懐旧
綺麗な文章しか好きじゃないし、書きたくない。感情的なものは子供っぽいから嫌い。馬鹿にされるから、書きたくない。でも、私は未だに、精神外傷ちゃんのツイートが大好きだし、ZOCの曲で自分を鼓舞しているし、何かがある度に、手越くんの歌や涙や笑顔を思い出してしまう。ここに書ききれないほどに、世の中ではメンヘラだとか厨二病だと名前が付けられてしまうものばっかりが大好きで。私の好きなものに勝手にダサいレッテルを貼っていく世界が大嫌いだ。
他人の綺麗な部分を無理やり抽出して見続けていたら、前ほど素直な言葉が出て来なくなった。周りはまるでいい子ちゃんを見るかのような視線を僕に投げかけてくるけれど、ぼくだって、こんな綺麗事何の意味もねえだろって嘲笑ってしまいそうになって、人と話す事が初めてちゃんと嫌いになりそうになった。
「死にたくない」と泣いたあの子の言葉をその質量の分だけ信じてしまって、でも質量って重力のせいで六倍になっていて、じゃあ本当の重さは何グラムだったのだろう。本気で死にたいやつが十回も自殺に失敗してること、笑っちゃいけないんだと思ってたけど、腹が捩れるほど笑ってしまいたい。何が、ICUはリスポーン地点だよ。私の親はじゃあどうして生き返れなかったんだろうね?お前みたいなやつがのうのうと生きていられて心底羨ましいし、早く死んでほしいというか死んでくれなくていいから、あの時チキったりせずに殺し切って欲しかった。
私が40錠の薬を飲んだ時、そんな自傷行為をすると思わなかったと彼から送られて来ていた。馬鹿馬鹿しくて、何度も見返して鼻で笑ってしまったな。私の死にたさが希死念慮が何かも知らなくて、自分だけが一生可哀想で。それでいいんじゃないかな?そんな生き方が君には似合っているよ。君の作る軽々しい音楽にそっくりだ。
こんな、汚い醜い感情を明け透けにしたら嫌われると思った。でももうどうでもよくなってしまった。人と話せるようになって好かれることに慣れて最終的には愛されたくて始めたこのお仕事で、お客さんが私なんかにお金を使っていくことに心が折れそうになった。嬉しかったのははじめの一度くらいで、それからはずっと、素直に喜べない自分の承認欲求のバケツがぶっ壊れていることに何回も泣きたくなった。
綺麗なことなんか書きたくないし、綺麗な言葉なんか話していたくもない。内側で蠢く黒いどろどろが喉まで詰まっていつか死んでしまうような気がする。
私が死にたいと願うのは、いつか死んでしまうことが怖いからだよ。
死にたがりだの口だけだと言う人間には一つも理解できなくていい。ホームドアのない駅の黄色い線の上で電車を見送っていたことも、橋の上でうずくまっていた日のことも、死ねなかったから生きていくんだって毎年十月にだけ日記を書いてしまうことも。私を勘違いしたお前らには何にも伝わらなくてよかったよ。
何年間も見守ってくれる人、死にたいと言えば懲りずに言葉をかけてくれる人、一度でも私の文章を好きだと言ってくれた人。そんな人たちがいるここで私はどうにか生きて来れて、それ以上に必要なものなんてどこにもない。
私はだれよりも自分を諦められないから、絶対に天才だと思ってるから、出来ないこと全部無くせるように逃げないだけだよ。昔の私を知らない分際で、他人から見たら常識でも過去からじゃ考えようもなかった奇跡みたいな今の私を、ただ逃げてるだけのあんたらに否定する権利はないからな。
言葉なんかに意味はないから、何度も何度も武器にして刻み付けるんだよ。私は絶対に幸せに生きてやるんだって。
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