「催馬楽古楽譜の電子テキスト構築と活用の実践」の始動
ごあいさつ
はじめまして。日本の古典音楽や歌謡について研究をしている、本塚 亘(もとづか わたる)と申します。法政大学で非常勤講師をしています。この度、2024年6月より、2027年3月までの約3年間、法政大学の若手研究者共同研究プロジェクトとして、「催馬楽古楽譜の電子テキスト構築と活用の実践」というテーマでの研究をスタートしました。審査にかかわった先生方および関係者の方々はもちろんのこと、計画立案にあたってご協力いただいた先生方、共同研究者や協力者としてのご参加をお引き受けいただいた先生方に、深く御礼を申し上げます。
本研究では、できるかぎり試行錯誤の過程を示す、ということをウリにしたいと考えています。そこで、今後、この「Note」の場を通じて、本研究の進捗や、関連情報などを共有していきます。今日は、まずはそのごあいさつをさせていただければと存じます。
当記事、および本研究についてのご意見、ご質問などございましたら、ぜひNoteの「コメント」、「クリエイターへのお問い合わせ」機能、またはTwitteなどから、本塚までご連絡いただければと存じます。
催馬楽はどんな音楽だったのか
催馬楽とは
そんなこんなで、本年6月から始動した新しい研究テーマは、「催馬楽古楽譜の電子テキスト構築と活用の実践」というものです。催馬楽(さいばら)は平安時代に隆盛した宮廷歌謡のひとつです。その催馬楽の歌詞や旋律を記した11世紀から13世紀にかけての古楽譜が多数存在しており、これらの貴重な資料を、どうにか電子テキストの形にしてみよう。そして、できたものをどうやって活用できるか、いろいろ試してみよう、といった計画です。
催馬楽は、天皇や公卿が参加する御遊(ぎょゆう)をはじめとし、私的でくだけた遊宴の場においても、貴族たちに親しまれ、愛唱されてきました。現在放送中の大河ドラマ「光る君へ」では、つい先日、まひろの夫となる藤原宣孝(佐々木蔵之介)がこんな歌を歌っていました。催馬楽の《河口》という曲です。
唱法や旋律の妥当性についての検証は、まあ、今回は措いておきます。それにしても、まひろを睨め回しつつの、実にいやらしい露骨な歌いっぷりはまさに怪演。私的な遊宴における催馬楽のあり方としては、まあ、そういうこともあったんだろうなあ、という印象を受けました。
催馬楽の音楽性
さて、催馬楽という歌謡の、特に歌詞についての研究は歴史が長く、室町時代は一条兼良、江戸時代は賀茂真淵以来の国学者たちの取り組みを嚆矢とし、数多くの注釈が試みられてきました。近年の成果も国文学の立場からのものがほとんどであり、その一方で、催馬楽の音楽面についての研究は、まだまだ途上にあります。
催馬楽がどんな旋律で、どんなテンポで歌われていたのか、それをうかがい知るのはたいへん難しいことです。歌や音楽は、目に見える形を持ちません。言うまでもなく、CDも蓄音機もなかった時代のことですから、せいぜい、どういう行事のときに、誰が、どんな曲を歌った、という記録が残っていればいい方です。たいていの場合は、記録にも残らないことがほとんどでした。
それでも、同時代の他の歌曲に比べると、催馬楽の「音楽」に関する資料は少なくなく、恵まれた研究環境にあるといえます。紫式部よりも1世紀ほど後の時代には、源家流、藤家流という二大流派が形成され、それぞれの流の家説が伝承されていくようになっていきました。その恩恵によって、両流の催馬楽伝承を記した「楽譜」のいくつかが現存しています。なかでも、11世紀から12世紀にかけての良本が複数残存していることは稀有なことだといえます。また、催馬楽の付物(伴奏)譜である琵琶譜『三五要録』や箏譜『仁智要録』は12世紀末に成立したものであり、往時のおおまかな唱法にとどまらず、旋律の音高や音の長さに関しても、ある程度うかがい知ることができるのです。
身近になった貴重な古楽譜
そして意外なことに、これらの古楽譜は、令和に生きる私たちにとって、たいへん身近な存在になっています。近年、貴重資料の画像をアーカイブして公開しようという機運が高まっており、それこそ、家で寝転びながらでも、スタバでコーヒーを飲みながらでも、資料に穴があくほど目を近づけて、じっくりと観察することができるのです。ズボラで出不精な私からしたら、夢のような状況が、今まさに現実のものとなっています。
催馬楽についていえば、たとえば、国学者以来多くの注釈が底本としてきた。鍋島家本『催馬楽』(11世紀写、国宝)は所蔵者である鍋島報效会徴古館のホームページ、および文化遺産オンラインから、表紙と一部のページのカラー画像を閲覧することができるようになっています。
表紙の蜀江錦文様や題簽の筆跡(伝道晃法親王筆)も素敵ですが、なにより本文料紙の飛雲や、温雅な楷書を中心とした筆跡(伝宗尊親王筆)が、ただただ美しいです。大好き。
また、上記の資料が源家流の伝承を伝える催馬楽譜と見られるのに対し、藤原氏中御門流に連なる藤家の説を示した天治本『催馬楽抄』(天治2年(1125)加点奥書、東京国立博物館蔵、重文)は、国立文化財機構の運営する「e国宝」というウェブページから、全幅のカラー画像を隅々まで拡大して閲覧することができます(欲を言えば裏側も見せてほしい・・・)。IIIF(トリプルアイエフ、デジタル画像を相互運用するための国際的な枠組み)に対応しているため、これに対応した各種のビューアでも閲覧することができます。
先述の鍋島家本と近い時代の成立であり、かつ鍋島家本とは拍子の位置などが異なること、また鍋島家本よりも細かい拍子記号(小拍子点)が記されていることなどから、源藤二流の違いを探る上で、貴重な情報を提供してくれる資料です。
ほかにも、藤原師長撰琵琶譜『三五要録』(宮内庁書陵部蔵、伏見宮旧蔵本)が、宮内庁書陵部の画像公開システムほかから閲覧することができるなど、催馬楽の古態の音楽研究をめぐる環境はどんどん理想的な状況に近づいているといえます。これだけ貴重な資料が、家に居ながらにして、それこそビール缶を片手に、スルメをかじりながらでも閲覧できてしまうという、私が催馬楽についての勉強を始めたころには、想像もできなかったことが、今まさに現実になっています。
なぜ、電子テキスト化が必要なのか
ブラックボックス化した分析手法
さて、誰でも高精細な画像が見られるようになっているのであれば、別に、本研究が目指している「電子テキスト化」なんて、あまり意味がないのでは? と思われる方もいるかもしれません。その通りといえばその通りで、本物に勝る価値はありません。ぜひ本物の精細な画像を、それこそ穴があくほどご覧いただくのがいいと思います。くずし字もほとんど出てきませんので、催馬楽の「歌詞」を読み取るだけなら、比較的容易に取り組めると思います。
しかし、これらの資料は、あくまでも「楽譜」なのです。歌詞はわかるとして、じゃあそれをどうやって歌っていたのか、歌詞の上下左右に記された様々な記号が何を意味しているか、といったことは、なかなか容易に読み取れるものではありませんし、今もなお、解読方法が確立しているとはいい難い状況にあります。
こういった問題は、私たち古楽譜の解読を行ってきた、いわゆる「専門家」の責任でもあります。すなわち、ごく一部の研究者や雅楽団体、個人の有志などが、それぞれのブラックボックスの中で、独自の手法によって古楽譜の解読や再現を試みているというのが現状で、結果として、それぞれの解読方法や分析方法が比較されたり、評価されたりといったことができる状況になっていないません。さらにいえば、各自が手探りで解読してきた成果そのものが、数十年後には再び解読が必要な資料になってしまうという、「未解読文書の再生産」さえ、現実に起こりつつあります。
オープンな分析環境の実現をめざして
その一方で、機械学習やAIといった様々な研究手法の進展が目覚ましい現在では、貴重資料のデジタル公開の動きと連動して、学問領域を横断した活発な議論が期待されつつあります。既にコーパスなどのビックデータを駆使してきた言語学の分野では、先んじてデジタル資料の活用が試みられていますし、くずし字の解読AIアプリも、精度を高めてきています。
しかし、こと催馬楽やその他の雅楽の古楽譜については、記譜法にも時代による変遷があり、また楽器ごとにも独自の記譜体系が発展した経緯があり、ただOCRをあてて文字を「読む」だけでは、そこから旋律やリズムの情報を読み取ったり、他の楽譜と比べてみたりといったことができません。そこで、紙面に記された書誌情報だけではなく、曲、段、句、語といった歌詞の単位やフレーズの単位、拍子の単位、音高などといった音楽構造を読み取って、機械で認識可能な形式に置き換える、という方法が考えられます。具体的には、TEI/XML形式によるデータ構築を行っていく予定です。
また、機械可読な形で古楽譜のデータを構造的に記述するとともに、それを広く公開することによって、誰もが催馬楽の歌詞や旋律に関する分析に挑戦できるようになります。さらに、各人によって行われる分析の成果が、構造化されたテキストデータと紐づくことによって、それぞれの成果に対する追実験を行うこともまた、容易になります。このようなオープンな分析環境を実現し、分野や世代を横断したサスティナブルな研究環境を整えるためにも、今回の新しいプロジェクト「催馬楽古楽譜の電子テキスト構築と活用の実践」が、何か寄与することはできないだろうか、と考えています。
古楽譜のデジタル化をめぐる動き
「分業」の重要性
なお、本研究の計画立案に先んじて、既に、関慎太朗先生によって、雅楽をはじめとする邦楽譜のデジタル化に関する現状と課題が紹介されるとともに、MEI(Music Encoding Initiative)を用いた、実践的な問題提起が行われています。
特に後者においては、電子テキスト化にあたっての「分業」の重要性についての指摘がなされています。紙面上のテキストを正確に写し留める作業と、それらを解読・解釈して構造化する作業とは、必ずしも一人の人間が独力で達成しなければならないものではありません。むしろ、それぞれの知識や能力に応じて分業化することで、「潜在的なコラボレーションの可能性が広がり、より多くの人と協働して作業に取り組める可能性がある」としています。
私なりの「分業」
そういうわけで、私の担当する「分業」は主に「催馬楽」に特化したものになります。本研究の計画立案にあたっては関先生から多くの示唆とご助言を賜りました。私なりの知識と能力を生かして、一つのテストケースを示し、他の雅楽譜や邦楽譜、複雑な構造を持つ種々のテキスト資料に応用していけるよう、できるだけ多くの足跡を残しながら、貢献していきたく存じます。「Note」を利用したこの報告も、その足跡のひとつです。
また、この場を足掛かりにして、積極的にみなさまのご意見を賜りたく存じます。最後に繰り返しにはなりますが、ご意見、ご質問などございましたら、ぜひNoteの「コメント」、「クリエイターへのお問い合わせ」機能、またはTwitteなどから、本塚までご連絡いただければと存じます。
というわけで、本日はごあいさつまで。
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