えて旅を重ねていく。キーワードは「人生を、もっと足掻こう」。
章ごとに、ハグもナガラも、その母たちも、年を経ていく。母の病気や介護といった問題に直面しながら、ハグはフリーランスとして働き、居も移す。順当で安定していた仕事からは、段々と厳しい状況になっていく様は、落ちていくと表現したくもなる。一方のナガラは長く同じ職場に勤めて、昇進もして転勤もする。本人は気楽なOLと称しているが淡々と勤め続けていることは評価されているようである。ナガラの母は物語の早くに施設に入ることとなるのだが、ナガラには母の近くに住んでいる兄がいるので、自分は離れて仕事を続けられている。同級生で、共に未婚で、似た状況のように見えるが、私には対比のようにも読めてしまった。どっちの人生がマシですか、というような。そういう風に考えてしまった。
ハグ視点で描かれているので、ナガラの内の苦しみであったり、ナガラ側の仕事の大変さは解らない。そもそも、どちらの方が大変かなんて比べるものではないし、そういう話ではない。あくまで、お互いに色々あって大変だけど、こうして折々旅に行ける関係性って素晴らしいよね、そういう女友達がいることは救いだよね、という話なのだ。実際に、読んでいる間は自分が先々年をとっても旅に付き合ってくれる友達はいるだろうか、だとか、母とのことや、仕事のことで悩むハグの背中を支え、押してくれるナガラの言葉に涙した。でも読み終えて、反芻するうちに、ハグの人生への同情と、自分の人生への怖れが募る。
旅は救いの時だと思う。特に気心が知れて価値観の合う女友達との温泉旅行は、腹を抱えるほどの談笑や美食や心に残る景色とで彩られて、あぁこのために仕事頑張ったんだなぁという満足感が得られる。そういう魅力があるのはよくわかる。だけど、現実で生活していくにはお金が必要で、安心を得るには貯金が必要だ。それらがなくなるのは、怖い。怖くても、旅に出られるだろうか。寧ろ、怖いからこそ、旅に誘い、楽しむものだろうか。解るような、解らないような。
でももし仮に、その人と旅行することが、働いて、生きていくことの活力や理由になるほどの友がいるというのならば、それもまた才能みたいなものだと思う。私は私が、人と長く続く関係性を築くのが苦手な人間だと自覚している。


先日、それこそ友人と少し遠方まで温泉とマッサージとを目的に出掛けた。マッサージに使うアロマオイルを選ぶなかで、人はその時々に自分が必要なものを良い匂いだと感じるので、毎回同じ香りを選ぶわけではないし、勿論人によって感じ方が違うという話を聞いた。
小説も似ているかもしれない。
同じ話でも、時を変えれば見方も変わって、その時に必要な知見となるように、捉えていくものなのかも。ようやく、そういう気付きを得ても良いぐらいには年を重ねてきたのかなとも思う。

ちょっとした結論、転職を考えている人間が“転職が描かれた小説”を読むと、何で辞めるかだとかどう仕事を選ぶかと言ったヒントを得ようという視点で読みがちになる。そして、まとめながら、私が転職する理由には、自分の才能を探りたいから、なんてものも少なからずあるのだろうなと思う。
熱中できる仕事か、趣味か、はたまた人間関係か。どれか一つにでも出会うために、環境を変えてみたいと思う。


この他にも転職や退職を描いた小説・物語は多くあると思いますので、おすすめがありましたら是非教えてください!

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